第三章 ~『医務室のケント』~


 ルインの父、ケント・ヌーマニア公爵は、魔物に襲われ、王宮の医務室へと運ばれた。王家お抱えの医師たちによって応急処置がなされていたが、傷が重症のため、包帯の上から血が滲んでいた。


「遅くなりました!」


 クレアが医務室の扉を開けると、医務室のベッドを囲っていた医師たちが安心する。その表情から薬品による医療では治療できないと察せられた。


「女王陛下、我々の方で手を尽くしましたが、命を取り留めるのが精一杯で……」

「酷い重症ですね。両手両足にゴブリンの歯形がいくつも残っていますし、ルイン様は身内にも容赦なく手を掛けたのですね……」


 魔物を自由に操れるルインが父親を襲わせたのだとすると、その傷跡から彼の人間性を窺い知れる。かつては愛した人がこれほど残忍な悪魔へと変貌したことに、悲しみさえ覚えてしまう。


「でも安心してください。私の回復魔法なら治せますから」


 クレアは手の平に魔力を集める。女王としての責務を果たす中で、癒しの力は強まり、どんな重症でも元通りに治療できるようになった。


 事実、クレアが放った眩いほどの光の奔流は、ケントの肉体を癒し、傷痕一つ残さずに完治させた。


「ここは……クレア様!」

「お久しぶりですね。お身体は問題ありませんか?」

「確か、私はゴブリンの群れに襲われて……クレア様に治療して頂いたのですね。この命を救って頂いた恩は一生忘れません」


 ケントは禿頭を勢いよく下げる。ルインと違い、父親の彼は真っ直ぐな心根の人格者だった。


「頭を上げてください。私はやるべきことをしただけですから」

「ですが私はルインの父親です。女王と婚約破棄するような馬鹿息子を育ててしまった罪がありますから……私に救われる価値はありませんよ」

「いいえ、あなたは生きなければなりません。そして、王国の民のためにも、どうか、胸を張って生きてください」


 ケントはヌーマニア公爵家を率いる優秀な人物だ。失えば王国の大きな損失になる。それにルインが婚約破棄した怒りを父親にぶつけるのは筋違いだ。その想いがケントにも伝わったのか、僅かに微笑む。


「本当にルインは愚かなことをした。これほど素晴らしい女性を捨てるとは……」

「ふふ、ルイン様に婚約破棄されて唯一の後悔は、あなたを義父と呼べないことかもしれませんね」

「私も娘と呼べないことが残念ですよ」


 二人は顔を見合わせて微笑みあう。互いに確執がないと確認し合えたからだ。


 冷静になったところで、医務室の扉が開かれた。彫りの深い顔立ちで、頬に切り傷が刻まれた男が入室してきたのだ。


「おう、元気か、ケント」

「アレックス公爵が、どうしてここに?」

「怪我をして運ばれたと聞いてな。見舞いだ」


 アレックスは見舞い品の花を、ベッドの傍に置く。橙色のガーベラと、白色のバラが鮮やかだった。


「見舞いはどうやら不要だったようだな」

「クレア様に治療していただきましたから」

「そうか……それで犯人は息子か?」

「間違いないでしょうね。なにせ私を襲ったゴブリンの大群は、馬車に積んでいた食料品には目もくれず、私だけを狙ってきましたから」


 ゴブリンは比較的知能の高い魔物だ。だが食欲という本能を無視してまで、人を襲うような習性はない。本来のゴブリンなら煮ても焼いても食えないケントより食料を優先するはずなのだ。


「魔物を自由自在に操る魔法、こんなことができるのは息子くらいのものでしょうね」

「家を追放された逆恨みか?」

「その可能性が高いでしょうね。ですが断罪はできませんよ。なにせ証拠が残りませんから」


 ルインは第二皇子の側近となった。無計画に恨みを晴らそうとすると、その罪は立場を揺るがしかねないため、暴挙に出るのを躊躇わせる。


 しかしルインの魔法は魔物を自由自在に操れる。人を襲っても、証拠がないため、魔物の仕業だと言い逃れできてしまうのだ。


 厄介な相手だと、アレックスとケントは黙り込む。しかしクレアだけは違った。


「あの、ルイン様は本当に恨みだけで行動しているのでしょうか?」


 クレアはルインの行動に疑問を覚えていた。感情だけで動くなら、最初に狙われるのがケントだと筋が通らないからだ。


「もし私がルイン様なら、家を追放された直接的な原因の私を狙うはずです。次点でお兄様でしょうか。少なくともケント様が襲われるのは、もっと後のはずです」

「……ではどうして息子は私を?」

「領主の地位を狙っているとしたらどうでしょう?」

「――ッ……あ、ありえますね。勘当したとはいえ、唯一の嫡男です。私が亡くなれば、次期領主は息子が継ぐでしょうから」


 恨みではなく、実益を求めての襲撃だとすると、簡単に諦めることはしないはずだ。今後も命の危険が付きまとうことになる。


「ならやれることは一つしかないだろ。やられる前にやる。こちらから反撃すればいい」

「いえ、勘当したとはいえ息子は息子。甘いと言われるでしょうが、傷つけるつもりはありません」


 ケントは目を細める。どこか哀愁漂う表情には、親の愛が満ちていた。


(親子の絆とは素晴らしいものですね)


 両親の愛を知らないクレアだからこそ、その絆はより一層羨ましく感じられた。


「仕方ねぇ。ルインの奴を排除できないなら、こちらからできることは一つしかねぇからな。俺が護衛してやるよ」

「私をですか?」

「おう、同じ公爵で腐れ縁だからな。ただし、美味い酒でもご馳走してくれよ」

「任せてください。私の領地で最高の品をお出ししますよ」


 王国で最強の軍事力を誇るアレックスが傍に居れば、身の安全は保障されたようなものだ。ガッチリと握手する二人から、友情を感じ取り、クレアは微笑ましげに口角を上げるのだった。

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