120.スタート
「おはようございます、主様」
目を覚ますと、そこに今まで生きてきた中で一番の美女が居た。
「おはよう、ルビィ」
自室のベッドで目を覚まして、一番最初に彼女に挨拶をする。
寝起きの頭には思わずショック死しそうなくらい美しい彼女だが、多少頭が回ってきてもその評価は変わらない。
「今何時……?」
「朝の七時ですわね」
こちらの世界では使われていない、しかし前世では基本概念であった国際標準規格でルビィが時間を教えてくれる。
あのショタ神様に無理やり拉致られたということは互いの世界は無関係ではないようで、こちらの世界でも時刻の概念は流用しても致命的な問題がなかったわけだが、それを自然に使いこなしているルビィも流石の適応力だ。
「そろそろ起床なさいますか?」
「あと五分……」
言いながら寝返りをうって再びまぶたを閉じる。
真人間な社会人にとっては常識的な起床時間であるが、元引きこもりにとって朝七時というのは起きるのに辛い時間だ。
なんならまだ寝てなくてこれから寝るまである、あった。
こちらに来てから既に半年以上の時間が経っているが、それでも長年の習慣が完全に改善されていたりはしない。
「あと五分ですわね?」
「あと一時間……」
「一時間でよろしいですか? それとも一時間五分になさいますか?」
俺の怠惰を責める気もなくルビィが確認する。
実際にあと一時間と五分寝ていても、ルビィは問題なくダンジョンの仕事をこなしてくれるだろう。
ただそうなると、本格的に俺がいてもいなくても変わらない存在になってしまう。
「うー」
引きこもりの頃ならそれでも良かったのだが、流石にルビィにそんな無様を晒し続けるわけにもいかなかったのでゆっくりと身体を起こす。
既にベッドの中でぐずってる時点でみっともないとか言ってはいけない。
ぐっと腹筋に力を入れて身体を起こすと、ベッドの脇に立つルビィの顔が少しだけ近くなる。
「おはようルビィ、今日も綺麗だよ」
文字だけ追えば些か軟派な台詞だが、ルビィの美しさを前にしてそれを褒めるのは雲一つない青空に向かって本日は晴天なりと言うのと変わらないので問題はない。
「おはようございます、主様。主様も素敵ですわ」
「ありがと」
そんなお世辞をありがたく受け取って、ベッドから降りて立ち上がった。
「それじゃあ、今日もがんばりますか」
「はい、主様」
「今日の予定はなんだっけ」
コアルームに所を移し、テーブルを囲んで食事をしながらルビィに会話を振る。
「聖女様との会談ですわね」
「あー」
確かにそう、聖女様と会う日だ。
と言っても会ってなにかをする必要がある、という段階はほとんど片付けたあとなのでそろそろこの役割もお役御免かなって感じではあるんだけど。
「冒険者の進捗ですが、29階層の探索をほぼ終えたパーティーが何組か現れていますわ」
「それじゃあそろそろだね」
「ええ、王都でも数日中に30階層が実装されるだろうと話題になっているようです」
「盛り上がってるようでなにより」
もはや王都を拠点とする冒険者にとってはなくてはならない存在とダンジョンであるが、それでも存在感をアピールするのは大切だ。
特にダンジョンに『期待』をされているという部分には大きな価値がある。
「ダンジョンも結構大きくなってきたけど、まだまだ頑張らないとだねえ」
目標の100階層まで気づけばもう1/3近くだ。
まあ30階層までの拡張に必要な魔力と100階層までの拡張に必要な魔力だとおよそ10倍近くの差があるんだけどさ。
「ですが、主様ならきっと実現できますわ」
「ありがと、ルビィ」
彼女の期待を裏切らない為にも頑張らないとね。
「ボス部屋の準備は済んだし、奥の部屋の仕掛けも済んでる。攻略された時の宝箱も用意済みだし、挑戦前の注意書きとクリア後の追加文もOK。あとは何かあるかな」
「通常業務を除けば必須な事案はないかと。30階層の最終調整はなさいますか?」
「あー、そうだね」
魔物は既に召喚済みな訳だけど、その魔物を自由に暴れさせて間違いがあっても困るから細かい段取りとケース対応は用意しておこう。
既に必要な命令は与えてあるから今のまま迎えてもちゃんと仕事はこなせると思うけど一応。
「それじゃ夜になったらボス部屋で一仕事だね」
「かしこまりましたわ、主様」
話も一段落したのでテーブルのパンを口に運ぶ。
「あ、これ美味しい」
「それは栗を使ったパンですわね」
それは昨日王都へ行った帰りに買ってきたもの。
甘さは控え目だが口当たり良く、味もパンが栗と調和するように作られている。
「確かに、美味しいですわ」
ルビィもパンを口に運ぶとその美味しさに表情を綻ばせる。
「それじゃまた今度買って来よっか」
「はい、主様」
楽しみにするようにルビィが笑う。
うん、絶対また行こう。
「それじゃ行ってくるねー」
「行ってらっしゃいませ」
ルビィに挨拶して外へ出る。
外の樹木はすっかり茶色へと衣替えをしていて、足元に積もった落ち葉のせいで若干歩きづらい。
そんな中で坂を下り林を抜けると、見覚えのある馬車と見慣れた女性が一度しか見たことのない格好で立っていた。
これなんてデジャブ?
