127.日常

「終わったねえ」


「そうですわね」


聖騎士団の襲撃から始まった一連の出来事を片付けて、コアルームでルビィと一時の休息をとる。


全て計画通りみたいな顔で済ませたけれど、実際には結構危ない部分もあったのでこれで一安心だ。


特に騎士団長にあのまま侵攻されてたら、無事に退治出来てた保証はなかったわけで。


部下の騎士たちは水没からの電撃コンボで行動不能にできたけど、団長は無傷だったしね。


まあだからこそ、聖女様に余裕顔でハッタリかましてまで責任を全部被ってもらったんだけど。


「戦利品もあったしそこは良かったかな」


試しに握ってみるのは騎士団長が握っていた結界破りの剣。


ある意味ダンジョンにとって最大の特効武器なので、これを没収できたのは何よりの成果だ。


「お疲れさまでしたわ」


「うん、ルビィもお疲れさま。それじゃダンジョンの調整しよっか」


「はい、主様」


イベント多目な一日だったけど、本業はダンジョン運営でぶっちゃけダンジョンの外からくる厄介事は面白くもないしメリットもない宿題のようなものだ。


そんなことよりもダンジョンを弄りたい、あとルビィと一緒に居たい。


「とりあえず30階層の準備だね」


「スケジュールは少し調整した方が良いかもしれませんわね」


「だね」


教会の襲撃に備えて30階層解放の予定がもうすぐって噂を流していたので、実際にはそのスケジュールをもう少し遅らせても良いだろう。


30階層の解放と同時になると冒険者からのヘイトがヤバいことになるので流石に騎士団もそれは避けるだろうという目論見の元、準備不足の襲撃を促した策略は成功したのでもう急ぐ必要もないし。


「冒険者が強制退去といった形で影響を被ることとなりましたので、なにか変化をつけるのも良いかもしれません」


冒険者の追い出しは教会が原因なわけだけど、だからといってこっちは何も悪くないと言っても何の意味もない。


店内で喚いているクレーマーを追い出したら、その場に居合わせた客にはサービスをしておくべきだろう。


「魔石ドロップ2倍キャンペーンでもやろっか」


「冒険者の利益を増やすのは良いと思いますが、あまり露骨な意図が見えるのは上策ではないかもしれませんわね」


「そっか、そうだね」


あんまりダンジョン側の人間臭さは出さない方がいいか。


言葉が通じる相手だって認識されても面倒事が増えるだけでなんも得ないしね。


そういう点ではギルドマスターを招いたのは今回の一連の流れで一番の失点だったかなー。


まあ必要な流れだったからしょうがないけど。


事前に手紙を書いてタイミング良くダンジョン前まで来てもらったわけだけど、あの流れから他の人間に目撃されずにギルドマスターを招き入れるのはムリゲーだったしね。


絶対に見られちゃいけないものでもなかったからって理由もあるにはあるんだけどさ。


とはいえしばらくは面倒事が増えるかもしれない。


まあ教会に関するアレコレが解決した分、差し引きでは楽になるだろうけど。


「んじゃ、準備しよっかルビィ」


俺が腰をあげるとルビィがそれに続く。


「はい、主様」




△▽▲▼




薄暗い部屋の中に浮かび上がるように人影がひとつ。


煌びやかさが排された内装に見合うように、そこに佇むイングリッドも飾り気のない恰好をしている。


既に王都に暮らす人々の多くは眠りに落ちている時間ということもあり、彼女も自室では普段の純白の装いではなく寝巻姿でテーブルへと向かっていた。


そんな彼女は蝋燭の灯りの中で手元の用紙に書かれた文字を追い、身を揺らすたびに銀色の長い髪が波打つように輝く。


ダンジョンと聖騎士団の出来事から数日して、その当事者の一人でありイングリッドは事後の対応に追われていた。


まず聖騎士団とその上への事情説明、結界破りの剣を始めとした一部アイテムをダンジョンに渡したことに対する釈明、独断で仲裁に入ったことに対する後処理、そして自身がこの先長い間王都へと留まることを決めたことに対する各所との擦り合わせ。


