121.聖女
「おはようございます、主様」
俺がまぶたを開いたのを見て、ルビィが声をかけてくれる。
「おはよう、ルビィ」
まあ今起きたわけじゃないんですけどね。
これもルビィなりの茶目っ気だ。
はぁ……、美人で賢いうえにユーモアもあるとか最強か?
「外の様子はどう?」
「おおむね想定通りですわ」
「んじゃんじゃ、準備を始めますか」
「はい、主様」
ということで、ダンジョンの長い一日が本格的に始まった。
△▽▲▼
迷宮主が二度目の朝の挨拶から、時間は少し遡る。
王都の中、朝の鐘が鳴り既に城門が開いてからしばらくして、聖女イングリッドの元を訪ねる者の姿があった。
「お久しぶりです、イングリッド様」
「お久しぶりです、ウイアオ様」
その男とイングリッドは既知であり、しかし親しい仲ではない。
何度か他の都市の教会で顔を合わせており、加えて互いに有名な地位にいる者としての認識であった。
男は白銀の鎧に身を包み、腰には立派な剣を二本携えている。
その剣を見て、イングリッドはわずかに眉をひそめた。
「それで、聖騎士団長様が一体どういったご用件でしょうか?」
「要件に想像がついているのではありませんか?」
「……、ダンジョンの件ですか」
「その通りです」
彼の者は教会が抱える十二の聖騎士団のうちの団長の一人。
聖騎士団の職務は異端者の討伐から要所の防衛まで様々あるが、彼の騎士団の役割は主に魔物の討伐だ。
そのウイオアがダンジョンに用があるというなら目的はひとつだろう。
「この件は私に一任されているはずですが」
「別の司教様の命令です。撤回を求めるならばそちらへ進言ください」
イングリッドが事前に話を通していた司祭とは別の派閥の司祭の名を聞き、この場で丸く収まらないことを理解する。
教会の総本山では同じ組織の中でも複数の派閥に別れており、イングリッドとウイアオが話を通してきたのはそれぞれ穏健派と過激派に分類されている。
その別の派閥で意見を通すには決して短くない時間がかかる。
普段であればわざわざダブルブッキングをするようにわざわざ別の派閥同士で表立って衝突させることもないのだが、王都における情勢はそれだけ大きな案件ということでもあるのだろう。
先のダンジョンと王国貴族に絡んだ司祭の更迭と、それに伴う新しい司祭の赴任でも、互いの派閥による席取り合戦があったのも関係している。
現在の司祭はイングリッドと同じ穏健派だが、その前の更迭された司祭は過激派であったと言えばそこで何があったかは想像できるだろう。
「確認を取る間、待つつもりはないのですね」
「ええ、命令の撤回がなされるまでは、使命を中断することはありません」
「このダンジョンは、民の生活を脅かすものではないと思いますが考えは変わりませんか?」
「こちらこそイングリッド様にお聞きしたい。ダンジョンは滅ぼすべきものだと確かに聖典に記されているはずです。なぜその教義に従わないのですか」
「ダンジョンは冒険者の領分です。それを侵すのであれば不要な混乱を招くでしょう」
「我らは神に従う者です。他の事情に流されて教えを曲げることは有り得ません」
互いの意見はどちらにも一理がありそれぞれの所属する派閥を表したものであったが、それゆえにこの場で問答をしても意見が統一されることはない。
「意見が合うことは無いようですね」
「非常に残念ながらそのようです」
同じ教会の人間なれど、その考えは一枚岩ではないのは前述の通り。
始めから合意に至ることがないことをわかっていた二人は、予定調和のように会談を終えそれぞれのするべきことを開始する。
ウイアオを見送ったイングリッドは、そのまま自室に戻り手紙を複数したためていく。
人を呼びその手紙の配達を手配すると、迷宮主と会う準備を始める。
約束の時間まではもうしばらく。
先程のやり取りを考えると気が重い部分もあったが、それでも会って伝えるべきこともあったので粛々と準備を進める。
可能ならば穏当に話をまとめたいところではあるが、それが難しいのはイングリッド本人が一番理解していた。
そして最後に紅茶とバイオリンを用意し、イングリッドは迷宮主を出迎える。
「こんにちは、イングリッド様」
「ええ、こんにちは、迷宮主様」
今日で10回目の訪問にすっかり慣れた様子の迷宮主に対して、先程の出来事でイングリッドは内心緊張をしていた。
バイオリンを贈った迷宮主へ、イングリッド本人は相応の感謝の気持ちを持っている。
加えてこれまでの会談で十分に人間と魔物という関係を越えて互いを理解できる存在であると考えていた。
しかしそれはイングリッド個人の考えであり、教会の公式な見解とするのは難しい。
