第三章 ~『母の思い出のカフェ』~


 ダリアンの宣戦布告から時が過ぎたが、新たな騒動は起きることなく、平和な時間が続いていた。


(でも、ダリアン様は諦めるような人ではありませんね)


 一度会っただけだが、ダリアンの人柄は把握できた。目的のためなら手段を選ばず、その執念は蛇のようにしつこい。現状で大人しくしているのも、報復の機会を伺うために雌伏していると考えた方が自然だ。


(でも本当に血の繋がった兄妹なのでしょうか)


 今のところ証拠はない。すべてダリアンの自己申告だ。


 それにクレアにとって兄とは特別な存在だった。いつでも一番の味方になってくれるギルフォードのような男性こそ、彼女にとっての兄だった。


(悩んでも答えはでませんね)


 ダリアンに対する悩みを忘れるため、クレアは王都へと足を運ぶ。名目は視察だが、リフレッシュも兼ねていた。


(この街はいつだって素敵ですね)


 柿色の瓦屋根と煉瓦造りの商店が並んでいる。目抜き通りは人で賑わっており、活気のある客引きの声で満ちていた。


「女王陛下、うちの果物はどうだい!」


 恰幅の良い中年女性が林檎片手に声をかけてくる。面識のある相手にクレアは笑みを返す。


「美味しそうな林檎ですね」

「うちの自慢の商品だからね。今日は視察かい?」

「はい。街の雰囲気を知ることが、国全体の状況を把握する一番の近道ですから」


 国の景気が良いか悪いか、国民が幸福か不幸かは、街の人たちの顔を見れば察せられる。机上で算盤を叩いているだけでは得られない生の情報を得るため、クレアは度々王都を訪れており、眼の前の中年女性ともその中で知り合った関係だった。


「でも、女王陛下が一人で危なくないのかい?」

「一人ではありませんよ。私の傍には天狐様がいますから」


 天狐はクレアの胸の中でスヤスヤと寝息を立てていた。だが、もし彼女がピンチになれば、天狐は誰にも負けない護衛となる。だからこそ安心して王都を視察できていた。


「次に来た時は買っていっておくれよ」

「約束します」


 女性と雑談を交わした後、クレアは視察を再開する。彼女の存在に気づいた者は、皆、笑顔を向けてくれる。統治が上手くいっている証拠だった。


(国民の皆さんを幸せにするためにも、ダリアン様には負けられませんね)


 王国を恨んでいるダリアンが玉座を得るようなことがあれば、国民にどのような怨嗟が降り注ぐか分からない。


 女王の立場は渡さないと心に誓っていると、気づかない内に目抜き通りの端まで辿り着いていた。ガラス越しにカフェの店内が目に入る。


(雰囲気のある店ですね)


 吸い込まれるように店内に足を踏み入れると、店主の老紳士が出迎えてくれる。白髭を蓄えた容貌は気品を感じさせた。そのまま流れるような動作で、クレアを窓際の席へと案内してくれる。


「ようこそいらっしゃいました、女王陛下。ご注文は?」

「ではコーヒーをください」

「かしこまりました」


 店主は口元に微笑を浮かべると、厨房へと消えていく。店内にクレア以外の客の姿はない。


 お昼のピークを過ぎていたからだろう。静かな店内で穏やかな時を満喫していると、コーヒーが運ばれてくる。


「いい香りですね」

「共和国から取り寄せた豆を使っていますから。ミルクと砂糖は如何ですか?」

「いえ、ブラックのままで頂きます」


 店自慢の豆ならば素材のままに味わいたい。コーヒーを啜ると、程よい酸味と苦味が口の中に広がった。


「私の好きな味です」

「やはり先代と味覚も似ていますね」

「お母様もこの店に⁉」

「常連でしたからね。この店だけは誰にも教えたくないと、いつも一人で訪れてはコーヒーを楽しんでいましたよ」


 クレアは母親のことをほとんど知らない。だからこそ些細なことでも、新しい一面を知れたことを嬉しく思う。


「ただ、あの時だけはお連れの方がいらっしゃいましたね。筋肉質な男性で……そう、確か共和国で暮らしていたと話していましたね」

「その話、詳しく教えてください!」


 クレアは先代女王が共和国に滞在中に生まれている。もしかしたら、その男性は父親の可能性もある。身を乗り出して訊ねるが店主は首を横に振った。


「申し訳ございません。それ以上の情報はなにも」

「そうですか……」

「きっとどこかでご存命だと思いますよ。元気を出してください」


 店主の言葉の根拠は薄い。だがクレアは生き別れた父親がどこかで生きているはずだと信じることにした。


(いつかきっと再会してみます)


 故郷の味を舌に焼き付けるため、もう一度コーヒーを啜る。苦味と酸味を楽しみながら、父親の姿を夢想するのだった。


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