と言いたくなるが、タイミングとしては納得のものではある。
まあそれに要件も予想はついているので問題はない。
「ごきげんよう、迷宮主様」
「こんにちは、お姫様」
んんー、俺お姫様のことなんて呼んでたっけ。
名前で呼んでなかったことだけは間違いないんだけど。
前回直接話したのは二ヶ月以上前だし、久しぶりに会ったから若干記憶が曖昧だわ。
「迷宮主様、少々お時間よろしいでしょうか?」
「ええ、送っていただけるのでしたら」
わざわざ目的地を伝えたりはしない。
それはもう、あっちが把握していることだろう。
なにも言わなくても事前調査を前提として話を進められるくらいに彼女の優秀さには信用があった。
促されて馬車へと乗り込む。
配置は前回と同じく向かいにお姫様、俺の左右にお付きの二人。
つまり挟み撃ちの形になるな。
なんてこっちの世界の人間には誰一つ伝わらないネタはともかく。
馬車が走り出し、備え付けられている椅子が定期的にガコンと尻を突き上げてくる。
一応この時代では最上級の馬車なんだろうけど、それでも尻へのダイレクトアタックは防げないみたいね。
一般人の馬車に乗って旅をしたら、すぐにお尻が割れちゃいそうだわ。
「迷宮主様、イングリッド様との関係は良好なようですね」
「ええ、お陰様で」
俺が答えると、お姫様は食い気味に言葉を重ねてくる。
「私は何もしていませんが」
そんな言葉尻を捕らえて文句を言われても。
「私にもイングリッド様と同じように親切にしてくださっても良いんですよ?」
「私は聖女様に親切にした覚えはありませんが」
「本当ですか?」
「ええ、私は全ての人に平等に接していますから」
ルビィを除いて対応に差が見えたのだとしたら、それは単純に迷宮主として必要なことだからだろう。
「その割にはよくお会いしているようですね」
「必要なことですので」
「名前でお呼びしていると聞いていますが」
「必要なことですので」
「贈り物もされたとか」
「必要なことですので」
「そうですか」
「そうですね」
「それを聞いて安心しました。いえ、私個人としては迷宮主様とイングリッド様の仲に関与するつもりはありませんが、ダンジョンの運営に支障が出ますとこちらも立場上問題がありますので」
「ご心配感謝します。懸念はごもっともですが、なにも問題は御座いませんよ」
「そうですか」
仲良くなりすぎて困ったことになるなんて予定はない。
「はい。とはいえ楽団の件で貴女にもお世話になりましたから、このご恩は必ずお返し致しますよ」
その答えにお姫様は満足したのか、頷いて一応の納得を見る。
もしかしたらここまでの会話は、全部借りの言質を取るための前振りだったのかもしれない。
「それでは目的地に到着するまで、互いの役目のお話をしましょうか」
「ええ、お姫様」
やっぱり彼女は優秀な女性だ。
「こんにちは、イングリッド様」
「ええ、こんにちは、迷宮主様」
お姫様の馬車を降りて屋敷に入る。
いつものように庭で顔を会わせた聖女様は、どこか雰囲気に違和感があった。
感じ取れる気配は、緊張、かな?
そこまで長く付き合っている訳でもないし確度の低い推測だけど。
「どうぞ」
「有難うございます」
わずかに固い雰囲気を余所に、聖女様が紅茶を淹れて俺の席の前へと並べてくれる。
続いて彼女自身もカップを用意し腰を下ろした。
彼女が淹れた紅茶に口をつける。
倣って俺もカップを持ち上げる。
口に広がるその味は、やはりどこか普段と違うような気がする。
そして聖女様は先にカップを置き、口を開いた。
「本日は、迷宮主様にお伝えしないといけないことがあります」
彼女の凛とした声を聞きながら、紅茶を口に含んで喉を鳴らす。
それと同時に、視界が暗くなり意識が切断された。
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