第18話 Slasher Film


(…………はっ!?)


ネルソンが目を覚ました時、真っ先に視界に飛び込んで来たのは、カビた白い天井と、そこを這うゴキブリだった。

慌てて周囲を見回すと、そこがオアシスの病室である事が見て取れる。

彼はしばし状況が掴めない様子だったが、記憶を辿っていくにつれ、自分が戦闘中にバットで殴られ気絶していたのだと理解した。


「今回も生きてるのか……」


ネルソンはぼそりと呟く。

腹を撃たれた時といい、妙に悪運が強い。

しかし、それもいつまで続くかはわからないだろう。

彼はゆっくりと身体を起こして、枕元に置かれた写真立てに視線を向けた。

そこには黒い装備を纏った男2人の写真が収められており、その上にうっすらと自分の顔が反射していた。

眉間から鼻の付け根辺りには縫合した痕がある。


「クソ、また高くつくぞ」


またもや医者の世話になったネルソンは、今から支払いの事で気分が滅入ってしまった。

そんな彼の元に、裸眼のイーライがやって来る。


「あ、起きた」

「今は夜か」

「第一声がソレか……まぁ、元気そうで何より」

「あれから何日経った?」

「丸一日。作戦は一応成功した」

「そうか……ヤられたのは俺だけだよな」

「まあね」


つまり、ネルソンからすれば、自分一人が仲間達の足を引っ張った形となっている。

自尊心が人一倍強い彼にとって、この事実は屈辱的だった。


「後先考えずに凸るからそうなる」

「短期決戦って話だっただろ」

「オマエは猪なの?前に出るだけが戦いじゃない。ここまで馬鹿だと、俺たちも面倒見切れないよ」

「ぐっ……」


イーライのド直球な発言と刺すような視線を受けて、最早ネルソンには返す言葉がなかった。

黙りこくってしまった彼を見たイーライは、ベッドに腰を下ろすと言う。


「戦い方を身につけた方がいい。今のままじゃ長生きは無理だ」


そして、ポケットから手のひらサイズのジップロックを取り出すと、中から絆創膏を一枚取り出し


「馬鹿につける薬」


そう言って差し出した。

ネルソンがそれを受け取ってよく見ると、ピンク色の背景に女児向けアニメのイラストが入っていた。


「じゃあ、そういう事で」


イーライは用が済んだとばかりにその場を後にする。

一人残されたネルソンは、再び力なくベッドに倒れた。





翌朝、日が上った頃にファイバーが自身の工房のドアを開くと、そこにはネルソンの姿があった。


「どうした。また借金でもしたのか」

「まぁな。でも、今はそれよりも大事な話がある」


彼はファイバーの眼前に歩み寄り、言った。


「前に言ってたよな、治安部隊の奴らに稽古をつけてるって」

「そうだな」

「って事は、あんた強いのか」

「む……俺は自分が強いとは口が裂けても言えんな」

「そうか?チームの奴らやニックから聞いたんだけどな」

「なるほど、あいつらめ」


ファイバーはため息をついた。

もうこの段階で、次にネルソンが何と言うのかを理解しているからだ。


「俺も稽古仲間に入れてくれよ」


しかし、ファイバーは無言で背を向けた。

彼はそのまま壁際の棚に向っていくと、仕事の準備を始める。

これを見たネルソンは続きの言葉に迷っていた。

しかし、次の瞬間畳まれたエプロンが勢い良く飛んで来て、ネルソンの顔面に張り付いた。


「今日の仕事終わりに見てやる。途中で投げ出すなよ」


エプロンをぶん投げたファイバーはニヤつきながら言った。

一方のネルソンは顔面からずり落ちたエプロンを勢い良く広げると、これに応えた。


「当然だ!」

「では仕事にかかるぞ」





「違う、もう一度だ」

「こうか?」

「違うな、それでは踏ん張りが効かない。もう一度」


仕事終わりのファイバーは、約束通りネルソンに稽古を付けていた。

しかし、今ネルソンがやっているのは武術や銃器の派手なトレーニングではなく、単純な足運びの繰り返しだった。


「もう一度、脚の角度は直角を意識しろ」

「なぁ、悪いんだけどさ……」

「どうした?」

「俺は何というか……実践的な練習がしたいんだ。近接格闘術や射撃戦の立ち回りのような。正直言って、こんなリハビリ体操を重ねても戦いが強くなるとは思えない」


ネルソンはあくまで教わっている立場なので多少は申し訳なさそうにしているが、本音は半信半疑といった様子だった。


「なるほど。確かに目的を提示しなかったのは俺の落ち度だ」

「目的?」

「あぁ、試しに俺を殴ってみろ」


ファイバーはそう言うと手招きする。

突然の事にネルソンはしばし困惑したが、意を決すると拳を握って殴りかかった。

