第3話
翌日の昼休み、譲はいつもの仲間を体育館裏に集めた。
「話って何?」
仲間の一人が譲に訊ねた。
「真園のことだ」
「何かあったのか?」
「してやられたんだ」
譲は昨日のことを事細かに話した。自身が隠れて喫煙していたことも、自分が直人に嫉妬していたことも、契約を持ち掛けられて足を舐めさせられたことも。譲は三人の仲間と共謀して直人に復讐しようと考えていたのである。
「今日の放課後、あいつを襲う。今までよりももっときつい苦痛を与えるんだ」
ところが三人の反応は譲の予想と違っていた。彼等は一様に不審な態度に変わっていた。
「どうした?」
「ああ、いや……」
譲は少し怪訝な感情を持ったが、とにかく放課後に直人を襲撃することが決定した。
そして放課後、譲は帰宅途中の直人を見つけた。
「おい、真園!」
譲が呼び掛けた。直人は振り向いたが、他の仲間がいることにさして驚かない。
「本当に喋ったの?」
「こいつらも俺がやられたのを黙ってられないって言ってんだ。悪いな、俺はお前と違って友達や仲間がいるんだよ」
「……どうもそんな感じじゃないみたいだね」
言われて譲が仲間の方を見ると、三人共別々の方を向いて、顔を合わせなかった。
「どうした? 早く真園をとっちめようぜ」
しかし仲間の一人が言った。
「悪い、佐渡。俺今日塾があるのすっかり忘れてた。しばらくサボってたからそろそろ行かねえとまずいんだわ」
他の二人も理由をつけて断ってきた。譲が止める間もなく、彼等は早々とその場から退散した。
「くそっ、こうなったら」
譲は直人の肩を掴むと、彼の腹に思い切り拳を突き上げた。少しよろめいたところに、今度は肘鉄を喰らわす。そして顔を殴ろうとした時、これまででは考えられないことが起きた。直人が譲のパンチを避けたのである。
「顔なんか殴ったら君が怪しまれるよ」
「俺を庇おうってのか?」
「そうじゃない、君が殴ったことが知れたら契約がパーになるからさ」
「だから、そんな契約には乗らねえって」
直人は昨日のように無邪気に微笑んだ。
「どうかな? 今の状況だとそうも言ってられないと思うよ」
「何?」
「教えてあげようか? ついてきて」
直人は再び自分の家に譲を招いた。譲も今日は勝った気でいるため悠々とついていく。
そしてまたあの部屋へと入った。今日は座ることなく、いきなり譲は吹っ掛けた。
「さて、何を教えてくださるんですかね」
「君はさ、あの三人のこと友達だと思ってるの?」
失礼なことを訊くやつだと譲は憤った。
「もちろん」
「じゃあ何であの時あいつらは僕に仕返ししてこなかったわけ? おかしいよね? 佐渡君が僕に嫌がらせされたんだよ? あいつらも佐渡君を本当に大切な友人だと思ってるなら塾があっても僕のことを返り討ちにしてやろうって思うよね?」
「……」
譲が言葉に迷っているところへ、直人はさらに畳みかけた。
「あいつらはね、君を友達なんて思ってないんだよ」
いざはっきり言われてしまうと、譲の勢いも一気に沈下してしまった。彼はただ「違う」と小さく呟くしかなかった。
「違わないよ。あいつらは君に嫉妬してるんだよ」
ここから直人は、譲に話すタイミングを与えずに話し続けた。
「いいかい? 嫉妬ってのはね、人を二つの道に進ませるんだよ。一つは君みたいに嫉妬相手を蹴落としてやろうとして屈辱的なことをしてくる奴。つまり君みたいな人だね。そしてもう一つは、その嫉妬相手に取り入ってそのおこぼれを貰おうとする奴。そうしておけば自分に足りないものを補うことも盗むこともできるし、相手が何かやらかしたらそのことで自分より下にそいつを見ることができるからさ。もう分かったでしょ? あいつらは君が優秀だから、そこに取り入って自分たちも周りから良いように見られようとしてただけなんだよ」
ここで譲はようやく口を開いた。
「そんなことは……ないと思う」
「じゃあ思い出してみれば? 佐渡君の周りに来る人がどんなだったか」
小学生の頃から、譲は誰かと放課後に遊んだという記憶は無かった。彼等が譲に近づいてくるのは、決まってテストの時である。しかも彼らが口にするのはいつも同じだった。ノートを貸して、答えを教えて――中学生になってもそれは一緒だった。定期試験が近くなると、みんなこぞって譲に近づいてくるのである。そして必ず、ノートを見せてくれ、と頼んでくるのだ。よくよく考えれば、自分から話しかけることはあっても話しかけられることはなかった。彼等は譲のことを完璧なノートとしか見ていないのか?
