第15話 The Boogeyman is Back
オクターブとの激闘から2日が経った真昼時、ネルソンは再びダイナーを訪れていた。
今回の働きぶりが認められ、ネルソンは残りの借金をアントンに肩代わりしてもらう形で完済したが、これにより目標が失われてしまった彼は途方に暮れていた。
「一体、これからどうしろってんだよ」
何せ、相棒から裏切られた事が明白になってしまったのだ。
これまでは身の安全を確保する事が最優先であり、その後は漠然とオクターブと合流する手筈を整える算段であった。
しかし、その考えは根本から崩れ去った。
「オクタン、どうして……」
「まぁ、とりあえずは燃料補給だ」
うなだれるネルソンの元に、ニックがコーラを2本持ってやってきた。
彼は栓を抜いたのち、片方をネルソンに差し出す。
「飲めよ、俺の驕りだ」
「悪い」
「いいって。ガスケットも持ってきてくれたしな」
軽く乾杯を済ませて一気に呷る。
ニックは瓶を置いて一息つくと、再び口を開いた。
「やっぱり低血糖だと頭は回んないぜ。ラケルも良く言ってる、"決め事は食事の後に限る"ってな。実際その通りなんだ」
ニックは相変わらず、妻のラケルを話題に出す。
次第に話の内容は逸れていき、嫁自慢の様相を呈してきた。
次から次へと惚気話がお出しされる。
そんな中、ニックはこんな言葉で一度話を締めくくった。
「……とまぁ色々あったけど、ラケルと店をやる毎日はなんだかんだ幸せだ。やっぱり、人生には道しるべがあるといいんだよな。俺の場合、それがラケルだった」
この、"人生の道しるべ"というワードにネルソンが反応する。
「一応俺にも、相棒で師匠みたいな奴がいた。ずっとそいつを目標にしてきたんだ」
でも、とネルソンは続ける。
「裏切られた。俺はそいつに捨て駒にされたあげく、一昨日殺されかけた。アントンがいなけりゃ間違いなく死んでいた」
ネルソンの話を、ニックは黙って聞いている。
「俺の道しるべは、もうとっくに消えちまった。これからどうしたらいいのか見当もつかない」
「そうか……」
「悪いな。知り合って間もないのに、こんな話をして」
「いや全然?俺もそうやって、色々な奴らに弱音を吐いて来たからな。順番が回ってきただけだ」
「強いんだな、あんたは」
ネルソンは普段の傲慢な態度はすっかりなりを潜めていた。
相棒に裏切られたという事実は、それほどまでに大きなダメージだったのだ。
対して、ニックの方は明るいトーンを崩さなかった。
「俺は臆病者だよ。メンタルは弱いし、日常生活じゃドジばっかだ」
「そうは見えないぞ」
「強い自分を演じているからな、今だってそうさ。でも、続けていれば外からはマジでそう見える……そしたらシメたモノさ。世間的には俺は強い人間だ」
ニックの言葉は続く。
「さっき、道しるべを無くしたって言ったよな?でも、別に特定の誰かの後を歩く事が全てじゃない。自分より強いと思った奴らの色々な所を真似して、振る舞っていればいいんじゃないか?」
窓から差し込む日差しを受けて、逆光になったニックの姿が、ネルソンにはやけに大きく見えた。
「俺と大して年も変わらないのに、随分と達観してるんだな」
「3年前の事件で一皮剥けたのかな。今だって偉そうな事言ってるけど、毎日ラケルの尻に敷かれっぱなしだ」
ニックは笑いながら言うと、コーラを飲み干す。
その時、建物の奥から赤子の泣き声が響いた。
「お~~っと!ごめんよ!今行くよ~~」
そう言いながら、ニックはすぐさまカウンターの奥に走り去って行く。
やがて、壁の向こう側から慌ただしいやり取りが聴こえた。
「ミルクかな~?」
