第三章 ~『ウィリアムの来訪』~


 第一皇子のウィリアム来訪を知らされ、クレアとギルフォードが王宮に戻る。第二皇子のダリアンが訪れてきた時と違い、クレアに緊張はない。


 ダリアンは敵である。その彼が宣戦布告してくるとなれば、クレアにも覚悟が求められる。しかしウィリアムとは友好的な関係だ。


 さらに帝国と王国のパワーバランスの問題で、もし彼が対等な立場で対話を望むなら、わざわざ王宮を訪れるような真似はしない。


 つまりクレアに誠意を示す必要があったのだ。十中八九、頼みごとがあるのだと予想する。


「コレット様、お待たせしました」


 クレア不在の間、王宮を取り仕切っていたコレットと合流する。彼女の額には玉の汗が浮かんでいる。


「クレアさん、ギルフォードさん。第一皇子は応接室でお待ちですよ」

「ウィリアム様はお一人ですか?」

「はい。護衛の人たちは別室でお待ちですから」


 物々しい護衛を付けていたと、コレットは続ける。彼は立場のある皇子だ。危険が多いからこその護衛なのだろう。


「お兄様、準備はよろしいですか?」

「もちろんだ」


 応接室の扉を開けると、ウィリアムは黒塗りのソファに腰掛け、紅茶を楽しんでいた。燃えるような赤髪と赤眼、彫りの深い顔立ちは、相変わらず彫刻のように美しかった。


「お待たせしましたね」

「急な来訪だ。いくらでも待つとも。それに美味しい紅茶と菓子を楽しめたからな。無為な時を過ごしていたわけではない」


 テーブルの上には紅茶だけでなく、苺のショートケーキも置かれている。味を気に入ったのか、既に完食していた。


「美味しい食事は富国の証だ。特にこのケーキ、小麦独特の雑味がない」

「我が国独自の製粉技術のおかげです」

「それは興味深いな。だが教えてはくれないのだろう?」

「もちろん。王国の大事な機密ですから」


 天狐から教わった製粉技術は帝国を上回っている。このアドバンテージを捨てるほど、クレアは愚かではない。


「技術で帝国の先に行くか……総合的にはまだまだ及ばずとも、強い国となったな」

「ウィリアム様が一年の平和と小麦を安く売ってくれたおかげです」

「ふっ、訂正しよう。強くなったのは国だけでないようだ」


 ウィリアムの瞳はクレアを真っ直ぐに見つめていた。成長した彼女を対等なライバルとして認めたのだ。


「それで本日はどのようなご用件ですか?」

「私と結婚して欲しい」

「また冗談ですか?」

「今度は本気だ。父上が頻繁に倒れるようになってな。クレアには傍に居て欲しいのだ」


 クレアは皇帝のためならいつでも帝国に駆けつける心積もりだ。しかし命を落としては、どれほど彼女の回復魔法が強力でも治せなくなる。だからこそ、今後、ますます重要性の増すクレアを傍に置いておきたいとウィリアムは考えたのだ。


 しかしクレアは首を横に振る。


「残念ですが、私の答えは変わりません」

「私が嫌いか?」

「いいえ、ウィリアム様は純粋な人ですから。決して、悪人ではありませんよ」

「なら……」

「でも愛してはいませんから」

「そうか……」


 懇願しても駄目だと悟ったのか、ウィリアムは肩を落とす。それほどにクレアのガードは固かった。


「でも驚きました。ウィリアム様がこれほど御父上想いだとは思いませんでしたから」

「……私は父上を尊敬しているし、長生きをして欲しいとは願っている……だがそれだけが理由ではない」

「というと?」

「第二皇子の勢力が増しているのだ。もし父上が亡くなれば、皇帝の座を奪い合うことになるが、現状のパワーバランスでは後れを取る可能性が高い」


 少なくとも力関係がひっくり返るまでは元気でいてもらわなければ困ると、ウィリアムは続ける。彼らしい忌憚のない意見だった。


「ダリアンは君よりも優秀なのかい?」


 ギルフォードが訊ねる。彼はウィリアムの優秀さを知っていた。だからこそ、ダリアンに後れを取っていることが信じられなかったのだ。


「貴様も知っての通り、私は優秀だ。正攻法なら誰にも負けない自信がある」

「つまりダリアンは正攻法ではない手を使うんだね」

「奴は悪魔だ。私の屋敷をゴブリンたちに襲撃させたのだ。外出していて助かったが、私の命を奪うことにも躊躇いがない上、証拠がないが故に糾弾もできない」


 一流の悪党は証拠さえ残さない。ただ卑怯なだけの敵ではないところがダリアンの厄介な点だった。


「しかもだ、奴は王家の血を引いていると噂されている」

「本人が語っていたよ。僕は嘘だと見做しているけどね」

「だが信じる者もいる。なにせ父上は先代女王に惚れていた。頼まれれば養子を皇子として迎え入れるくらいのことはするだろうからな」


 ウィリアムは皮肉げに笑う。その笑みには父親を尊敬しつつも、愚かだと嘲笑する複雑な心情が浮かんでいた。


「ということで、クレア。もう私と結婚しろとは言わない。だが父上が危篤になればすぐに駆けつけて欲しい」

「もちろんです。それにウィリアム様に恩を売るのは悪い話ではなりませんから」

「……暫く見ぬ間にしたたかな女になったな」

「褒め言葉として受け取っておきます♪」

「もちろん褒めているとも。だが油断禁物なのは変わらないぞ。なにせ、あの男は王国を乗っ取るつもりだからな」

「知っています。なにせ宣戦布告されましたから。ですが簡単に玉座を奪われたりはしません」


 国民のためにもクレアは玉座を渡すつもりはない。だがウィリアムは心配するように目を細める。


「簡単ではないだろうが、王家の血筋さえあれば玉座の簒奪は不可能ではない。なにせ国民は強い王を望む。王国が弱体化すれば、新たな王を望む者が現れてもおかしくはないからな。それに、奴にはルイン公爵も付いている」

「魔物を操る能力を警戒しているのですか?」

「それもある。だが最も厄介なのはヌーマニア公爵家の嫡男である点だ。アイスバーン公爵家の令嬢である妻のサーシャと二人合わせて敵に回れば、公爵家と帝国を後ろ盾にして、強引に国王だと認めさせることも可能だ」


 王国は女王を三つの公爵家が支える形で成り立っている。スタンフォールド公爵家を味方にできずとも、残り二つの公爵家を手中に収め、帝国のサポートを受ければ、国家運営に支障をきたすことはない。即ち、ダリアンは玉座を奪いさえすれば、王国の支配を容易く実行できるのだ。


「負けられない闘いになりますね」

「だからこそ私が優勢になるまでは、父上の命が重要になる。クレアが帝国の運命を左右するのだ」

「責任重大ですね」

「無理をさせることになる。だからこそ治療の対価を与えたい。何か欲しいものはないか?」

「平和さえあれば他には何もいりませんよ」

「それでは私が納得できない……そうだな、確か王国で畑を作っていたな。魔法使いは足りているのか?」

「ウィリアム様の部下の魔法使いを貸してくれるのですか?」

「ベテランの腕利きを貸してやる。稲の成長を促進する上級魔法の使い手もいるぞ。実り豊かな黄金の畑に変えてやるから楽しみにしていろ」

「それは嬉しい贈り物ですね」


 二人の協力関係は成立した。互いに対等だと認め合うように、手に力を込めて、同盟の握手を交わすのだった。

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