117.28F③
コルトトが目の前の壁の隙間に体を通し、カニ歩きでそのまま向こう側に抜ける。
「うわっ」
そのまま部屋まで抜けた彼の足が、水中に深く沈んでバランスを崩した。
部屋は床が一段深くなっていたようで、そこに両足で立ったコルトトは腰までずっぽりと水に浸かっている。
水位が膝までなかった先ほどまでと比べると、運動性はかなり低下することになるだろう。
そんな状況でコルトトは腰の剣を抜き、垂直に跳ねた。
同時に左右から巨大な拳が振るわれる。
一瞬前までコルトトのいた場所に叩きつけられたそれは大きな水しぶきを立て勢いの強さを示す。
「ゴーレム2! サボルブ、片方よろしく!」
ゴーレムの腕の上に着地し、更にジャンプしたコルトトは振り返りながら後続に伝える。
配置されていたゴーレムはこの迷宮の主たちがミドルゴーレムと呼ぶ中サイズのものではなく、6階層~9階層までに障害物として配置されている大サイズのもの。
具体的に言えばミドルゴーレムが全長2メートル程に対しゴーレムが2.5メートル程。
その身長差に加え体格も一回り以上大きくなっているのでパンチの破壊力や耐久力も上がっている。
それは一体一体がシルバー等級の冒険者がパーティー一丸となってやっと相手取れる強さの敵だ。
腰まで水没した足元、距離を取って立ち回るには狭い部屋、そして何よりも突然の挟み撃ちという不利な状況。
それでもコルトトは問題なく立ち回る。
ゴーレムを足場とし、紙一重で回避し、必要ならその拳を抜いた剣で受け止める。
そんな状況で後続のサボルブが参戦すれば勝負は見えていた。
流石にゴーレムを一刀両断とはいかないが、それでも一対一となった彼らはさほど時間をかけることなくゴーレムの無力化を済ませる。
「わっ、ほんとに深くなってる」
「胸まで沈みそう」
「リッサは身長低いもんね~」
「うるさい」
女性陣の中で特に身長の低いスアリッサが後ろから抱き上げようとしたシスタへと抵抗している。
ゴーレムを沈黙させ安全を確認してから隙間を抜けて後続も部屋に入った一行は、更に深くなった水位に身を浸しながら状況を確認した。
「これシルバーなら完全に負けてただろ」
「そうだね、完全に帰す気はなかったんじゃないかな」
サボルブの言葉の通り、シルバー等級のパーティーに対して大サイズのゴーレム二体は完全に過剰戦力だ。
「まああたしたちなら楽勝だったね」
「戦ったのは二人だけだけど」
「パーティーなんだからいいの!」
「実際シスタでも普通に戦えてたんじゃないかな」
シスタと後ろから抱かれたスアリッサの会話にコルトトが付け加える。
「それで、この先はどうしますか?」
「ここまで来て手ぶらで帰る理由もないかな」
封鎖された最奥には障害があるのは周知の事実。
しかし未だにそれを超えた者はいない。
なぜなら階層に対して適正レベルの探索者では超えられないハードルが設置されているからだ。
それより更に上に実力の者であれば突破できるが、とはいえそのレベルの人間はわざわざ報酬に見合わないこんなところまで来る理由がなかった。
だが今このタイミングだけは話が異なる。
もし既に29階層が作られているなら、そこを先行して探索するのは大きなアドバンテージになるからだ。
この階層の敵編成なら即座に対処できるとはいえ、30階層に向けて魔力の消耗を抑えることができれば十分にメリットはある。
それに道筋を知っていれば、最短距離で進行して他の探索者と差をつけることもできるだろう。
なにより、このまま30階層に挑戦できる可能性もゼロではなかった。
「というわけで、行くよ」
コルトトが奥の扉に手をかけそれを開く。
重く軋む音を立てて開いたその先は、床の高さがあがり水没していない空間が広がっていた。
広さはさほどでもなく、10歩ほどで通り抜けられる程度。
更に奥には階段が見え、それとコルトトたちの間には宝箱と、隣に立つ者の姿があった。
銀色の仮面を被るその男に敵意はなく、初見ではあったが未知ではない一行も必要以上に警戒することもなく一歩部屋へと進む。
「初めまして、冒険者様。私はこの迷宮の主に仕える者です。失礼ですがお名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「コルトトです」
既にボス階層で名前入りのプレートが作られているが、もう一度聞くのは確認のためか、それともそれを知る権限までは持っていないというアピールか。
「コルトト様ですね。それではコルトト様、本日は当ダンジョンにどういったご用件でしょうか」
「冒険者がダンジョンに潜るのは不自然ですか?」
「高位の冒険者がその実力に見合わない報酬のために足を延ばすのはいささか不自然かと」
「ふふっ、確かにそうかもしれませんね」
彼が漏らした笑いは、ダンジョンの一番奥でなぜか外でもほとんどしないような丁寧な会話をしているミスマッチさを面白く感じてのもの。
シルバー等級向けに報酬を調整しているのにゴールド等級が何の用だという言葉を回りくどくしたやりとりは、ダンジョン側が報酬と難易度をコントロールしているという証言でもあった。
それが確定したなら話は早い。
「とはいえ、僕たちの目的は推測ができているんじゃないですか?」
「そうですね。ですがまだこの階段の先は冒険者様をお通し出来る状態になっていないのです」
「作っていない、ではなく?」
「迷宮は出来上がっていますよ。ただお察しの通り、このダンジョンは細かい調整を行っていますのでそれがまだ済んでいないということです」
調整が済んでいないという言葉の主語は難易度か報酬か、あるいはその両方だろうか。
どちらにしても、このまま30階層まで突貫して報酬を得るという選択肢はなくなった。
