第4話

 最初は自分が不利益を被らないためだった。そのために、譲は同じようにいじめられることが分かっていても、直人の家へと足を運んでいたのだ。それに自分が屈辱を受けていることは誰にも知られていないし、翌日の昼休みにその屈辱を相手に意趣返しすれば良かったのだから。

 ところが、直人とのこのやり取りを一ヶ月以上も続けていると、本来の目的から離れた別の目的が譲の中で生まれてしまったのだった。彼は直人をいじめている時よりも、直人からいじめられている時に快感を覚えるようになっていたのである。自分が嫉妬していた相手をいじめていたはずが、逆にこちらが屈辱を受ける――まるで自分のいじめ方が足りなかったから向こうからような感覚に譲は陥っていた。そういえば直人も、譲に対して嫉妬していると話していた。もしかすると彼も、譲からのいじめが快感だったのかもしれない。以前に譲は冗談で直人が興奮していると言ったが、本当に彼は快楽に溺れて足を頬張っていたのではないか。いや、推測せずとも明らかに最近の直人は興奮を隠さなくなっていた。譲からいじめられている時も、放課後に部屋で譲に罵詈雑言を浴びせながら、時に肉体的に、時に精神的に責苦を与えている時も、彼は声が上ずり汗を流していた。もちろんこれは譲も同じだった。

 昼休みのいじめも、譲から直人への注文に近い儀式になっていた。その時の譲は、直人の苦痛に歪む顔を楽しみながら、脳内では、窓からの夕陽に照らされながら同じような責苦を与えられる自分の姿を想像して生唾を飲み込んでいた。



 気づけば十二月に入った。この日は期末テストの最終日であり、すでに勉強の緊張から解放されている者もいれば、試験開始寸前まで教科書とにらめっこをしている者もいた。

 今の譲にノートを貸してくれと声をかけてくる者はいなかった。しかし譲も特段それを気にしている様子はなかった。彼の頭は、試験後の直人との情事でいっぱいだったから。

 試験は問題なく終わらせることができた。譲は教室を出ると購買部へと立ち寄り、そこで弁当を一つ購入した。そしてその足で職員室に向かい、普段は閉鎖されている屋上の鍵を借りた。彼の裏の顔を知る由もない教師は、譲が適当な理由を伝えると、あっさりと屋上への鍵を渡したのであった。

 直人の教室に行くと、彼は本を読んでいた。教室に彼一人だったのはお互いに都合が良かった。譲は直人の耳元で囁いた。


「俺が教室出てしばらくしたら、屋上まで来てくれるか?」


 直人は黙って頷いた。廊下にはまだ何人か生徒が残っていた。譲は何食わぬ顔で教室を出ると、屋上へと向かった。



 直人が屋上の扉の間へまで来ると、譲が腕を組みながら壁にもたれて待っていた。「遅かったな」と彼が声をかけてきた。


「屋上に何か用事?」


「面白いことを思いついてな」


 譲が鍵を開けて屋上へ入った。直人もそれに続いた。今日の空は気持ち悪いくらいに快晴である。本来であれば、太陽の光が冬の寒さを和らげそうなものだが、折から吹く北風がそれを許さなかった。

 譲は屋上の端へ行くと――普段から閉鎖されているために必要ではないからか、この学校の屋上にはフェンスがなかった――そこからの景色を見下ろした。校舎から校門の間には、まだ何人もの生徒が残っていた。これもまた譲には好都合だった。


「ここで脱げ」


 譲は命令した。直人は言われた通りに脱ぎだした。これまでにも譲に脱げと命令されたことは何度もあった。直人の白い上半身は北風にさらされてさらに透き通るような白さになった。譲は近づくと彼の腕を思い切りつねった。直人の痛がる顔を見て、譲は微笑を洩らした。つねられた箇所に赤く斑点が付いた。

