最終話

 それから約二週間、譲は悶々とした日々を過ごした。暗黙的に昼休みのいじめすら封じられていたのである。もしかするとやり過ぎたか、とも思ったが、これまでどんないじめだろうとやり返してきた直人が急に冷めるとも思えなかった。そもそも彼自身から、終業式まで待て、と言ったのだから

 絶対にそのようなことは考えられない。



 そうこうしているうちに、二学期の終業式の日になった。周囲からパーティーがどうこうという話が聞こえてきたが、孤独な譲には関係のない話であるはずだった。そのパーティー関係の話題の中で、直人の名前が出てきていたのだ。直人は一体何をするつもりなのか、譲には理解不能だった。

 終業式も滞りなく終わり、明日から冬休みとなった。みんな各々の年末年始を楽しむために、そそくさと帰っていった。だが譲だけは学校に残っていた。直人を待つためである。校門の前で、彼は直人を待った。周囲の目も気にしてはいない。今は直人からの快楽的な屈辱を求める獣そのものだった。

 待ち続けること数十分、とうとう直人が現れた。直人は譲を見つけると、優しく微笑んだ。初めて譲が彼に話しかけた時と同じような、美しい微笑だった。


「待っててくれたんだ」


「今日まで待てって言ったのはお前だろ」


「そうだけどさ……ここで話すのもあれだから、部屋に行こうよ」


 二人は直人の部屋に着くまで一言も話さなかった。彼等の欲望を全てあの部屋で解放するために。



 そして譲は、二週間ぶりに直人の部屋へと足を踏み入れた。時間が早いためか、窓からは西日が射していない。茜色のライトのないこの部屋の光景を見るのは、譲は初めてだった。


「ここまで大変だったよ。まさか佐渡君があんなことするなんて思わなかったからさ」


 そう言いながら直人は二人掛けのソファに座ってジュースを飲んだ。目の前には昼食も置かれている。譲も彼にならってもう一つのソファに座る。


「せめていつもみたいに体育館の裏とかにしてくれたらよかったのに、そしたらあの後すぐに君をいじめられたのにさ」


「そんなに準備が大変だったのか?」


「大変だったよ。大丈夫、今に分かるから」


 その後も直人との談笑は続いたが、彼が行動に移す素振りを全く見せない。一体いつ譲の求める屈辱が披露されることになるのだろうか――。



 そうこうしていると、窓から西日が射し始めた。そして部屋の中に大きな茜色のスポットライトが生まれた。譲の見慣れた光景ができあがった。


「そろそろ良いかな」


 直人は立ち上がると何やら準備をし始めた。その間に譲に話しかける。


「さあ、お待ちかねのショータイムだよ。まずは服を脱いでね」


 譲は言われた通り上半身裸になった。彼の肉体が顕わになると、直人は不服そうに言った。


「佐渡君さあ、君が僕に言ったこと忘れたの?」


 直人の言いたいことはすぐに分かった。譲は下半身も脱ぎ始めた。直人は嬉しそうににやにやしていた。譲はトランクス一枚の姿になった。


「君もトランクスなんだね。よく似合ってるよ。じゃあ、そこに正座してくれる? 幕の方を向いてね」


 直人が指さしたのは、窓からの光が当たる場所だった。譲は指示に従った。夕陽が彼の引き締まった体をより鮮明にした。その時ふと譲は考えた。そういやあの幕は結局何なのだろう――。

 目の前に直人が立った。彼は右手に首輪を、左手にリードを持っている。直人はリードをぶんぶん振り回して脅している風であった。


「首輪くらい自分でつけれるでしょ?」


 直人は首輪を投げつけた。すぐに譲は自ら首輪を装着した。


「素直でかわいいね、良い子良い子」


 直人は愛犬を可愛がるように頭を撫でた。譲は羞恥で顔が赤くなった。

 直人はテーブルの上の昼食を譲の前に運んだ。普段の譲が口にすることのない、高級な食材が盛りつけられていた。


「本当はワンちゃんにあげるのはすごくもったいないご飯だっていうの、忘れないでね。さあ、お食べ。もちろん、どうやって食べるかは、言わなくても分かるよね?」


 譲は手を床に着くと、口だけを使って目の前のご馳走を頬張った。食べたことのない高級な食材であることが、より彼に屈辱を与えた。

 直人は満足そうにその場を離れた。彼は例の幕の傍まで来ると、譲に声をかけた。


「ねえ佐渡君、君はこの幕の後ろに何があると思う?」


 譲は分からないという風に首を横に振った。


「前に僕の隣の大きな扉の先のことについて訊いてきたよね? この後ろがその答えさ」


 直人が幕を上げるスイッチを押した。ゆっくりと幕が上がっていく。その光景を見て、譲は愕然とした。そこには壁一面がガラス張りになっており、隣の部屋が丸見えになっていた。その中には――譲と直人の同級生達が集まっていたのである。