そして、放たれた拳がファイバーの胸を捉えるというその瞬間、ファイバーは素早く足を引いた。

それに連動して上半身が即座に横を向き、ネルソンのパンチは胸の前を素通りした。

一瞬の出来事に、ネルソンは鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべた。

一方のファイバーはその頬を軽くビンタしてネルソンを煽った。


「どうした、打ってこい」

「クソッ!」


スイッチが入ったネルソンはどんどん詰め寄りながら左右のパンチを放つが、ファイバーはこれを先程まで教えていた足運びだけで避けていく。

そして、ネルソンが大振りなストレートを繰り出すと見るや、タイミングを合わせて今度は前に踏み込んだ。

その結果、両者はすれ違う形となり、ファイバーはネルソンの背骨あたりを手で軽く押した。


「おわっ!?」


一気にバランスを崩し、倒れ込むネルソン。

しかし、ファイバーがフードを掴んだおかげで地面とのキスは免れた。

首は締まったが。


「く、くるし……」

「おっと」


ファイバーに開放され、ネルソンはしばし咳き込む。


「どうだ、これでわかったか」

「まぁな……」

「要するにコレは単なる体操ではなく、戦闘技能の一部であるという事だ。つま先や腰、肩の動きを組み合わせれば、他にも色々応用が利く」


そして、ファイバーは時計を一瞥すると言った。


「初日はこれで終わりだ。最後にイイモノを見せてやる」





その後、2人はファイバーの部屋に場所を移した。

破れたソファーに腰を下ろし、ブラウン管のテレビモニターを点灯する。


「俺がオアシスに住むと決めた理由の一つが、コレだ」

「確かにテレビが使えるのはデカいな。で、イイモノってなんだよ。エロビデオか?」

「少し違う」


そう言うとファイバーは再生ボタンを押した。

砂嵐の後に画面が切り替わる。

それは監視カメラの映像であり、集合住宅の外廊下のような場所を映していた。

これを見たネルソンが反応する。


「オアシスの中心部か?」

「そうだ、スクーターで近くを通ったな」


暫くの間、画面の中の光景は代わり映えしなかった。

だが、ある時唐突に爆発音が聞こえると、慌ただしくフレームインしてくる人物がいた。

それは他でもなく


「ニック!?それにラケルか!?」

「流石に気づくか」

「当たり前だろ!!でもコレって……」

「日付を見ろ」


映像に記された日付、それは今からおおよそ3年半ほど前のものだった。

この時、ネルソンは全てを理解する。

これが噂に聞く、オアシス奪還作戦だ。

と、ここで新たな人物が映像に移り込んだ。

カメラに背中を向けているので顔は見えないが、上下共に黒色の装いをしており、ニックが何か言っているのを聞き流しながら、自身の装備を整えていた。

しかし


『早く行け!!』


突如としてしびれを切らしたように叫んだ。

これを受けてニックは喋るのをやめ、ラケルと共に彼へ背を向けた。

そして


『すまないスラッシュ……』


ニックが一言残し、2人はその場から去って行った。

一方で、スラッシュと呼ばれた人物は、カメラに背を向けたままその場に佇んでいる。

その様子を見て、ネルソンは呟いた。


「そうか、こいつが“スラッシュ”なのか」

「まさしく、そうだ」

「強いのか?」

「今にわかる。一瞬たりとも見逃さない事だ」





右手に握られたMAC11と、ベルトに挟まるナイフ一本。

それが今スラッシュの使える武装の全てだ。

そんな彼の耳に届くのは、次第に大きくなる無数の足音、怒声。

敵はすぐそこまで迫っていた。


「…………」


スラッシュは無言でストックを展開すると、銃を肩付けの位置で構える。

そして、廊下の先を真っ直ぐに見通して、セーフティを外した。

直後、廊下の先に銃を携えた男達が左右から大勢現れる。

しかし、誰一人として引き金を引けた者は居なかった。

スラッシュが全弾ヘッドショットを叩き込んだ為だ。

距離にして約30m、正気の沙汰ではない。

だが、すぐに次なる一団が現れる。

今度はショットガンを持つ者が混じっていた。

スラッシュはすぐさま曲がり角に身を隠し、相手の出方を確認する。


「M1100か」


散弾銃の射程は意外にも長く、使用弾薬にもよるが30mくらいであれば普通に届いてしまう。

その上、今回のレミントンM1100はセミオート、即ち指切りによる連射が可能である。

正面から撃ち合うのはハイリスクな相手だった。


ドッ!!ドゴッ!!


