床下

木村比奈子

第1話

 時は高度経済成長期。たくさんの土地が売られ、買われ、時には悪質な地上げも行われた。地価はとてつもなく高騰し、よくも悪くも人々の生活に影響を及ぼしたのだ。これは、ある田舎の一軒の民家で起きた話である。


「蔦子さん、何度も言っているでしょう。もうこの辺りで残っているのはあなただけなんですよ。みんないいところに移動して、いい生活をしている。いいですか、あなたは損をしているんです。お金は十分にお支払いしますから」


「嫌と言ったら嫌。あたしは死ぬまでこの家にいるわ。この家には夫と暮らした思い出や、あたしの大切なものがたくさんあるのよ。なにを言っても無駄だから」


「蔦子さん、私どもも本気なんですよ。この仕事が成功することに人生を掛けているんです。子どもだっている。この土地はきれいな神社に生まれ変わるんです。協力してくださいよ」


 不動産屋の男の言葉に、蔦子はまったく動かされた様子はなかった。鼻で笑ってみせる。


「神社だって。笑わせるんじゃないよ。この家を取り壊してマンションでも建てるんだろう。嘘ばっかりついてると、地獄に落ちるよ」


 頑なな老婆に、男は心の中で舌打ちをした。

(……ったく、このババア)


 近所の者はみんな出ていったというのに、蔦子だけがこの土地に頑固に居座っているのだ。最初は話し合いで穏やかに済ませるつもりだった。

 きちんとした書類に判を押させ、間違いなく本人が同意したものだということを明らかにする。立ち退かせた後に訴訟なんかを起こされれば面倒だからだ。


 ほかの住民たちは、良い条件を提示して少し持ち上げてやれば、快く立ち退いてくれた。そのほとんどは移住したばかりの若者や、舅姑と同居しているものだった。しかし、一部の高齢者だけは頑固だった。立ち退きなどありえないと耳を閉ざし、心を閉ざし、ついにはこちらが家の前に姿を現すだけで怒鳴りつけられるようになった。蔦子も例外ではない。


 けれど、そんな厄介な高齢者たちも、少々手荒な手段に出れば、あっけなく折れてくれた。こちらは大手不動産だ。一介の住民数人くらい、立ち退かせることなど容易だ。


 順調に計画を進めてきたはずだったのに。


 この老女は男の経験上、頑固と土地への愛着心の強さは群を抜いて大きかった。長いあいだ土地に居ついた老人たちを見知らぬ地へおいだすことに罪悪の念が生まれないわけではない。けれど、こちらだって仕事を果たさなければ生きていけないのだ。


 話し合いで蔦子が動かないことがわかると、会社は少々手荒な手段に出た。しかし決して会社が行っているということがわからないように、証拠が残らないように、慎重にだ。

 ひたすらに面倒だったが、やらなければならない。


 家の近辺で夜中に大きな音をたてたり、庭を荒らしたり。さらにはゴミを投げ込んだり、庭先のものを壊したりしたこともある。普通なら、ここで心は折れる。男の経験上、この嫌がらせをされて書類に判を押さなかった者はいない。


――けれど、蔦子は動かなかった。


 この辺りの土地は、地形的にも環境的にも良い場所だった。この土地にある民家をすべて取り壊し、巨大テーマパークの建設に乗り出す。それが、会社の計画だった。蔦子が出ていけば、土地は完全に会社のものになる。


 何をそんなに頑なになるのか。遠方にだが親戚もいるようだし、このあたりに墓があるわけでもない。ただ思い出を守るため、とは考えにくいほどの強情っぷりだった。なだめてもすかしても、動かないの一点張りである。


 会社側も苛立ち始めていた。上からの通告も日に日に厳しさと頻度を増している。男自身も怒りと焦りを抱いていた。このままでは本当に首が飛ぶ。焦りが限界に達したその時だった。


 突如、蔦子が死んだ。

 心臓発作だったらしい。


 邪魔者がやっと消え、嬉々として蔦子の家を取り壊した。全ての民家が消え、計画の遂行は目の前だ。


―――――――――


 一週間後。


 テーマパークの建設は、中止となった。


 蔦子の家の床下から、身元不明の白骨死体が見つかったのである。完全に白骨化しており、細かい骨は分解されて消えたのだろう。頭蓋骨や大腿骨などの太く大きな骨だけは残っていた。検察の調べにより、死後三十年は経過していることが明らかになった。


 死体の傍には、凶器とみられるさびだらけの包丁も一緒に埋められていた。


 一体、誰の死体なのか。

 今となってはもう、分かりようもない。

 



――――――――


 誰の死体だったのか、話の中から考察できるかも。

 あなたの考察を教えてね。

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床下 木村比奈子 @hinako1223

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