「頼られてるんだ。それに、自分で言うことじゃないけど、女子からも人気があって……真園もそうだろう?」
直人は譲の言葉を聞いて首を横に振った。
「そんなのも勝手に騒いでるだけさ。君、一度でも告白されたことある?」
これも譲に思い当たる
譲は重い口を開いた。
「お前の目的は何だ?」
「僕はね、僕と同じ立場の人を見つけること、ずっとそれが夢だった。僕と同じように成績優秀でみんなからちやほやされて、でも本当はすごく孤独な人。君に初めて話しかけられた時、まさに理想の人間が現れたって思った。しかもおまけにスポーツも得意なんだもん。僕に無いもの持ってるなんて、初めて嫉妬しちゃった。でも佐渡君、いつの間にか僕をいじめてきてさ。佐渡君も嫉妬してるのが伝わってきた。だから僕もやり返さないと気が済まなくなってきたんだ」
譲は納得こそしていないが理解だけはしてやろうと思った。
「それで弱みを握って脅してやろうと煙草を吸ってるところを?」
「君が単純な人で良かったよ。自分から種を蒔いてくれたようなもんだからね」
「どういうこと?」
「分かんない? そういう人の心情に関する考えはあんまり得意じゃないんだね」
直人は笑いながら続けた。
「自分から仲間に言っちゃったから、あいつらが君の弱みを握っちゃったでしょ? ああいう奴等はそういうことで自分と異端なところが分かったら平気で裏切るんだ。きっと明日にはこの話が広まって、それを信じる人が増えちゃうってことさ。さすがにみんな自分の身が大事だから、先生にチクろうってする奴はいないだろうけど」
「先生は信じないだろ」
譲が言うと、直人は待ってましたとばかりに話題を変えた。
「だから僕と契約してほしいんだ。先生に言わない代わりに僕の言う通りにしてもらう」
「意味分かんねえ、それとこれとどういう関係があるんだ」
「先生は確かに信じない。でも噂が広まったらそうとも言ってられなくなるよ。一応先生も形式だけでも調べるだろうから、味方がいなくなった状況だと、誰がその噂のことを言い出すか分かんないよ」
直人の言う通り、譲は人の心理をしっかりと読むことが苦手らしい。彼にもう少し学力面以外での理知的な部分があれば、直人の言い分にも穴を見つけ、反論できていたかもしれない。だが彼には無理だった。譲はとうとう屈した。
「何をすれば良いんだ?」
「昨日みたいなこと」
「また縛るのか?」
これを聞いて直人はくすくす笑った。
「君が僕にしてきたいじめを、この部屋で僕が君にやるんだ」
「ってことは……」
「そう、こういうこと!」
言い終わらぬうちに、直人は譲の腹を殴った。力は譲よりも弱かったが、的確に急所を突いたがために、ダメージ量はさほど変わらなかった。譲がよろめくと、今度は背中に肘鉄が来た。
「だから顔は殴ってほしくなかったんだ。二人とも顔に傷があったらおかしいでしょ」
睨みつける譲を見て直人は続けた。
「あ、ここでやり返すのは無しだからね。やり返したいなら昼休みか放課後に。外と中じゃ条件は違うけど、そこはまあ目をつむろっかな」
直人の予言は正しかった。翌日、譲が教室に入ると急に空気感が変わったのである。挨拶はいつも通りしてくれるのだが、彼らの視線はいつものものではなかった。最初は直人に言われたせいで変に過敏になっているだけだと思ったが、仲間内三人ですらよそよそしくなったのを見て、完全に自分の蒔いた種が広まってしまったことを痛感することとなった。
彼は文字通り孤独になった。昼食の弁当も一人で食べた。絡みに来る同級生すらいなかった。譲は直人のいるクラスへと向かった。
「真園、ちょっといいか?」
直人は譲を一瞥し、教室を出ていった。譲も慌ててついていく。同級生達はこそこそと何か話していた。
体育館の裏まで来ると、ようやく直人が口を開いた。
「佐渡君って短絡的だよね? あんなところで急に話しかけるなんて」
「まさか、お前が裏で何か手を引いてるわけじゃないよな?」
「そんなわけないでしょ。ほとんど誰とも喋らないのに」
話をしている譲の目に水道が入った。そこにはバケツも置いてある。ちょうど顔を突っ込むことができるくらいの大きさの――。
「お前昨日やり返したいなら昼休みか放課後って言ってたよな」
「その代わり君がやったことをそのままやり返すけどね」
聞きながら譲は水道まで行き、バケツに水を汲んでいた。
「それも対等ってことか?」
「そういうこと」
「だったら!」
譲はバケツを直人の傍に置くと、そのまま直人の頭を鷲掴みにしてバケツにぶち込んだ。溢れた水は勢い良く地面に飛び散った。譲は直人を押さえ込み続けた。直人はただもがくことしかできない。
「どうだ、苦しいか? え? 何とか言ってみろよ!」
時折直人の頭をバケツから引き上げて息をさせても、すぐにまた水中に押さえ込む。譲は何度もそれを繰り返した。
授業開始五分前の予鈴が鳴った。直人はようやく解放された。力を入れることができなくなっている直人は、地面の上に仰向けに寝転がったが、その顔には満足感があった。
「佐渡君やる気だね。良いよ、僕も応えてあげる。これで終わりじゃないからね。ちゃんと今日も
放課後、二人に何があったのかは想像に難くない。直人はすでに水を汲んだバケツを用意しており、昼休みの時のように、今度は直人が譲の頭を何度も押さえつけた。
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