 直人の目は恨めしそうにしながらも、まだこれ以上のものを求めていた。譲も今日は上半身だけで許すつもりはなかった。


「下もだよ。パンツまでは脱がなくていいからな」


 直人は少し驚いた様子だったが、すぐに言われた通りに脱ぎ始めた。彼はトランクス一枚になった。


「トランクスか、お前のことだからブリーフかと思った」


 譲はカバンからあるものを取り出した。それは犬にはめる首輪だった。大型犬用なのか、その大きさは人がはめてもぴったり合うサイズだった。首輪の先にはしっかりとリードも付いている。


「言いたいこと分かるよな?」


 直人は素直に頷くと、譲の足下に座り込んだ。言われるまでもなく正座である。


「よし、素直で良い子だ」


 首輪をはめられた直人は正座のまま、譲の方を見上げた。譲は彼の頭を本当に犬を愛でるように撫でた。そして直人の前に、先程購買部で買った弁当を差し出した。


「さあ餌だ、喰えよ」


 直人は差し出された弁当を手で食べようとした。すると譲はそれを止めるように髪の毛を引っ張り上げた。


「おいおい、何お犬様ごときが手を使おうとしてんだよ。分かるだろ、俺が言いてえことがよ!」


 言われた直人は自ら手を後ろに組むと、顔を弁当の元まで下げ、口で食べ始めた。その様は譲の言う通り、お犬様そのものであった。

 譲は大笑いした。そして、これをこの後直人の部屋で自分がやるのかと想像して興奮を催した。

 ある程度直人が食べたのを見計らって、譲はリードを引っ張った。その勢いの強さで直人は倒れそうになった。


「直人、お前すげえよ! すげえ似合ってるよ! こっちに来い、みんなに見せてやるんだ」


 直人は今まで見せたことのない動揺を見せた。自分たちのこの行為を他人に見せるつもりなのか?


「さ、佐渡君、さすがにそれはやばいんじゃない?」


「良いから来いよ、お前の面白い姿、見せなきゃもったいないだろ!」


 先程譲が下を覗き込んでいた場所まで直人を引っ張ってくると、譲は彼をそこで四つん這いにさせた。直人は無理矢理下を覗き込むような姿勢にされたのだ。

 譲はその後ろからリードを持ったまま、一緒に下を覗き込んだ。下にいる生徒達はこちらには全く気づく気配もない。


「さあみんなにアピールしろよ」


「アピールって何すればいいの?」


「決まってんだろ? 犬がやるアピールつったら鳴くんだろうが」


「そんなことしたら気づかれちゃうよお」


「気づかれればいいんだよ、俺等のこの遊びをさあ! 明日から学校に来れなくなるかもな!」


「や、やだよお……」


 これまでどんないじめに遭っても泣かなかった直人が初めて泣き出した。だがそれで譲の責苦が止まるわけではない。それどころかますます彼は昂っていた。


「泣いてんのか? 泣いてんのかよ? 俺が言ってんのはそっちじゃねえよ、ワンって吠えろって言ってんだよ。泣いてる暇があったら言えるよな? ほら吠えろよ、ほら!」


 譲の怒号が大きくなる。しかしまだ下の生徒達はこちらに気づいていない。

 ついに直人は折れた。小さな声で「ワン」と鳴いた。


「そんなんじゃ聞こえねえよ。もっと大きい声で!」


 直人は続けざまに「ワン」と鳴く。「もっと!」という譲の叫びが響く。徐々に直人の遠吠えが強くなる。屋上に近い何人かの生徒がこちらを見たが、ちょうど死角になっているのか二人には気がついていない。校門の方へ向かっている生徒にいたっては、譲の怒声すら聞こえていないだろう。

 生徒がほとんど帰った頃、譲はリードを引っ張り、直人を端から引きずった。どれくらいの時間そうしていたのかは分からないが、体感では一時間も二時間も経っているのではないかと思われた。譲は直人の首輪を外した後、食べかけの弁当を片付けながら話した。


「服着たらすぐに帰れよ。教師に見られたら変な顔されるかもしれねえからな」


 要は直人に先に帰らせて今の行為の準備をさせようという算段だった。ところが直人の答えは意外なものだった。


「終業式まで、待っててくれる?」

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