第四章 ~『回復魔法と天敵』~


 執務室で仕事中のクレアは困ったように眉を落としていた。いつも温和な天狐が不機嫌そうに頬を膨らませていたからだ。


「天狐様、どうか怒りを鎮めてください」

「吾輩が村を襲った犯人にされているのじゃ。許せないのじゃ」

「冤罪だと皆さんには伝えておきましたから。天狐様の無実を信じてくれたはずです」


 魔物が村を襲撃する事件が起き、小麦を盗まれた食料の備蓄庫には書き置きが残された。そこには『女王の治政に対する稲荷の神の怒りをここに』と記されており、クレアの評判を落とす狙いがあった。


「吾輩の無実を本当に信じてくれるのじゃろうか?」

「天狐様は普段から王都で顔を売っていましたから。暴れた狐が偽物だと分かる人たちは多いはずです」


 人の噂は伝搬する。真実を知る者が広めてくれれば、天狐が犯人ではないと皆も分かってくれるはずだ。


「真犯人はルイン様でしょうね。懲りない人です」

「吾輩が成敗してやるのじゃ」

「天狐様のお手を煩わせなくても何とかなりますよ。なにせアレックス様の部下の人たちが王都に帰ってきましたから」


 小麦粉を輸出し、共和国との友好関係が進んだおかげだった。将軍であるアレックス本人は完全な緊張状態が解消されるまで留まっているが、部下たちは一足先に帰還したのである。


「先ほど、早馬が届き、暴れていたデビルフォックスを捕まえたのと報告も届いています。これで騒ぎも終着へ向かうはずです」

「じゃがルインにまた増やされたらどうするのじゃ」

「それに関しては大きな心配はいりませんよ。デビルフォックスの使役は簡単ではないそうですから」


 ルインの父、ケントから従属魔法の特性に関してレクチャを受けていた。その力は万能ではなく、使役するためには魔物を瀕死に追い込む必要があるのだ。


 デビルフォックスは強力な魔物でルインが総力を尽くして、ようやく使役できる魔物だ。さらに個体そのものの数も少ない。そのため簡単に数を用意することができないのだ。


「じゃがゴブリンは増やせるのじゃろ?」

「そのゴブリンも帝国から数が減っているとウィリアム様からお聞きしています。近衛兵の人たちが王国からゴブリンを排除してくれていますから。あともう少しで、ルイン様は駒を失い、無力化されるはずです」

「じゃが、小麦を奪われたのは悔しいのじゃ」

「それに関しては手を打ってありますので心配いりませんよ」


 クレアは笑みを零す。あの麦には罠が仕込まれていた。ルインが盗んだことを後悔する日も遠くない未来の話だ。


「やぁ、クレア。ここにいたんだね」

「お兄様、いらっしゃったのですね」

「捕まえたデビルフォックスの様子がおかしいと聞いてね。魔物の討伐経験の多い僕に診て欲しいと依頼があったんだ」


 ギルフォードの武力は王国でも五本の指に入る。そのため兵士で対処しきれない魔物の討伐を任される機会も多く、丁度、王都にいたこともあり声がかかったのだ。


「私もご一緒してもよろしいでしょうか?」

「もちろんだとも」


 クレアとギルフォードは王宮の外れにある厩舎へ向かう。本来は魔物を留めておける場所ではないが、兵士が監視しているおかげか、柱に繋がれたデビルフォックスは大人しくしていた。


「この魔物が暴れていたのですね」

「吾輩を語っていたとは思えないほど大人しいのじゃ」

「本当ですね……」


 デビルフォックスは意思を感じさせない無気力な目をしている。衰弱しているわけでもなく、野生の魔物ではありえない様子だった。


「お兄様は異変の正体が分かりますか?」

「おそらく従属させられたままなんだろうね。ルインからの命令を待っている状態なんだ」

「だから異常なほどに大人しいのですね」


 野生の魔物なら鎖に繋がれた状態から逃げ出そうとするはずだ。指示がなければ暴れることさえできないデビルフォックスに哀れみを覚える。


「このデビルフォックス、首のところに傷を負っていますね」

「捕まえる際に兵士が傷つけたんだろうね」

「人の命には代えられませんし、仕方ありませんね」


 ただ捕まえた後なら話は別だ。大人しくしているデビルフォックスの傷を治してあげたいと、クレアは傷口に手を近づける。


 魔力を手の平に集め、癒しの輝きを放つ。眩い光に包み込まれたデビルフォックスの傷は瞬く間に塞がった。


「これでもう痛くありませんよ」


 クレアの優しげな声に反応したのか、デビルフォックスの瞳に理性が宿る。起き上がると、嬉しそうに頭を下げた。


「お兄様、もしかしてこれ……」

「従属の魔法が解除されているね。毒や麻痺と同じ、心身の不調だと判定され、回復魔法が効力を発揮したんだろうね」


 思わぬ発見に二人は驚く。ルインにとってクレアはまさしく天敵だったのだ。


「さて、デビルフォックスをどうしようか」

「大人しくしているなら王宮に置いておくのも構いませんが……」

「知能が低くても本能でクレアに恩を感じているみたいだし、きっと悪さしないさ」

「お兄様がそう言うなら、信じてあげることにしましょう」


 クレアはデビルフォックスを繋いでいた首輪を外す。しかし逃げ出したり、暴れたりすることはない。厩舎で大人しく、丸くなっていた。


「ルインの能力の弱点も知れたし、手足となる魔物も奪えた。彼らの野望を打ち砕くまで、あともう少しだね」

「ですね」


 二人は目を細めて、大慌てのルインを想像する。その様子が鮮明に脳内で描かれ、小さな笑みを零すのだった。


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