特に一番作業を要するのは一番最後の案件だ。


聖女の癒しの力を求める者は教会の権力者から各国の王族貴族まで枚挙にいとまがない。


その彼女が一か所に留まることとなれば、教会と各国に対するバランス取りが非常に難しいものとなるのはイングリッド自身も十分に理解していることであった。


実際には一ヶ月で戻ってくることができる範囲であればその身を動かすこともできるのだが、彼女は自身のダンジョンに対する責任として自主的にこの土地を離れる意思はない。


しかし彼女の力は彼女自身のものであり、その貴重さ教会も十二分に承知している。


そして彼女自身がこの地に赴くことを後押しした教会の穏健派と、彼女自身がこの地に留まることを決意するに至った原因の過激派による独断専行を考慮すれば、ここに留まるという意思は通るだろうという推察が彼女にはあった。


その過程で関係各所に多大な迷惑と影響を与えることになる訳だがそれは悪いことばかりではない。


今回の一件で、王都における過激派の行動に大きな牽制をすることができた。


団長を除く突入した聖騎士団員30名の全滅と、イングリッドによるその30名への救命はそれだけ大きな意味合いを持つ行為であった。


それに加えて今の彼女には、この王都を訪れる以前よりもずっと多くの人を癒す手段を持っている。


奇しくも聖騎士団によってその実用性が証明されたバイオリンによって、彼女が得た力は更に多くの人々を救うだろう。


イングリッドが椅子から腰を浮かせ、棚に置かれたケースの前へと足を動かす。


そして両手で留め金を外し、蓋を開けてその中身へと視線を落とした。


このバイオリンにはとても大きな価値がある。


しかしもしダンジョンが聖騎士団に滅ぼされていたのなら、彼女はこれを使うことはしなかっただろう。


それは余りにも無恥な行為であった。


だが彼女は、バイオリンの為にダンジョンと聖騎士団の真中へ立った訳ではない。


彼女自身が敵対的でないと判断した相手に対して、魔物であるからという理由だけで討伐に向かった聖騎士団に納得ができないから、彼女は危険な場に身を晒してまでその行為を止めに行った。


それは彼女自身の信仰に基づく行為であった。


だからこそ、迷宮主の『身の保証がされるなら金貨を払っても損はない』という発言に苦い思いを浮かべた。


なによりも一方的に攻め込んだ聖騎士団の行いは実際にダンジョンを脅かしたのだから言い訳のしようもなかった。


イングリッドがバイオリンを手に取り構える。


彼女しかいない室内に揺れ動くように音が響く。


弾くのは何度も練習した曲。


イングリッドはミスすることなく通して演奏をできるようになっていた。


それでも……、迷宮主様には及びませんね。


彼女が心の中でそう付け加える。


契約の公演も彼の人物が演奏してくれれば、という考えは途中で打ち切る。


新しく演奏ができる人員をすぐに用意するのは困難だろうと、最初の一度はその役割を引き受けた迷宮主だがそれ以降は彼女自身で探さなければいけない。


彼女が通しで演奏を出来るようになるまで二ヶ月程度の訓練をしたので、次々回の公演までに間に合わなかったという言い訳は通じないだろう。


しかし迷宮主に劣る腕前の自分に十分な指導ができるかという不安はあった。


それに……。


イングリッドは自身が聖歌を歌い、迷宮主と共演した時のことを思い出す。


この屋敷の庭で何度も行われたその行為は、イングリッドの記憶に強く残っていた。


あの時は、心が躍ると言っても過言ではない体験でした……。


聖女の役割を担う彼女にとって、そのような体験をすることはほとんどない。


だからこそ、迷宮主のもう一つの言葉を思い出してしまう。


『これ以上他者との関わりも必要ありませんので』


その言葉は丁寧な口調とは裏腹に強い否定の色を帯びていた。


寂しい。


イングリッドはそんな感想を思い浮かべる。


もちろん一方的にそう決めつけるのは独善的であると彼女も自覚していることであったが、それでも思わずにはいられない。


そんな彼女の想いを表すように、バイオリンもどこか悲しみの音色を奏でていた。

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