第3話

 あれからもう四年が経った。

 綾乃は自身のプロジェクトを成功させ、現在は新たなプロジェクトのリーダーに任命されていた。これが上手くいけば部長に昇進するのではないかともくされており、社長への出世も間近ではないかとも噂されていた。



 今朝も綾乃は、朝礼前から資料の整理を行っていた。


「おはよう。もう仕事?」


 隣のデスクに来たのは、友人である有紀ゆきだった。彼女とは職場で知り合い、今では良き理解者である。現在の綾乃の担当するプロジェクトのサブリーダーを、綾乃の推薦で務めている。


「早いうちに資料まとめとかないと。あんたも手伝ってよ」


「分かってる。半分貸して」


 資料を渡された有紀は、それをまとめながら別の話を始めた。


「今日からだっけ? 新しい人」


「何のこと?」


「別の支社から新しい人が来るって話」


「ああ、それ。たしかそうだと思う」


「珍しいよねえ、重役とかでもないのに本社に異動なんてさ」


「聞いたら結構優秀な人らしいよ。多分この後詳しく話があるんじゃないの?」


「うちの部署なの?」


「さあ、そこまでは聞いてないけど」


 そんな話をしていると、部長が入ってきた。朝礼の時間である。綾乃達社員は立ち上がった。

 部長の後ろから一人の男がついてきていた。綾乃はふと男の顔を見た。その瞬間彼女の顔が硬直した。

 そんなことも気に留めず、部長が自分のデスクの前で話し始めた。


「えー、今日は報告からいたします。以前からお知らせはしていたかと思いますが、○○支社から中本なかもと陽一よういち君が異動してきました。配属はうちの部署になりました。中本君、挨拶を」


 中本と呼ばれた男は、一歩前に出て挨拶をした。


「今日からお世話になります、中本です。皆さんの足を引っ張らないように精一杯頑張りますので、よろしくお願いします」


 中本の一礼とともに、拍手が起こった。綾乃は少し遅れてぎこちなく拍手した。


「中本君は支社の方で実に優秀な働きぶりを見せてくれていたと聞いています。入社してからまだ三年の彼ですが、皆さんも置いていかれないように」


 部長は綾乃の方を向いた。


「上原君」


 綾乃は驚いて部長に向き直った。


「中本君には君のプロジェクトに参加してもらうことになっている。ぜひよろしく頼むよ」


「は、はい。分かりました……」


 綾乃が何も言えないのも無理はない。なぜならこの男の見た目が、晴斗と瓜二つだったからだ!



 昼休みに、社員食堂で綾乃と有紀は食事を取っていた。だが、どうにも綾乃の箸が進まなかった。


「全然食べてないじゃん。体調悪いの?」


「ううん、大丈夫。ただ、ちょっと考え事してて」


「ならいいけど、無理しないでね」


「ごめん、ありがとう」


「すみません、ご一緒していいですか?」


 そこに現れたのは陽一だった。綾乃は思わず箸の動きを止めた。


「あ、中本君。どうぞどうぞ。ここに座ってよ」


 テーブルは長方形で、綾乃と有紀は向かい合って座っていたのだが、有紀は短辺の場所に近くの椅子を動かしてそこに陽一を座らせた。いわば陽一は議長のような位置に座ったわけである。


「お邪魔してすみません。折角なのでご一緒させてほしくて」


 綾乃は陽一の顔を眺めていた。彼の笑顔は晴斗のものであった。彼女の疲れを癒してくれたあの爽やかな笑顔、もう二度と見ることがないと思っていたあの笑顔、それが今目の前にあるのだ。

 しかし晴斗とは名前が違う。下の名前もだが、名字すら別のものだった。晴斗は下野しものであるから。


「中本君っていくつなの?」


「来年で30歳ですよ」


「うそ!? わたしらと一緒じゃん! ねえ」


 綾乃は苦笑いでうなずいた。晴斗が生きているとすれば、もちろん年齢も同じである。


「でも入社してまだ三年なんだよね? それまで何してたの?」


「はい、お恥ずかしい話ですが、ニートでして……」


「仕事してなかったんだ」


「ミュージシャンを目指してたんです。でも夢半ばで破れちゃって。腑抜けみたいになってました」


 ここで綾乃が返事以外で初めて口を開いた。


「大学はどこだったの?」


「××大学です」


 ここに来て晴斗との共通点は無くなった。晴斗の通っていた大学とは違う大学だったからだ。

 有紀がさらに質問を続ける。


「ミュージシャン目指してたんなら、軽音楽部だったわけ?」


「そうです。これでも学祭の時は結構盛り上がってたんですよ」


 再び共通点が出てきて、綾乃の心は曇った。

 そんな話をしながら、陽一は何かを探し始めた。彼の前には何もかけられていないオムライスが一つ乗っていた。

 有紀が声をかけた。


「何か探してんの?」


「ええ、ちょっと……」


「もしかして、マヨネーズ?」


 綾乃の言葉に、陽一が鋭く反応した。


「そうです! よく分かりましたね?」


「え? いや、何となく……」


「マヨネーズ? オムライスに?」


 有紀が不思議そうに言うと、陽一が爽やかな笑顔で返事をした。


「これがやめられないんですよ。マヨネーズは何にでも合うんですから」


「きゃあっ!」


 突然綾乃は叫んで立ち上がった。周囲にいた社員達は怪訝そうにこちらを見ていた。


「ちょっと綾乃、急にどうしたのよ」


「あ、ごめん。ちょっとびっくりしちゃって」


「そんなにおかしいですかね?」


「変わってるとは思うよ。オムライスにマヨネーズかける人、初めて見たから。だからってそんなに驚かなくてもいいとは思うけどね」


 驚いた理由はそこではない。陽一の言葉に驚いたのである。


「でも、ちょっと意外でした」


 陽一がまたあの爽やかな笑顔を向けて言った。


「上原さん、プロジェクトリーダーをやってらっしゃるような方だから、結構クールな性格なのかなと思ってたので。まさか、あんなに驚かれるところを見られるとは思ってませんでした」


「こっちこそ、びっくりさせちゃってごめんなさい。気を悪くしちゃってない?」


「いいえ、全然」


 二人の会話を聞きながら、有紀は変な気の遣い方をした。


「そういえば、まだ綾乃の連絡先聞いてなかったんじゃないの?」


「そうでした。教えてもらえませんか?」


 できれば仕事以外で関わりを持ちたくはなかったが、表向きは断る理由がなかった綾乃は仕方なく連絡先を交換することになった。


「綾乃、何年か前に彼氏と別れてるから、今がチャンスよ」


「ちょっと、有紀!」


 そのやり取りを、陽一はただ笑ってみていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る