第三章 ~『天狐と王宮』~
天狐と一緒に暮らすことを決めたクレアは王宮に帰っていた。小麦畑と王宮は馬車でさほど遠くない位置にあるため、到着まではすぐであった。
「昔と変わっておらぬのじゃ」
「天狐様は王宮を訪れたことがあるのですか?」
「お主の母親に連れられたのじゃ」
天狐はまるで我が家のように王宮の内部を知り尽くしていた。天狐に先導される形で談話室に到着すると、ギルフォードが読書に耽っていた。
「クレア、帰ってきたんだね――って、もしかして、その狐は稲荷の神かい?」
「お兄様も天狐様をご存知なのですか?」
「この国の豊穣の神様だからね。先代が亡くなってからは人里に姿を現さなくなったと聞いていたけれど、まさかクレアと一緒に下山してくるとはね。驚かされたよ」
ギルフォードの驚愕は疑問にも繋がっていた。畑を守るためとはいえ、なぜ今になって人里に姿を現したのかと。
「吾輩は豊穣の神、故に豊作を祈るために信仰する者が多いほどに力を増すのじゃ。小麦の生産が盛んになるまでは、力が衰え、山の中から動けなかったのじゃ」
「天狐様も苦労したのですね……」
小麦の生産を減らしていたのは国策の一環だ。思わぬところで、天狐にも迷惑をかけたと申し訳なさを覚える。
「では天狐様の苦労を労うとしましょうか」
「吾輩にお供えをするのじゃな⁉」
「ふふ、楽しみにしていてください。コレット様にとびっきりの美味しい菓子を用意しして貰いますから」
談話室の外に出て、コレットを探そうとした時、廊下の向かう先から目当ての人物が台車にクッキーと紅茶を運んできていた。まるで彼女の心を読んだかのような用意周到さに驚きを隠せない。
「コレット様、そちらのお菓子は?」
「クレアさんが帰ってきたと聞きましたから。私なりの配慮です。もしかして迷惑でしたか?」
「いえ、丁度お願いしようとしていたので助かりました。きっと天狐様も喜んでくれます」
「天狐様とはもしや……」
「ご存知なのですか?」
「確証はありませんが、おそらくは」
コレットは談話室の扉を開けて、台車を運び込む。そして天狐の姿を認めると、彼女は顔見知りだったのか声をあげた。
「やはり天狐さんとは、狐さんのことだったのですね」
「お主はよく森に来ておった人間じゃな」
「覚えていてくれたんですね」
「山菜やキノコをあれほどたくさん摘んでいく人間を忘れるはずがないのじゃ」
「お恥ずかしい限りです」
コレットは僅かに赤くなった頬を掻く。話を逸らすように、別の話題を頭の中で捻りだした。
「そうだ! 実は松茸が自生する場所を教えてくれたのも天狐さんなんですよ」
「天狐様は知識も豊富なのですね」
「でも天狐さんは松茸が嫌いなようで……お礼にご馳走しても食べてくれないんですよ」
「天狐様にも苦手な食べ物があるのですね……ですが、松茸は王国を救う一助になりました。私からも感謝を伝えさせてください」
松茸で外貨を稼ぎ、一年間の麦を輸入できたからこそ、王都での飢えを防ぐことができた。王国が健在なのは天狐の貢献も大きかったのだ。
「ではコレット様、お菓子を天狐様に」
「はい、本日の菓子は王都一の洋菓子店から仕入れた最高級品です。きっと天狐さんも気に入るはずですよ」
「それは楽しみなのじゃ」
手の平サイズのクッキーを渡されると、天狐はそれをサクリと口にする。揺れている尻尾の動きから、味の感想を聞かなくても分かった。
「これはとんでもなく美味しいのじゃ」
「そうでしょうとも。帝国産のメープルとバターを混ぜたクッキーは、甘みも上品で、私も大好物ですから」
「さすがコレット様です。食の知識に関して右に出る者がいませんね」
「えへへ、クレア様に褒められると照れてしまいますね」
食は国家を左右する重要な要素だ。その知識に秀でたコレットは王国にとって欠かせない人材となっていた。
「稲荷の神は凄いね。まさか松茸にまで詳しいとは思わなかったよ」
ギルフォードは感心すると、読んでいた本を机の上に置き、何かを考えるように顎に手を当てる。
「吾輩は神じゃからな。何でも詳しいのじゃ」
「なら新しく松茸の自生している場所があれば教えてくれないかな」
「それくらいならお安い御用なのじゃ」
ギルフォードは地図を用意し、天狐から松茸の自生地を教えてもらう。それを聞いた彼は目線でコレットに合図を送った。
すると彼女はその意図を察したのか、「失礼します」とだけ言い残して、談話室を後にした。
「あやつはどこへ向かったのじゃ」
「松茸は王国にとって貴重な収入源だからね。新しい自生地を確保するため、動いてくれたのさ」
「あのようなキノコで大慌てとは、人間とはおかしな生物じゃの」
天狐は理解できないとクッキーを齧る。その嬉しそうな顔を見ていると、クレアの心まで安らいでしまう。
(平和な時間ですね~)
クレアはカップに注がれた紅茶を啜る。リラックスした肉体から疲れが抜け落ちていく。
だがそんな平和な時間はいつまでも続かなかった。文官の一人が談話室に飛び込んできたのだ。
「女王陛下、伝令です! 畑を荒らす狐が! 稲荷の神様が大暴れしております!」
ポカンとした表情でクレアは報告を受ける。大暴れしているはずの天狐もまたクッキーを齧る口を止めてしまうのだった。
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