特に節目の階層で得られるものはそこに用意された強敵を越えた功績に対する報酬であり、調整されていないというのならば正規の報酬を期待することもできないだろう。
「下に降りて確認してもいいですか?」
「それをお断りする権利は私にはありませんが、オススメは致しかねますね。まず前提として安全の保障ができないという部分もありますが……」
探索者に合わせた魔物の強さの調整で一番苦労するのは、その相手を殺さないように最大限配慮する所。
特に現在の階層では命の危険がないような攻撃であればシルバー等級冒険者の脅威とはなりえず、かといってやりすぎれば死亡事故に繋がりかねない。
その調整が十全にされていないということは、殺してしまう危険性もあるということになる。
「ところで、皆様は解放金の契約は行われていますか?」
唐突な銀仮面の物言いに、コルトトは困ったような表情を浮かべる。
「流石に金貨100枚は払えませんよ」
解放金の額はシルバーが金貨3枚に対してゴールドが金貨100枚と跳ね上がる。
その金貨100枚という数字自体は払うことができなくもないが、とはいえ実際にそれを払うよりは数日間の拘留を受けた方が日給計算でも安上がりであった。
なので一行は全員それを払わずにここへと赴いている。
「でしたら、なおさら先に進むのはオススメできませんね。30階層を目指しながら牢の中でその機を逸してしまえば本末転倒ですから」
「拘留は5日のはずでは? それよりも早く30階層を……? いや、違うな」
これまでの階層拡張速度的に、それは考えづらい。ならば逆に条件に間違いがあるのだろう。
「ご想像の通りです」
「確かにルールにも拘留期間は記されていなかったですね。でも食事は?」
「その点はご安心ください。元々5日分の食料というのはこちらでそれを用意する手間を省くという意味合いのものです。ですのでその労力をかけるに値する等級の冒険者様にはこちらで食料を用意させていただきますよ」
コルトトが確認していた事前の情報は、ダンジョンに捕まった冒険者は解放金を支払わずとも5日で解放されるというもの。
しかしその情報のサンプルはブロンズとアイアンの冒険者に限ったものでありシルバー等級以上の実例は確認していなかった。
そもそもシルバー等級であれば解放金を払った方がメリットが大きく、そんな勘定もできないパーティーがほとんど居なかったこともあり彼らが知らないのも無理はない。
「ならゴールドの拘留日数は……、30日ほど?」
「それは秘密にしておきますよ」
コルトトが推察した日数は、解放金と拘留日数が確定しているブロンズやアイアンの冒険者とゴールド等級の依頼報酬の相場から逆算して導き出されたもの。
もしその数字が正しければ、今捕まった場合に30階層の攻略レースから始まる前に脱落するのは間違いない。
実際にはそれより短い可能性もあるし、なによりも捕まらなければ問題ないという前提もある。
とはいえそれは、推奨されない29階層の探索を強行してまで得られる情報に見合うリスクかと言われれば疑わしい所であった。
「それなら今日はこのまま帰ることにしますね。みんなもそれでいい?」
リーダーの決定に一行は異論なく頷く。
「それでは、お詫びという訳ではありませんがこちらをどうぞ」
言いながら片手で示されたのは、置かれていた宝箱。
「こちらは鍵もかけていませんので、そのまま中身を持ち帰っていただいて問題ありません」
宝箱の大きさはそこまででもないが、ダンジョン最奥までたどり着きわざわざ迷宮の関係者まで出てきて渡されたものであれば中身には期待できた。
「これはまた次回以降もここに来れば受け取れるのでしょうか?」
「いえ、今回は階層準備が間に合ってないことの説明兼てのものとなりますので、それが済みました次回以降はお越しいただいてもお渡しは出来ません」
「そうですか」
また貰えないのは寂しいが、一回限りの分中身には期待できる。
それに毎度ここまで来る手間を考えれば、一度で大きいを得られる方が総合的にはメリットも大きかった。
「本格的な報酬は30階層までお待ちください」
コルトトの思考を察してか、銀仮面がそう付け加える。
「それはつまり、30階層の報酬には期待していいと?」
「ゴールド等級の冒険者様の活躍は耳にしています。その武勇に相応しい報酬を用意していますよ」
「それを聞いて安心しました」
ここまでの運営を見れば迷宮側が報酬ラインを大きく見誤ることはないだろう。
ならば30階層の報酬に対するお墨付きを受けられただけで今日ここまで訪れた価値があった。
「では私は失礼いたしますね」
先にその場から去ろうとする彼に、コルトトは声をかける。
「僕たちが帰るのを確認しなくてもいいんですか?」
「ええ、その宝箱の中身を持ったまま進んだとしてもこちらは咎めませんよ。逆にそれを無事に持ち帰る保証も出せませんが」
それはある意味で、進めばどうせ回収できるからという挑発にもとれた。
とはいえコルトトには実際にこの階段を下りる意思はなかったので、そこまで見越しての台詞だったのかもしれない。
迷宮主の使いが去ったあと、宝箱を開ける前に一息をついてコルトトが口を開く。
「想定外の展開だったけど、思ったより役に立ちそうな情報が手に入ったね」
「この先に行けねえのは気に食わねえが、30階層は楽しめそうだしな」
「情報では知っていましたが、想像以上にちゃんと会話が通じましたね。大半の冒険者よりまともな人物なのでは?」
「油断は禁物。でも先に進むなというのには賛成。お腹空いた」
「それよりも宝箱、開けていい? 開けていい?」
「いいよ」
リーダーの許可を得たシスタが手を伸ばし宝箱を開く。
中にはゴールド等級でも十分な戦利品となる魔石や金貨の山と、その中央に指輪が入っていた。
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