第2話

 いつもより早く雄一は目を覚ました。いつもならすっきりとした目覚めなのだが、三宅のこともあり、どうももやもやとした気分が残っていた。

 あの後、雄一はそのままベッドに入ったのだが、なかなか寝付けなかった。耳に入ってきた情報だけで、受話器の向こうで何が起きたのかの想像が勝手に働いてしまったのである。

 さらにもう一つの懸念があった。三宅を殺したかもしれない相手がこちらに気づいているのではないか?

 公衆電話からかけているのだから、向こうがこちらを特定できるはずがないのだが、それでも『その瞬間に電話をしていた』という事実はあるわけで、いくら無言でいたとしても、どうにかして手掛かりを見つけられてしまうのではないかと不安に駆られていた。

 そんなことを考えつつ雄一は早めに自宅を出ると、三宅の自宅を確認するために少し遠回りして診療所へ向かうことにした。

 平日の朝だというのに、木造平屋の三宅の家には野次馬ができていた。規制線が張られ、警察が出入りしていた。

 雄一は自分が冷や汗をかいていることに気づいた。顔を三宅の家から背けるようにしながら、彼はその場を去った。



 職場に着くと、すでにスタッフ達が三宅の話題を出していた。


「先生も聞きました? 三宅さんのこと」


「僕は何も。何があったんですか?」


 雄一はわざと知らないふりをした。


「亡くなられたんですって。今日三宅さんの家に朝刊を配りに行った新聞屋さんが見つけたとか」


「しかも殺されてたらしいですよ。三宅さん、奥様も亡くなられて身寄りの方もいらっしゃらないはずだけど」


「強盗ですかね? 戸締りされてなかったんでしょうか?」


「不謹慎ですから、その話はもうよしましょう」


 雄一はスタッフの話を止めて、そそくさと診察室へと入った。カバンに忍ばせていた例のノートを急いでデスクの引き出しにしまい、すぐに白衣を着た。



「先生、警察の方がいらっしゃってます」


 休診時間の間に、三宅の事件の担当をしている刑事が現れた。


「お忙しいかと思いまして、この時間にお邪魔しました。三宅さんの財布の中にこちらの病院の診察券があったものですから」


「そうですか。ご協力できることがあれば何でもおっしゃってください」


 雄一は刑事の前に椅子を差し出した。


「ありがとうございます。三宅さんは普段からこちらに?」


「ええ、心臓の持病をお持ちでしたから、薬を受け取りに」


「診療中はどういったお話を?」


 雄一は診察中の三宅の態度について事細かに話した。しかしながら、彼のこの話はかなり主観的で穿うがった内容になっていた。もちろん例のノートの話も深夜の無言電話についても何も言わなかった。


「なるほど。現在も三宅さんの人となりについてご近所さんを当たっているところです。また何か分かりましたらご報告いたします」


「ちなみに、死因は?」


「おそらく絞殺かと。ただ凶器までは分かっていないんですが。それが何か?」


「いえ、カルテに書かなければならないんでね。よければお渡ししましょうか?」


「よろしいんですか?」


「ええ、捜査の助けになるなら。数日中に返してくだされば構いませんので」





「さっきから何なんだお前は! 何度も何度もかけてきやがって、いい加減にしろ!」


 今日も雄一は公衆電話にいた。今電話している相手は今日が初来院だった男性患者の家である。電話をしても――無言なのだから当然ではあるが――すぐに切られてしまうため、その度にかけ直していた。雄一もこの状況には慣れ切っており、今では切られた番号にはすぐさまかけ直すことすら快感の一つとなっていた。今回は四、五回かけ直している。相手も根負けしたのか、激昂した後には乞うような言い方になっていた。


「なあ、お願いだ、頼むよ、今何時だと思ってるんだよ。頼むから寝かせてくれ、もう電話をかけないでくれよ、頼むよ」


 それでも雄一は電話を切らない。向こうから聴こえる哀願の声によって、彼の脳内の快楽が高波のように押し寄せた。

 哀願すら聴こえなくなって、雄一はようやく電話を切った。今日のターゲットには全て電話したため、彼はノートを片付けようとした。その時ふと思いついたことがあった。三宅の家に電話してみようと考えたのだ。

 なぜ突然思いついたのかは自分にも分からなかった。単なる好奇心なのか、それとも日頃の習慣がそうさせたのか、彼は三宅の電話番号へかけた。

 コール音が鳴った。まだ電話は接続されているらしい。誰も出るはずのない電話の音が、虚しく鳴り続ける。我ながら馬鹿なことをしている――そう思った雄一は電話を切ることにした。


 ガチャ


 雄一は驚愕した。繋がるはずのない電話が繋がったのである。相手からの「もしもし」の挨拶もない。

 雄一は勢いよく電話を切った。そして意味もなく電話ボックスの外を振り向いた。もちろん誰もいない。

 外に出た雄一は足早に帰っていった。今日も彼は昨日のように――いや、昨日以上に寝付くことができなかった。

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