118.指導

「こんにちは、イングリッド様」


「こんにちは、迷宮主様」


本日も聖女様の屋敷を訪問デー。


これで7回目とかだったかな。


前までは教会の教えを教えてもらう教え子の立場だった俺だが今回は立場が逆だ。


いつものテーブルの上に置かれているのは、前に聖女様の渡したバイオリンのケース。


聖女様に有用性を示したそれは、しかし十全に活躍させるには正しく演奏できる人間が必要となる。


歌いながら演奏できるわけではないので、本当は聖女様とは別の演奏担当の人間を用意して教えた方が無駄がないんだけど、迷宮主と聖女様の面会に第三者を呼ぶのもいくつか問題があるということで結局俺が直接聖女様に教えていた。


構えの姿勢から指の運び、弓の引き方と指導を進めていくが、ほとんど素人の俺に教えられることはそう多くはない。


むしろ一通りの基礎を教えてしまえば、そのあとは聖女様がどれだけ教えられたことを実践できるかという話になってくる。


「とてもお上手です、イングリッド様」


「有難うございます、迷宮主様」


褒めて伸ばす方針の俺に、演奏を終えた聖女様はふうっと息を吐く。


彼女にとって楽器の演奏は慣れない作業のはずだが、その表情はやる気に満ちていた。


「この調子でしたら、すぐに私より上手く演奏できるようになりそうですね」


「そんな、私はまだまだです」


「いやいや、本当にとてもお上手ですよ」


まあ実際に人前で演奏するなら俺と同レベルになった程度では不十分なんだけど、実際にそれをするのは彼女ではないので問題ないだろう。


というか聖女様の隣で演奏する者は色んな意味で大変そうね。


今はバイオリンは増やせないから人数分担することもできないし。


とはいえ人選は聖女様がやるだろうし、なにより俺には関係のない話だ。


こうやって定期的に会いに来てると常に暇してる人みたいに彼女に対して勘違いをしそうだけど、どちらかと言えば忙しくしてる側の人間だしね聖女様。


彼女の癒しの力を使った仕事だけじゃなく教会の偉い人としての仕事もやってるし。


地位的には司教司祭とかって立場とは別の『聖女』って枠組みらしいけど、それでもこの前は教会の礼拝に参加して信徒にありがたがられていた。


なので彼女と共に演奏する者は彼女の裁量権と立場で優秀な人間が選ばれるだろうし、それに指名されれば拒否することもまずないだろう。


聖女様のソロコンサートの成功はこちらにもメリットがあることだしがんばってほしいね。


「もう少し顎を引いた方が良いかもしれません」


「こうでしょうか?」


「ええ、良くなりました。あとは可能なら姿見などで自分の姿勢を確認してみるのも良いかもしれませんね」


「なるほど」


頷いて自分の姿勢に意識を巡らせる彼女の表情はとても真剣だ。


聖女様自身にもメリットがあることとはいえ、本人の性格も素直で真面目なんだろう。


聖典について教えてもらってた時の俺と比べると学びの姿勢は雲泥の差だ。


「迷宮主様、もう一度手本を見せていただいてもよろしいですか?」


「もちろん。よろしいですか?」


手を差し出して彼女からバイオリンを受け取る。


んー、やっぱりもう一本作ってきた方がよかったかな。


実際に指導するなら二本用意して一緒に構えられる方が絶対に効率はいいんだけど、あんまり数を増やして簡単に作れる物だって印象は持たれたくないんだよね。


数が二倍になれば希少価値は半分になるからしょうがないね。世界に一枚のレアカードと二枚のレアカードじゃ価値もダンチだし、デッキに三枚しか入らないなら世界にある四枚目のカードは破り捨てるもの、これはカードゲーム界の常識。


