第2話
綾乃の言うように、子供の頃に目的地である山に行ったことがあるのは本当だった。頂上に簡易の展望台があり、そこから見下ろす街の景色がとても綺麗だったのを憶えている。そこを凶行の舞台にしようと考えたのだ。
仕事の都合でたまたまその近くに行くことがあった。周囲は田畑で囲まれており、農閑期である今の冬の時期は農家もいなかった。
誰にも見られずに、山の中に入ることができた。だがしばらく歩くとバリケードと看板が立てられていた。
「この先関係者以外立ち入り禁止」
無骨な字で書かれた看板だったが、かなり以前から立てられているものなのか、錆が出てかなりボロボロになっていた。バリケードも簡易なものであり、大人なら跨いで通ることができるようなものである。綾乃は悠々と跨いだ。
しばらく歩くと、道が少し広くなっている場所に出た。左手は急な坂になっており、その下は平地になっていた。遠回りすれば、この平地に下りることもできるようだ。そして右手には腰掛けに良さそうな岩があった。子供の頃に見た光景と、ほぼ変わっていなかった。
22時前、二人を乗せた車はこの山の前にあった。当たり前だが、こんな時間に人がいるわけもなく、虫達も冬眠を迎えているせいで生き物の声すら聞こえない。
この場所に誘ったのは綾乃である。久々に時間ができたから、前から晴斗を連れていきたいと思ってた場所に行きたい、という理由をつけた。
「危なくない?」
「大丈夫よ。昔もここを通ってたから」
用意しておいた懐中電灯を手に取り、車をそのまま置いて二人は歩いていった。綾乃の来ているコートのポケットには、包丁が一本入っている。
「本当に大丈夫か?」
どんどん進んでいく綾乃に対して、晴斗は周りをキョロキョロと見ながら慎重に進んでいた。
「晴斗ってそんなに心配性だっけ?」
「こんなとこ初めてだし。慎重にもなるって」
そうこうしてる間に、例のバリケードの場所まで来た。綾乃は気にせずに跨いだ。
「おい、立入禁止って……」
「誰も見てないんだから、気にしちゃだめ」
「こんなに大胆な綾乃も珍しいな」
晴斗は念のため周りを気にしながら同じように跨いだ。
やがて二人は、綾乃が現場に決めた広い場所に出た。
「ちょっと休憩しましょうか」
綾乃は岩に腰かけた。
「ええ? 早く行った方が良くない?」
「ここからまだ歩かなきゃいけないから。昔もここで休んだことあったし」
しかし晴斗は座る気になれなかった。そんな彼の様子を、じっと綾乃は見つめていた。今がチャンスである。
綾乃は立ち上がり、晴斗に声をかけた。
「晴斗」
晴斗が振り返った瞬間、綾乃は彼に抱き着き、そのまま唇を重ねた。急なことで晴斗はうろたえたが、すぐに受け入れ、優しく彼女を抱きしめた。それに応えるように、綾乃は片手で抱きしめ返した。
どれくらいそうしていたのか分からない。晴斗の集中が全て綾乃に向いたと感じた瞬間、彼女はもう片方の手をコートのポケットに入れ、包丁を抜き出した。
綾乃が唇を離したと同時に、振り上げられた包丁を持つ手が晴斗の背中に勢いよく向かっていった――。
綾乃が落ち着きを取り戻した時には、近くに晴斗はいなかった。
ゆっくりと斜面の下を見てみた。そこには晴斗と思われる何かが転がっていた。綾乃は遠回りして急坂の下に行った。
やはりそれは晴斗だった。背中に包丁が刺さったままになり、どう頑張っても抜くことができないようだった。
先程まで周囲を気にしていなかった綾乃だったが、ここに来て辺りを見回りながら慎重に行動を始めた。
まず車まで戻ると、トランクに入れておいた大きいスコップを取り出し、先程の現場に再びやって来た。そして晴斗のそばで穴を掘りだした。
女一人でやるにはとてつもない重労働だった。人一人分ギリギリ入るサイズの穴を作る頃にはもうとっくに日が変わっていた。
ようやく空いた穴に晴斗を入れるのも一苦労だった。特に背中に刺さったままの包丁のことがあるため、ひっくり返してそのまま入れることができなかった。何とかうつぶせの状態で穴の中に引っ張り入れることができたが、この後また穴を埋める作業が必要だ。再びスコップを手にし、周りの土を戻し始めた。
地面を元に戻した頃には、空が青みがかり始めていた。包丁の部分も隠すことができ、周りの落ち葉を利用して何事もないように見せかけた。
いくら農閑期といえども、いつ人に見つかるか分からない。綾乃は計画の成功の余韻に浸る間もなく、急いで車まで戻っていった。抱き着いた状態で刺したことで返り血も全く浴びていない。
翌日綾乃はレンタカーを返し、全ての事を終わらせたのであった。
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