第3話

 昨日の三宅の電話に出た相手は一体誰だったのだろうか――診察中もそのことで頭がいっぱいになり、仕事に集中できなくなっていた。


「初診の患者さんです」


 新しく問診票が持ち込まれた。久々の初診ということもあり、早速それに目を通した。

 ところがこの問診票には大事な箇所が書かれていなかった。名前がないのである。しっかりとしたスタッフが、こうしたミスをするのは珍しい。特に初診であれば尚更である。雄一は問診票を手に受付に向かった。


「これ、もう一度確認してもらえます? 名前が抜けて……」


 こう言いながら改めて確認した雄一は、昨晩の衝撃以上の衝撃を受けた。問診票に書かれた連絡先には、雄一が散々見慣れた数字――あの例のノートを見直さなくても知っている数字が書かれていた。三宅の自宅の電話番号だった。


「すみません、ちゃんと確認したはずなんですけど」


 受付のスタッフが謝るのも待たずに、雄一は訊ねた。


「これを書いた人は? どんな人でした?」


「えっとたしか……誰か憶えてます?」


 他のスタッフもよく憶えていないようで、全員の答えが曖昧だった。強いて出てきた情報は、黒っぽい服を着てたような、くらいのものだった。雄一は待合室を見渡した。黒い服を着た患者は一人もいない。

 尾高は急いで外に出た。病院の外にそれらしい人物は見つからない。問診票だけ書いてどこかへ行ってしまったのか?


「先生、どうしたんですか?」


 スタッフの一人が雄一を追いかけてきた。


「え? ああ、いや、何でもありません。あの問診票は捨てといてください」


「でも、すぐに戻ってこられるかも……」


「別に構いませんから! シュレッダーでお願いします」


「はい、分かりました……」


 スタッフは気圧された様子だった。

 診察室に戻ってきた雄一は、椅子に座ると頭を抱えた。

 先日からの不安はほぼ確実になった。三宅を殺した犯人は、に気づいて口封じを目論んでいるのだ。しかもこの犯人はかなり挑戦的である。見つけられるものなら見つけてみろ、と言わんばかりに。雄一の精神はさらにすり減らされていった。




 昨日と同じ時間帯に、三宅の事件を担当しているあの刑事が現れた。


「昨日はありがとうございました。カルテをすべてコピーさせていただきましたので、お返しに」


「ご丁寧にどうも」


「しかし三宅さん、奥様を亡くされてからはほとんどご近所の方との関わりが無くなってたようですな。皆さん、偏屈な親父だとおっしゃってましたよ」


「まあそうでしょうね。ああいう態度じゃあ」


 ふと、雄一は刑事に話していない電話のことを話してみる気になった。


「あの、一つ思い出したことがあるんですけどね」


「お伺いしましょう」


 雄一は三宅の連日の無言電話について話した。さすがに自分が犯人であることは伝えなかったが。

 話を聞き終わった刑事は、腕組みをして考える素振りになった。


「つまり先生の予想では、その電話の主が犯人かもしれない、と。そういうわけですか」


「あくまで可能性ですけどね」


「そういえば」


 刑事は何かを思い出したようだ。少し考えてから刑事は続けた。


「もし本当に事件に関係があってはいけませんから、くれぐれもご内密にしていただきたいんですがね。たしかにうちの署に何度か相談があったんですよ。深夜に無言電話がかかって来るっていうことでね。三宅さんもでしたし、他にも何人かの方からも」


 雄一は顔色こそ変えなかったが、心拍数が格段に上がったことには気づいた。よくよく考えれば当たり前のことなのだが、深夜の無言電話が何度もあれば、自分がその立場であっても警察へ相談に行くに決まっていた。


「その捜査はされたんですか?」


「一応身辺調査くらいはしましたがね、何分なにぶん実害がないと警察も動けないんです。それによく聞けば、どの人も連日どころか長いと一ヶ月ほど空いてまたかかってくるというペースということで、被害届を出す程ではないと判断されたようです」


 雄一の気分が落ち着いた。実際、連日のように無言電話の相手にしていたのは三宅だけだった。あくまで自分にがあった日だけにしていたのは、想定外だったとはいえ正しかったようだ。


「もちろん、先程も言ったようにその件と本件が関係あるかは分かりませんがね」


 刑事は時計を確認すると立ち上がった。


「お時間をお取りしてすみませんでした。とりあえず無言電話の犯人についてもあわせて調べてみましょう」


「何かご協力できることがあればまたおっしゃってください」


「ありがとうございます」


 その時、雄一は一つの可能性を思いついた。その可能性を確信的なものにするために、刑事に訊ねてみた。


「あの、一つ確認したいんですが」


「何でしょう?」


「三宅さんの家って、今誰か見張りの方をつけてますか?」


「いえ、今は規制線しか張ってませんが……それがどうかしました?」


 これで電話に出たのが犯人以外にいないことが確定した。


「……素人の意見で申し訳ないんですが、もしつけてらっしゃらないなら見張りを置いておいた方が良いかと思いまして」


「アドバイスありがとうございます。電話の主と犯人が同じだと確定すれば、おそらく見張りを置くことになるかとは思います」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る