第三章 ~『魔法学園の成果』~
クレアが一年間の平和で手に入れたものは小麦だけではない。もう一つ、有望な者たちに魔法教育を施し、国力の底上げを図っていた。
そのための教育機関である魔法学園の視察へと、クレアはギルフォードと共に赴いていた。学園は王立図書館を改修して転用されており、染みついた本の香りと、古い傷が残された内装が歴史を感じさせる。
「ようこそいらっしゃいました、女王陛下、ギルフォード公爵様」
金髪を頭の上で三つ編みにし、銀縁の眼鏡をかけた女性が出迎えてくれる。かつてコレットと側近の座を争い、魔法学園の学園長に就任したネイサだ。
「ネイサ様、お久しぶりです。お元気でしたか?」
「眼が回るような忙しさでしたが、充実した毎日を過ごせています」
「ネイサ様の御活躍は王宮まで届いていますよ。ご立派になられましたね」
かつてのネイサは平民に対して差別意識があった。ギルフォードの下で働くことで、その欠点を克服し、魔法学園の運営という大役を任されたが、クレアが期待していた以上の成果を出していた。
「新たな魔法の発見に、世界的に評価される魔法論文の執筆、さらには生徒たちからの評判も良好と聞いています。さすがですね」
「いえ、私だけの力ではありません。ギルフォード公爵様にも助けていただきましたから」
「僕は助言しただけ。君が頑張ったのさ」
部下の成果を認めてあげるギルフォードは、上司の鏡のようだった。ネイサもまた彼のことを尊敬しているのか、信頼が表情に浮かんでいる。
「それで今日は教育の成果の一つを見せてくれるんだよね」
「はい。我が魔法学園で最も優秀な生徒を紹介します」
ネイサが手を叩くと、廊下で準備していたのか、利発そうな顔立ちをした栗色の髪の少女が入室してくる。
「この娘はアン。平民の出自ですが、貴族にも負けない才能の持ち主です。さぁ、挨拶して」
「私はアン。一〇歳になりました。得意な魔法は……」
「ん? どうかしましたか?」
「が、学園長、気になることが……あそこに子狐がいますよ」
アンはクレアに抱かれて眠っている天狐に視線を送る。どれほど優秀でも子供特有の好奇心は抑えられないのか、目を輝かせていた。
「天狐様のファンがまた増えたみたいですよ」
クレアが天狐の頭を撫でると目を覚ます。その愛らしい姿に我慢できなかったのか、アンが駆け寄ってくる。
「抱っこしてもいいですか?」
「もちろん。ですよね、天狐様?」
「人気者は困ってしまうのじゃ」
困り顔を浮かべながらも、天狐はアンの元へと行く。案外、子供好きなのか、天狐はされるがままに身を任せていた。
「女王陛下、申し訳ございません。アンは魔法の腕は優秀なのですが、まだ子供で……」
「構わないですよ。私が子供の頃はもっと幼かったですから」
「女王陛下でも、そのような頃が……」
今では王国の女王として敬意を集めるクレアも、最初からそうだったわけではない。責任を与えられ、成長したからこその今があるのだ。
「子供の頃のクレアは危なっかしいところがあってね。ほら、子犬を追いかけて隣街で迷子になったこともあったよね」
「お兄様、それは秘密ですよ!」
「ははは、ごめんね」
クレアも本気で怒っているわけではない。むしろ、昔を思い出して、懐かしい気持ちに浸っていた。
(迷子になった私をお兄様が探しに来てくれたんですよね)
一日中、駆けまわって見つけ出してくれたのだ。子供の頃から頼りになる自慢の兄だった。
「ごほん、アン。そろそろいいかしら?」
「はい、学園長。満足しました」
アンは天狐をクレアに返すと、自信を漲らせて胸を張る。
「ではアンの実力をご紹介しましょう」
「これが私の得意魔法です」
アンは手の平に魔力を集める。すると、その光は徐々に輪郭を描き、やがてはキャンディへと変わる。
「これが私の発見した魔力から食料を生み出す新魔法です」
「素晴らしい力ですね!」
「でも、お腹は膨れないんです」
「そ、そうですか……でも味がするなら、ダイエット食品としては最高です。何事も考え方次第ですよ」
ファイトだと伝えると、アンの顔に満面の笑みが浮かぶ。その光景を見たネイサもまた微笑んだ。
「女王陛下はお優しいですね。いつか結婚する殿方が羨ましいです」
「私に結婚なんてまだまだですよ」
「そうだとも、クレアは誰にも渡さないからね」
クレアの結婚に反対するギルフォードに、ネイサはクスリと笑う。
「ギルフォード公爵様は本当に女王陛下がお好きですね。ならいっそのこと結婚されては?」
「僕もそうしたいんだけどね」
ギルフォードの回答に、クレアは固まる。今までの彼なら兄だからときっぱり断っていた。初めて聞いた前向きな回答だった。
「お兄様も変わりましたね」
「一年、君と一緒に仕事してきたからね。色々と心境も変化するさ」
ギルフォードは誤魔化すように曖昧な表情を作る。その感情を読み取ることはできなかったが、互いの関係性が少しずつ前へ進んでいると実感するのだった。
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