「これはどういうことだ?」


 譲がおそるおそる訊くと、直人は平然と答えた。


「社交場だよ。その様子を見たいから、ここに僕の部屋を置いてもらったんだ。安心していいよ。これ、マジックミラーだから向こうから見えないし」


「どうやったんだ?」


「冬休み前にパーティーするからって招待状を送っといたんだよ。みんなちょろいね、高めのプレゼントを用意してるって書いたら、こうやってほとんどの人が来てくれたんだから。普段は僕と喋ろうともしないくせにね」


 直人がさらに言うには、この部屋はもともと社交場用の控室だったらしく、マジックミラーも向こうの様子を確認するためのものであったらしい。


「まさかこんなことに使える日が来るなんてね、夢にも思ってなかったよ」


 口ではこう言っているが、もしかすると直人は始めからこうなるように仕組んでいたのかもしれない。自分が理想に合った人間というのも、本当はこの遊戯のための理想だったのではないだろうか――。

 直人はさらに続けた。


「あとこれ面白い機能があるんだよ」


 また別のスイッチが押された。すると突然部屋が騒がしくなった。いや、部屋がうるさいのではない。隣の社交場の音がここに響いているのである。


「マイク機能……」


「そう、これで向こうの会話は筒抜け。さあ、これでこの前と同じ状況に近づいたんじゃない?」


 譲は答えない。どうしたのかと直人が彼の視線を辿った。もちろん視線はマジックミラーに行っている。問題はそこにいる人物だった。そこには譲の元仲間達がいたのだった。

 直人は一瞬予想外な表情をしたが、すぐにまた微笑みを取り返し、譲の元へ戻ってリードを手にした。


「あの子たちもちゃんと来てくれたんだね」


 三人の会話がマイク越しに聞こえてきた。


「佐渡の奴、来てねえのか」


「そりゃあ今の空気じゃ来にくいよな」


「それとももう来てるかもしれねえぞ」


「たしかにな、今頃真園といちゃついてるかもな」


 そこにある二人組の女子が現れた。


「えっ、やっぱり真園君と佐渡君ってデキてんの?」


「デキてるだろ。足無理矢理舐めさせるとかおかしいだろ?」


「今考えてみたら、俺等の前で佐渡の足舐めさせてたのも何かのプレイだったのかもな、キメえ」


「いいじゃん、いちゃつかせてあげれば。二人ともかっこいいから絵にもなるし」


「言ってるあんたも顔笑ってるよ」


 譲は自分が涙を流していることに気づいた。その理由は屈辱だけではない。言葉で罵られ、奇異の目で見られることの歓喜も入っていた。


「これで分かった?」


 直人が後ろから耳元へ話しかけてきた。密着した彼の体は、じっとりと汗ばんでいる。


「みんな僕達のことをこういう風に見てるんだよ。嫉妬と侮蔑が混ざった目でね」


 嫉妬と侮蔑の混ざった目――彼等は二人の高い能力に嫉妬しながら、二人の恥部を知り侮蔑の目を以って屈辱を与えてくるのである。

 直人は昂った声で譲に話しかける。


「これで僕たちは本当に対等だよ。こうやってずっとみんなから蔑んだ目で見続けられるんだからね」


 直人はリードを引っ張り、譲の上体を起こした。


「さあ鳴けよ!お前はみんなの畜生なんだよ、ここでみんなの犬になるんだよ!」


 譲は屈辱と歓喜の混ざる声で、「ワン! ワン!」と何度も鳴いたのだった。

 茜色の夕陽が二人の姿態を溶かすように、熱くぎらぎらと照らし続けていた。



 彼等の関係が卒業後も続いたのかは不明である。

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