なのでしょうがない部分もあるんだけど、一本しかないと必然的にこちらが演奏するときは聖女様に注目されることになるのでちょっと落ち着かない。


「どうかなさいましたか?」


「あまり熱心に見られると落ち着かなくて、すみません」


「あっ、こちらこそすみません」


「いえいえ、真剣にやっていただけた方がこちらもありがたいですのでお気になさらずに」


なんて伝えると、ちょっとためらう仕草を見せた後に、やっぱりこちらに聖女様の視線が向く。


人前で披露できる腕前があれば自然にできるんだろうけど、残念ながら俺の腕前は学芸会レベルにも達してないから余計に恥ずかしいんだよね。


そんな晒し上げ状態でも聖女様は持ち上げてくれて心遣いが染みるね、主に俺の羞恥心に。


「お見事です、迷宮主様」


「ありがとうございます、イングリッド様」


聖女様の褒める言葉も半分はこの世界に存在しなかった楽器の演奏技術という未知の経験で下駄をはかせてる評価なだけで、ついでに言えばもう半分は単純なお世辞だろう。


「それではどうぞ」


「はい」


再びバイオリンを受け渡して構える聖女様。


バイオリンって演奏するときに顔を密着させるから、こうやって使いまわすとそれはそれでちょっと気恥ずかしさがあるかな。


「……? どうしました、イングリッド様」


「いえ、意識すると私も少しだけ落ち着かない気がしまして」


確かにそう言った彼女は、どこかむず痒そうな表情を浮かべている。


変なこと言ったせいで意識させちゃったかな。


普段自然にやっていたことでも、意識すると落ち着かなくなるなんてことも良くあること。


意識して裏拍を叩こうとするとむしろ表に引っ張られそうになる感じ、とは違うか。


とまれここで指導をストップしても特にお得な所はないのでどうにかしよう。


「後ろ向いてましょうか」


「あっ、いえ、大丈夫です、はい」


そんな彼女は演奏を始めるがその音色は今までよりも少しぎこちなさを感じるもの。


彼女は人前に出るのは慣れてるだろうし、別に指摘しなくてもいいか。


いつもこうだと困るけど今だけだろうしね。




「今日一日でずいぶん上達しましたね、イングリッド様」


「本当ですか、迷宮主様」


「ええ、これならあとは今日教えたことを練習するだけで私より上手く演奏できるようになると思いますよ」


教えられることは教えたのであとはそれを彼女が実践できるかどうかだ。


そもそも俺と同レベルになってまだ人前で演奏するには値しないという腕前なわけだが、それより先に関しては俺が教えられる訳でもないので自身で練習をしてもらわなければならないのだけど。


「とはいえまだお役に立てることもあるでしょうから、イングリッド様がご迷惑でなければもう少し教えさせていただきますよ」


「迷惑なんて、とんでもないです」


誰でも10を聞いて10が出来るなら実際に指導する人間なんていらないしね。


まあそういう人間もいるんだろうけど、大抵の場合は出来る人間が直接手本を見せたり問題点を指摘する方が上達も早いわけで、もうしばらくは聖女様の演奏の練習に付き合わせてもらおう。


「それでは、少し早いですが今日はこれで失礼させていただきますね」


「なにか御用事でもありましたか?」


「いえ、私ではなくあちらの方がイングリッド様にお伝えしたいことがあるようですので」


屋敷の入口へと視線を向けると、そこには一人の男性が立っているのが見える。


歳は俺よりずっと上の髪に白髪が混じったナイスミドルでキッチリとした執事服を着ている。


オタクの共通概念でセバスチャンって呼ばれるのが似合いそうな彼は、屋敷の衛兵に追い払われない所を見るに教会の関係者だろう。


そんなセバスチャンは自己主張を控え目にしているのでこちらの退席を急かしているという感じではないが、待たせるのは心苦しいので俺は退散させてもらおう。


「すみません、迷宮主様」


彼女はセバスチャンとは既知の関係だったようで申し訳なさそうにこちらを見る。


「こちらが勝手に退散するだけのことなので謝る必要はありませんよ。それではまたお会いしましょう、イングリッド様」


「はい、迷宮主様」


挨拶をして俺が屋敷の敷地から退出すると、恭しく一礼した彼が入れ替わるように庭へと入っていた。

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