第2話
俺は何日の間、眠り続けていたのだろうか
うっすら開けていく視界には折り重なった
まつ毛と薄汚れて所々にシミのある天井が
見えるだけだ。
少しずつ意識が覚醒していくなか脇腹辺りに
何かの気配を感じ、鈍い頭痛のする頭を
動かして気配の正体を探ってみると
そこにはパイプ椅子に腰掛けてベッドに
体を預ける様に突っ伏して眠っている
多分女性であろう姿が見えた。
ぼんやりとした頭と視界に映り込んだこの女はきっと何日もここで昼夜を過ごしているので
あろうと推測されるくらいに頭髪にはツヤが
なく、漂う気配もなんとなくではあるが
疲れを感じて、どこか哀しさに溢れていて
少しみすぼらしささえ感じる姿に見える。
この空間が多分病院の病室である事は
瞬間的に理解は出来たが、自分が何故ここにいてこの女がこの病室で寝ているのかがさっぱり
解らないでいるのだが、何か薄いフィルターでも被せられた様にぼやけたままの意識と思考回路では今の現状を推測する事が出来ず、見覚えのない天井を唯ぼんやり眺めているしかなかった。
少し重たい布団に包まれた体は何故か思うように動かせないし、喉はカラカラに乾いていて
脇腹辺りで寝ている女に声を掛けてみる事も出来ない、ここには解らない事しかなくて、韓国映画のサイコスリラーを見た時の様な心が泡立つ様な不安感はあるのだが、不思議と嫌な気分だけではなかった。
それでもこの空間を探る唯一の手掛かりであろうこの女を起こしてやろうと、何とか少しだけ
体をよじって動かしてみたり、うーうーと呻き声を出してみたりを繰り返しているうちに、女はゆっくりと頭を動かして、周囲の気配を感じ取る様に注意深く視線をあちこちに向けた後、俺の顔を見つけて意識が戻っている事に気づいてくれた。
女はほんの一瞬だけ嬉しそうな顔を俺に向けて何かを言おうとしたが、直ぐに俺の顔の向こうにあるナースコールのボタンに目をやり、カチカチとボタンを押して俺の意識が戻った事を姿の見えない向こう側の誰かに告げている。
俺の顔のすぐ間近まで体を伸ばしたその顔は喜びの表情を浮かべ、目尻からは涙がすうっと流れ落ちているのが見えるのだが俺にはこの涙の意味が解らないでいるし、目の前でマジマジと見てみてもこの女が誰であるのかが判らないままで、俺は益々この現状が理解出来ずに混乱してしまっている。
目の前で泣いているこの女は一体誰なんだろうか…
ぼんやりとした意識のまま、声にならない様な声で君は誰なんだと訊ねてみたものの酷い喉の渇きの所為で、全く伝わりもせず女は女で俺の意識が戻った事の嬉しさなのか何日かは解らないが数日間に及ぶこの病室での生活の終わりへの喜びなのかは解らないが何にせよ若干興奮状態であるから、例えまともに声が出せたとしてもとても会話が成り立つような感じではなく俺は唯々困惑するしかなかった。
そうこうしている間にコンコンとドアをノックする音が聞こえて、眼鏡姿の医師と看護師数人がカーテンを開けて入ってくるや、ベッドの脇にある何かの測定器らしき物を確認してみたり、俺に自分の名前が解るかなどと意味不明な質問をしてくるのだが、生憎な事に声を絞り出そうとしてみても周波数のあわないラジオみたいな音しか出せず質問の答えに満点の解答を医師に返す事が出来ないのである。
医師は鼻先辺りまで落ちた眼鏡の上っ面越しにペンライトの光を当てた眼球を観察しているし、看護師の1人は女を病室の外に連れ出していってしまって、俺はどんどん不安感が増してきてしまい何故だか目頭辺りが熱く徐々にウルウルとしていくのを感じ、医師も看護師もさっさと病室から出て行って欲しかった。
あれだけ喜んでいたのだから、あの女は俺の事をよく知っているのだろうし俺に対して少なからずの好意を持っているに違いないので、こんな状態にある以上あの女しか頼りには出来ないのだろうから早く病室に戻って来て欲しかった。
今の俺が質問の答えを返す事が出来ないと判った医師は看護師を連れて、
「また来ます」
とだけ告げて病室から出ていった。
測定器の調節をしていた若い看護師も作業を終えると
「何かあったらナースコールで呼んで下さいね」
と初々しいしさを感じさせる声色で俺に笑顔を向けてそう言うと、ヒラリと向きを変えてドアの向こうに消えてしまった。
俺は何の手掛かりも掴めないまま1人取り残されて、なんだかガッカリとしてしまい、無性に今の状況では唯一の味方であろうあの女の顔と声が恋しくなった。
いつになったら病室に戻ってきてくれるのだろう…
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