更に聖騎士団の行動を今すぐ止められないのであれば、贈られたバイオリンを返却する必要があるだろうとも考えていた。
実際にそれを返したところで全てをなかったことにすることは出来ず、恩知らずと言われても仕方がない行いだろう。
だが自身の聖女という立場とそれに所属する教会という組織のことを考えれば他に答えを選びようのない選択肢であった。
「本日は、迷宮主様にお伝えしないといけないことがあります」
イングリッドは覚悟を決めて言葉を発する。
ここで一つ、彼女が想定外であったことは、聖騎士団長の行動が迅速であり性急と言って差し支えないものだったことだろう。
それは彼女の思惑をひっくり返すかのように、迷宮主の意識をプツリと切り落とした。
それから少し時計は進み、ダンジョンの前には二人の男か相対していた。
「これはどういった状況ですかな、聖騎士団長殿」
「神に仕える者の務めです」
聖騎士団長と呼ばれた者は少し前にイングリッドと話をしていた男。
声をかけたのは王都のギルドを纏めるギルドマスターだ。
相対する二人の後ろには、本人たちと同様にそれぞれ武装した者たちが並んでいる。
ギルドマスターの後ろに並んでいるのは10名、サブマスターの1名を除き全員がゴールド等級以上の冒険者だ。
聖騎士団長の背後に控えるのは彼の部下の騎士団員36名、全員が鎧を身に纏い臨戦態勢をとっている。
直接ぶつかり合えば、数の有利もあって聖騎士団が勝利するであろう。
とはいえもしそうなれば互いに無事では済まないことはわかっており、警戒はしつつも一触即発というほど緊張が高まってはいない。
「その結界も貴方方が?」
「左様です。まさか邪魔だてはしませんね?」
言うのは聖騎士団長、ウイアオ。
彼の目的はダンジョンへの突入、そして殲滅だ。
入り口を封鎖した聖騎士団は更にダンジョンを丸々覆う結界を張り、魔物が一切外に出ることができないようにしていた。
イングリッドの屋敷を訪ねていた魔導人形と迷宮主の魔術的な接続が切れたのもこれが原因である。
もし迷宮主が魔導人形ではなく生身でイングリッドの元を訪れていたのなら、この結界でダンジョンに戻ることもできなくなっていただろう。
そこまで大規模な仕掛けをわざわざ用意していることからも推察できるように、ウイアオはダンジョンの魔物を逃がすつもりは一切なく、更にその魔物を生み出す根源も消滅させるという意図が見てとれた。
当然、ギルド側としてはそれをされると困るというのが本音だ。
これまでダンジョンによってもたらされた報酬は膨大であり、それはギルドと王都の両方に等しく利益をもたらしていた。
今それが無くなればどれだけの不利益が生じるかは勘定するのも嫌になるレベルだろう。
とはいえ直接ダンジョンを攻めることを止めることは難しい。
それはこの場のギルドと聖騎士団の戦力差が理由でもあるが、それ以上に組織の母体としての力の差でもあった。
二つの組織は共に国を跨ぐ規模の大組織であるが、互助会的な意味合いの強い冒険者ギルドに対して教義を軸とした教会の組織力はとても強い。
それはある意味で国を凌ぐほどであり、王都から王族や貴族に連なる者がこの場に直接現れない理由でもあった。
加えて教会の不興を買えば、その教義を信じる数えきれない程の民を敵に回すことに等しい。
そのリスクを前にすれば、ダンジョン探索は冒険者の領分という建前で押すこともできない。
「とはいえダンジョンの中には数多くの冒険者が探索している。これを無視して突入するのを黙って見ているわけにもいかん」
教会との関係は十分に配慮する必要のある事案であるが、身内の安全を守るというのはギルドマスターとしてそれ以上に大切なことだ。
もしそれを蔑ろにするならば、ギルドは立場以前に冒険者からの信認すら失うだろう。
「冒険者に被害を出すつもりはありません」
「しかし突入を強行すれば実際にそうなる可能性は高い」
迷路のような構造の中で進攻する聖騎士団と防衛するダンジョンに巻き込まれれば身の安全を保証することは不可能だろう。
「それはダンジョン次第です」
ダンジョンが抵抗しなければ巻き添えが発生することもない。
それは極論であるが事実でもあり、教会側が建前とするには十分な理屈である。
ギルド側はそれをどう止めるべきかと考え、その結論が出る前にダンジョンに変化が表れた。
まず入り口を塞ぐように壁が生まれる。
同時にその外側へ、転送される者があった。
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