126.契約
「それでは始めましょうか」
ダンジョン内の応接室にて、テーブルを囲んだ相手に宣言する。
テーブルは円形のもので、その前に座っているのは俺を含めて三人。
ひとりは聖女様、もう一人はギルドマスター。
奇しくも聖女様と最初に話した時と同じ顔ぶれだ。
あの時と違って俺の後ろにはルビィが、ギルドマスターの後ろにはサブマスターがいるけどね。
ちなみに団長はまだ部下と一緒に穴の底。
団長には話もないし、ここにいても面倒になるだけだしね。
そしてこの面子に長い前置きも必要ないだろう。
とっとと本題に入ることにする。
「まずイングリッド様。今回の一連の騒動に対し、教会の代表として責任を取って頂きます。具体的には牢に入っていた冒険者を解放することとなった賠償に金貨100枚、更に聖騎士団を解放するに金貨3000枚、装備の返却に金貨500枚。なお一部の武具はこれには含まれません」
冒険者の解放金はそのままの合計金額。聖騎士団の解放はゴールド等級金貨100枚×30人の概算。それだと聖騎士団長の分が入ってないんだけど、オリハルコン等級の解放金は未設定だったし騎士たちもゴールド等級相当とはいえそれがギルドに認定されているわけではないのでバランスとってこれくらい。装備の返却は鎧や剣など、それだけでもかなり上質な品を揃えていたので実際に買えば500枚じゃ済まない物だ。あと既に没収している結界破りの剣なんかは返さない。
没収にはひと悶着あったりもしたけど、どっちにしろ結界破りの剣なんかは回収必須だったのでやむ無し。
当然抗議の声もあったりしたが、聖女様に団員のほとんどが命を助けられたという前提があったので結局彼女に押し切られていた。
ということで金貨にして3600枚、理屈としては妥当な数字といえるが実際にはとても一度に用意するのは困難な金額だ。
この国の王様とか一握りの有力貴族なら払えるだろうけど、それでも気軽に捻出するには難しい金額。
聖女様に払えるかと言われれば答えはノーだろう。
「もう一つ、イングリッド様には冒険者様向けにそのお力を見せていただければと考えています。具体的に言えば公演ですね」
ギルドマスターは聖女様とバイオリンの話を知らないので解説を付け加えておく。
彼女の演奏は治癒術で治せる外傷だけでなく、病などにも効果があるので冒険者としては十分に価値があるだろう。
病気してなくても披露の回復とか治癒術の節約にもなるしね。
一度に全員に演奏するのは無理があるし、そもそも参加希望者がどれくらいになるのかも不明ではあるけれど細かいところはあとで詰めていくことにしよう。
「これを一ヶ月に一度、一回につき金貨100枚をお支払いします。加えて前述の金貨3600枚の返済は公演が継続されている限り、最短36ヶ月の間返済を求めません。つまり、こちらで三年の間に負債額を全てお渡しするということになりますね。なお36ヶ月を最短の期限としていますが、当方はそれを過ぎてもこれの返済を求める予定はありませんので、貯えに余裕ができた場合に返済をしていただけたらそれで構いません」
正確には聖女様からギルドへの金貨3600枚の返済と、ギルドから聖女様への公演の依頼の2枚の契約書。
「ダンジョンへの負債というのは立場として好ましくないと思われますので、イングリッド様及び教会からギルドへの契約書という形をとり、それをこちら側で管理させていただこうと考えております」
これならばギルドとダンジョンの関係が壊れない限り、この契約書だけ渡してしまえば教会がダンジョンを滅ぼしたとしても請求を求められることとなる。
逆説的に、教会はギルドの合意を取れなければこの契約はダンジョンに攻め込む理由とならず、抑止力として成り立つ。
「ですが、よろしいのですか? これでは迷宮主様に利がないように見えますが」
これはギルドマスターの質問。
ギルドは冒険者の治療を受けることができ、聖女様は無利子で毎月金貨100枚を得ることができる。
それに比べてダンジョン側は教会に毎月金貨100枚を渡す分損失を出しているのと変わらない。
後日返却されるとはいえ、総計3600枚の金貨があればどれだけの利益を生み出すことができるか。
とはいえそれは元よりこちらから言い出したことなので当然問題はない。
「構いませんよ。この契約が存在しているだけで十分に利益となりますので」
言ってしまえば聖女様に多額の金貨の貸しを作っただけで目的は達成している。
「ダンジョンは教会を敵にして成り立ちません。攻め込まれて撃退することができたとしても、その信徒の全てに敵と認定されてしまえば運営していくことができませんから。なので束の間の身の安全が保証されるだけでも十分意味があります」
俺の言葉に聖女様がわずかに顔を歪める。
それは彼女にとっては同意することは到底できないが、かといって否定することも抗議することもできない言葉だった。
そんな様子に気付かない振りをして、ギルドマスターが話を進める。
「それでは異論はないようですので、この契約の詳細を詰めていきましょう。まずは公演をおこなう場所ですが……」
卓に着いた三人に加えギルドマスターの後ろのサブマスターと俺の後ろにいるルビィを加え詳細を決めていく。
やはりその間、聖女様の言葉は少なかった。
「それではイングリッド様、気を付けてお帰りください」
騎士団のダンジョンを覆っていた結界は既に解かれ、その騎士団とギルドの双方が面倒事を起こさないように解散させた後に最後に残った聖女様を送り出す。
彼女はずっと難しい顔をしていたけど今日の出来事を考えればしょうがない。
話自体は丸く収まったんだけどね。
彼女個人として納得できない部分があったことは想像できる。
ついでだし、もうひとつ付け加えさせてもらおうかな。
これからは聖女様と話す機会も減るので、最後に伝えておくべきことがあった。
「そういえばもう一つ、お伝えしておくべきことがありました」
「なんでしょう?」
「私はやはり、貴女と同じ神を信じることは難しいようです」
これは教会の人間にとっては喧嘩を売っていると取られてもおかしくはない台詞。
それでも彼女は冷静に問い返す。
「理由をお聞かせいただいてもよろしいですか?」
「ええ、教会の教えは社会生活を円滑なものとし、人を幸福にするためにあるものだと考えます。実際にそれに救われている民は多いでしょう。ですが私は既に幸福ですし、それ以上に他者との関りも必要ありませんので」
もちろんダンジョンを運営するうえで、教会の教えを知っておくことは役に立つだろう。
だが俺個人としてはそれを必要とは感じなかった。
そもそも俺はルビィがいればそれで十二分なのだから。
「わかりました」
俺の言葉に聖女様が頷く。
「ですがそれは、今現在はということですね」
そして彼女の答えは、俺の想像していたものとは別のものだった。
「神の教えとは真に辛い状況に立たされた時に必要なものです。それに苦しんでいる者に手を差し伸べるのも神の教えの一つです。ですから私は迷宮主様が苦境に立たされた時に手を差し伸べられればと思います」
真っ直ぐとこちらを見つめる彼女の言葉は慈悲の心に溢れていると同時に、教会の教えを説く聖女としての強かさも垣間見える。
「そうですか。わかりました」
そうなることはきっとないだろうと今の俺は思うけれど、実際に未来のことはどうなるかわからない。
ならば今ここで彼女を否定する必要もないだろう。
俺の答えを聞いて、聖女様は先程までの真剣な眼差しから一転破顔して付け加える。
「もちろん、迷宮主様の苦境を望んでいる訳ではありませんよ?」
「それはわかっていますよ」
笑いかける彼女の言葉に、俺は聖女という役割と務める彼女の強さを見た気がした。
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