第三章 ~『暴れる稲荷の神』~


 稲荷の神が暴れているとの報告を受けたクレアたちは案内されて小麦畑に向かうと、虎や熊ほどの大きさの狐が暴れていた。


 狐の周囲には、取り囲むように農夫たちが平伏している。怒りを鎮めて欲しいとパンや麦の束を差し出している。


「女王陛下、あちらが稲荷の神です!」


 豪農の老人が慌てて駆け寄ってくる。彼の額には汗が浮かんでおり、緊急事態が起きていると分かる。


「相手は豊穣の神、成敗できない上に、被害は甚大で困り果てているのです!」

「落ち着いてください。あれは神ではありません。なにせここにいる天狐様こそが、稲荷の神ですから」

「この小さな狐が……」


 老人は怪訝な目を向ける。女王であるクレアを信用しているが、威厳よりも愛らしさの印象が強い天狐が、神だとは信じられなかったからだ。


「では、あの狐の怪物は……」

「ただの魔物だと思います。ですよね、天狐様?」

「当然じゃ。吾輩が本当の姿になれば、その巨躯は、あんな小物より三回りは大きいのじゃ」


 フンと、天狐は鼻を鳴らす。その愛らしい仕草に、老人は気が抜けたのか緊張が解きほぐした。


「分かりました。信じるとしましょう。それで、あの魔物に心当たりは?」

「いえ、私はさっぱり。お兄様は分かりますか?」

「いや、僕も知らない魔物だ。天狐はどうだい?」

「吾輩は神じゃぞ。もちろん正体を知っておる。あれはデビルフォックスなのじゃ」


 ギルフォードは、魔物の名前を聞いてピンと来たのか、目を見開く。


「デビルフォックスか……確かに灰色の毛の特徴も一致するね。でも、主に帝国に生息する魔物のはずだよ。どうして王国にいるんだろう?」


 疑問が浮かぶが答えを知る者はいない。唯一の頼みの天狐もさすがに知らないのか、沈黙を貫いていた。


「疑問はともかく、魔物だと確定したんだ。討伐するとしようか」

「それなら吾輩に任せるのじゃ」

「本当の姿とやらに戻るんだね?」

「馬鹿を申せ。そんなことをしては人間を怯えさせてしまうのじゃ。デビルフォックス如き、この小さな肉体で十分なのじゃよ」


 天狐がクレアの胸元から飛び降りると、そのままデビルフォックスの元へと向かう。暴れる怪物と小さな子狐、体躯の差だけでは勝ち目がないのは明白だ。


 だが天狐は逃げない。それどころか爪が届く距離まで近づいて、鋭い視線を向ける。


「吾輩は寛容なのじゃ。暴れぬのなら命までは取らぬ。大人しく立ち去るのじゃ」


 天狐の降伏勧告にデビルフォックスは牙を剥き出しにして怒りを現す。しかし天狐は退かない。静かに肉体から魔力を放ち、格の差を知らしめる。


 その無言の圧力が効いたのか、デビルフォックスは一歩下がる。しかし退却までは至らなかった。首を振りながら怯えた様子を見せる。


(誰かに脅されているような反応ですね……)


 野生の魔物なら敵わない相手と対峙すれば一目散に逃げ出す。だがデビルフォックスは本能に従わない。目標を変更して、駆けだした。


「クレア、僕の後ろに隠れて」


 デビルフォックスの新たな標的はクレアだった。だが彼女の傍にはギルフォードがいる。彼は手の平を前方に向けると、水の魔法を発動させる。


 地面から水が噴き出し、デビルフォックスを包み込んでいく。水の牢獄に閉じ込められたデビルフォックスは動きを封じられて大人しくなった。


「凄いです、お兄様! 水魔法が使えたのですね!」

「アイスバーン公爵家の者は、水や土や炎のような属性系の魔法すべてに適正があるからね。クレアの回復魔法と同じ、血による天性の才能だね」

「ならサーシャも?」

「もちろん適性持ちさ。ちなみに他の公爵家もそれぞれ特殊な才能を持っていてね。例えばスタンフォールド公爵家なら武器を生み出せる錬金魔法を、ヌーマニア公爵家は魔物を従える従属魔法を扱える。だからこそルインは婚約者に公爵の血を求めたのさ」

「そういう事情が……」


 ルインの選民思想がどこから来ていたのかの謎を知る。平民では特殊な適正を持たないため、彼は婚約を破棄したのだ。


「ルインも馬鹿な男さ。本当のクレアは誰よりも貴重な才能持ちなのにね」


 回復魔法は世界で王族にしか扱えない。その希少性はアイスバーン公爵家の属性魔法に対する適性をも上回る。


「でも私、婚約破棄されて良かったです。こんなに頼りになるお兄様と一緒に過ごせるのですから」


 デビルフォックスから庇ってもらった時、ギルフォードの背中はいつもより大きく見えた。彼が傍に居てくれることの頼もしさを改めて実感するのだった。


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