隠れた獲物を追い詰めるように、鉛の群れがコンクリート壁を抉っている。

対するスラッシュはMAC11のストックを収納すると、左手に持ち替え腰の高さに構える。

そして、セレクターをフルオートに切り替えた。

相手はスラッシュが出てこないと見るや、距離を詰め始める。

遂に曲がり角を挟んで接敵する両者、数は4対1だ。

スラッシュと先頭のショットガン男、両者は出会い頭にほぼ同時に発砲した。

ただ、身のこなしには雲泥の差があった。

素早く角を回ったスラッシュは、相手の腹部にフルオートでゼロ距離射撃を叩き込む。

そして、悶え叫ぶ男の身体で相手の射線が遮られている一瞬を逃さず、2人目の相手へ即座に銃口を向けた。


ダダダダッ!!


小さいMAC11から放たれる大量の銃弾は、標的の顔面を瞬く間にミンチへ変えた。

一瞬の出来事に、これを目にした男達はパニックになってしまう。

殆ど破れかぶれに銃を連射したが、そんな状況では当たるはずもなく、構わず踏み込んだスラッシュに銃身を掴まれ、捻り上げられてしまった。

放たれた銃弾が天井を抉る。

スラッシュはそのまま相手の脇の下を潜って回り込み、上半身をロック。

すかさず列の最後尾に居た男に2発叩き込んだ後、拘束した男の後頭部に銃口を向けた。

彼の立場からすれば、目の前にいた相手が当然視界から消えた直後に身体の自由が奪われ、背後を取られているようなものだ。


「化け物が……」


彼は精一杯の強がりで捨て台詞を吐いた直後、無慈悲にも脳幹を撃ち抜かれ地に伏した。

一方のスラッシュは次なる敵の出現に備えて、既に索敵モードに入っている。

その時だ。

彼の足元から銃声がしたかと思うと、一瞬遅れて遠くから着弾音が聞こえた。

スラッシュが着弾地点に目を向けると、そこには遮蔽に隠れたガスマスクの大男と銀髪の少女が、敵の猛攻を受けて足止めを食らっているのが見える。

スラッシュから見て、下の階層から銃撃を受けているのは明白だった。


「あいつらか……」


スラッシュは付近に設置されていた消火設備の元へと向かうと、中に収められた放水ホースを取り出し、自身の身体に巻き付け始めた。

そして、外廊下の柵まで一気に走ると、そのまま跳躍して飛び降りる。

強引なロープの垂直降下で一気に階層を下った彼は、今正に射撃中の敵に向って勢い任せに突っ込んだ。

スラッシュはそのまま相手を押し倒すと、上半身に足を絡めて寝技に持ち込む。

そしてライフルを奪い取り、床に倒れた姿勢のまま、自身を狙って来た相手を片っ端からぶち抜いていった。

最後に眼前の男の首を捻って殺害し、周囲の敵は一層された。

スラッシュはその場から立ち上がると、遮蔽に隠れた仲間にハンドサインを送る。

そして、自身に向けられたカメラの存在に気がつくと、無言で銃口を向け引き金を引いた。





映像の再生が終わり、砂嵐が流れるテレビモニター、それをネルソンは呆然と眺めていた。

まるで、自分自身がスラッシュに射殺されたかのような感覚に陥ってしまっている


「こいつ、人間なのか?」

「恐らくな」

「イカれてる」

「普通じゃないのは確かだ。俺が今治安部隊に指導が出来ているのは、こういった映像が残っているおかげでもある。最高の教材だ」

「これが教材だと?何をやっているのかまるで分からなかったぞ」

「そこはコマ送りで繰り返しみればいい」


ファイバーは映像を巻き戻して一時停止をした。

丁度4人の相手を秒殺した場面だ。


「ここは正に、今日教えた内容の応用だ」

「応用が過ぎるだろ」

「そうだな。これは俺にも無理だ」


画面の中のスラッシュは、決して体格に恵まれている訳ではなかった。

しかしながら、この戦いぶりからは紛れもない強者の風格が滲み出ている。

ネルソンはファイバーに尋ねた。


「これだけ強いなら、さぞ大活躍したんだろうな。今も治安部隊にいるのか?」

「奴は死んだよ」

「は……?」

「だから、俺が指導をやっているんだ」

「そう、か」


どれだけ強くても、死ぬときは死ぬ。

だが、強くて困る事は無い。

自分が成長する為の材料が転がっているのなら、今のネルソンに見逃す理由は無かった。

例え、それが死人であってもだ。


「なぁ、ファイバー」

「どうした」

「明日も稽古を頼んでもいいか?」

「治安部隊になりたくなったか?」

「そんな訳あるかよ。ただ……」


ネルソンはしばし画面を見つめる。

そして、言った。


「強くなりたいんだよ。チームの奴らとかニックとか……あんたや、このスラッシュみたいに」


ネルソンは敵が多い。

そんな彼に残された時間は、決して多くは無かった。


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