第三章 ~『稲荷の神との出会い』~


 稲荷の神が祀られている祠への道のりは、過去に参拝する習慣があったためか、石階段が整備されていた。


 階段を登るたびに人里から離れていくせいか、静かな空気に包まれていく。木の隙間を通る風は冷たく、心地よさを感じられた。


(これが祠ですね)


 階段を登った先に稲荷の神を祀るための小さな殿舎が置かれていた。時の経過を感じさせるように、苔がびっしりと張り付いている。


(この祠も建国の時から存在するのでしょうね……)


 王国の歴史は、和国から流れてきた旅人が現地の者たちと交わったことから始まっている。だからこそ王族のルーツは和国人なのではとの説もある。王族に黒髪黒目が多いのも、その説の信憑性を高めていた。


 この祠もきっと建国時に祖先が建てたものなのだろう。


 その後、王国では、痩せた土地で麦の生産をするよりも、魔物肉の販売にシフトしていった。


 その結果、豊穣を願う者が減り、祠に参拝する文化が廃れてしまったのが、放置されるようになった理由なのだろう。


(どうか、稲荷の神様、お静まりください)


 祠の前で手を合わせて祈りを捧げる。その祈りが届いたかのように、祠の奥の茂みから一匹の子狐が姿を現す。


「お主、吾輩に何かようなのじゃ?」

「ど、どうして狐が喋って……」

「むろん、吾輩が神だからじゃ」


 ただの子狐でないことはクレアも気づいていた。肉体に秘めた魔力量の多さや、四本ある尻尾、それに神秘的な白銀の毛並みをしていたからだ。


 だがその神秘性に気づいていて尚、クレアは子狐の愛らしさに目が輝かせる。そして我慢できずに、抱きしめた。モフモフとした肌触りが心地良い。上質な絹に触れているかのようだった。


「可愛いですねぇ♪」

「不敬じゃぞ、吾輩を誰と心得る?」

「稲荷の神様ですよね?」

「知っておるのなら話は早い。吾輩は千年もの間、この地を支配してきた神であり、神獣の中でも最上の格を持つ天狐なのじゃぞ。もっと吾輩に恐れ慄くのじゃ」

「天狐様というのですね。ふふ、名前も愛らしいですね♪」

「話が通じてないのじゃ!」


 格の高い神だとしても、外見が子狐なせいで、クレアに遠慮がなくなっていた。ギュッと抱きしめる力を強くしようとすると、逃れるように彼女の胸元から離れた。


「お主の遠慮のないところは母親そっくりなのじゃ」

「お母様をご存知なのですか?」

「よく豊穣を祈りに来たのじゃ。いつもお供えを忘れぬ、信心深い人間だったのじゃ」


 過去を懐かしむように天狐は目を細める。その表情から王族と深い関係を築いてきた伝承が真実だったのだと察せられた。


「お供えであれば私も持ってきましたよ」

「そのバスケットの中にあるパンのことじゃな⁉」

「中を見ていないのに、よく分かりましたね」

「こう見えても神じゃからな」


 ただ食いしん坊なだけなのではと疑いつつも、バスケットを捧げる。天狐は器用に中に入っているブールパンを取り出すと、ガブリと噛り付く。


「うん、改良の余地はあるが、悪くない味なのじゃ」

「ふふ、気に入ってくれたようで嬉しいです」

「これからも、お供えを忘れぬようにするのじゃ」

「分かりました。でも天狐様も畑を荒らしたりしないでくださいね」

「吾輩は豊穣の神じゃぞ。力の源である小麦畑を荒らすわけないのじゃ」

「でも狐の姿を目撃した人がいると……」

「それは吾輩が畑を荒らしている魔物を仕留めていたからじゃ。おそらくその光景を目撃されたのじゃ」

「なるほど。天狐様は善き神様だったのですね」


 話の筋は通っていた。麦が実れば実るほど、来年の豊穣を祈り、天狐を崇める民が増える。畑を荒らす理由がないのだ。


「でも天狐様が他の魔物を倒したりできるのですか?」

「お主、吾輩を侮っておるな?」

「可愛いとは思っていますよ」

「この小さな身体は仮の姿なのじゃ。不用意に人間を怖がらないための吾輩なりの優しさなのじゃ」


 本当の姿は見上げるほどに巨大な体躯だと、天狐は続ける。農夫たちの目撃証言からも畏怖を感じさせる姿なのだろう。


「天狐様が優しい狐さんで良かったです。では、誤解が解けましたし、私はこちらで失礼しますね」


 クレアは立ち去ろうとする。すると、その行く手を阻むように、天狐が前を遮る。


「どうかしたのですか?」

「わ、吾輩は暇なのじゃ。もし、お主が望むなら一緒にいてやってもよいのじゃぞ」

「天狐様……」

「そ、その代わり、吾輩は神じゃからな。共に暮らすのなら貢物は忘れぬようにするのじゃぞ」

「ふふ、胆に銘じておきますね」


 祀られた祠には、長い間、誰かが訪れた痕跡はなかった。天狐もまた寂しかったのだと察する。


 クレアは天狐を抱きかかえて、石階段を降りていく。その足取りは昇りの時より軽快だった。

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