「さっきあげたよ」
「オムツ替えかな~?」
「臭いはしないね」
「ウィル君、どうして君は泣いてるの?」
「この子は泣くのが仕事だからね……もしかしたら、どこか痛いのかも」
「まぁ、かわいそうに!パパ、踊ります」
ネルソンがカウンターの奥を覗くと、中古車屋の客寄せバルーンのように、クネクネと踊るニックの姿が見えた。
しばらくするとウィルは泣くのをやめ、小さな笑い声を上げる。
「やったぜ」
「それ、好きだよね」
「俺もいい運動になるよ」
「それは何より。お昼ごはん作るから、ウィルの事頼んでいい?」
「あぁ」
ニックは息子を抱き抱えると、カウンター奥から姿を表した。
「待たせて悪かった。紹介するぜ、俺達の息子、ウィルだ」
父の腕にすっぽりと収まった赤子が、ネルソンに視線を向ける。
しかし、ネルソンがとなりに腰を下ろすと、すぐさま顔を背けてしまった。
「人見知りするんだ。俺に似たのかも」
「本能的に悪人を見分けたんだろ」
「商人の必須スキルだ、やっぱり俺に似たな」
彼らが談笑している傍らでは、ラケルが昼食の準備を始めていた。
髪を後で纏めて手を洗うと、フライパンに油を垂らして火にかける。
これを見たニックは、ネルソンを連れて外に出た。
「室内はうるさくなる、折角だから車をよく見せてくれよ」
「あぁ、いいぜ」
ニックはウィルを抱いたまま、ネルソンの車の周りをゆっくり見てまわった。
「しっかし、このウィンチは中々に派手だな」
「元々、この車には社外品のアウトドアパッケージがあった。それを改造して使ってる」
「重量バランスも変わるだろ」
「重心が後ろになるから、乗り味はRRに近い」
「ひゃー……こりゃ乗りこなすのは大変だ」
「慣れると意外とそうでもない。中も見るか?」
「勿論だ」
ネルソンはドアを開けて、運転席を顎で指し示した。
ニックはゆっくり屈みながら、シートに身体をおさめた。
「低っ」
「クーペだからな。俺としては視点が高い方が落ち着かないけど」
「そんなもんか……ウィル君、スポーツカーのコクピットだぞ」
ニックは膝の上の息子にハンドルを握らせる。
そんな時、ダイナーのドアが開かれた。
「車オタクのお三方、お昼が出来たよ」
ラケルが皆を呼びに来た。
これを受けてニックは車から降りると、ネルソンと共に店に向かう。
しかし、彼はふと足を止めると、地平線の彼方に目を向けた。
その視線の先には、旧国道ルート62をかなりのスピードで下ってくる車両があった。
ニックが口を開く。
「ピックアップトラック一台、荷台に銃を持った奴が見える」
「そこまで見えるのか!?」
「まぁな。俺の経験上、お行儀のいい連中じゃなさそうだ」
ニックはラケルに息子を受け渡すと言う。
「離れに居てくれ」
「わかった、この子の事は任せて」
ラケルは落ち着いた様子で、部屋の奥へと消えていった。
続いて、ニックはネルソンに言う。
「カウンターの裏に隠れててくれ」
「ニック、お前は!?」
「俺は表に立ってないとな」
ニックはネルソンをカウンター裏に押し込むと、自身はドアの近くに赴いた。
やがて、エンジン音は近くなっていき、遂に店先で止まった。
続いてまばらな足音がしたかと思えば、店のドアが乱暴に開かれる。
ニックはいつもと変わらない様子で、客を出迎える。
「いらっしゃいませ、ダイナーへようこそ!」
しかし、これに対して客からは一切のリアクションはなかった。
ネルソンは不審に思い、ゆっくりと店内を覗き込む。
そして絶句した。
たった今訪れた客は、みな動物マスクに顔を覆い、銃を携えた3人組だったからだ。
(なんだ、こいつら……)
異常な光景に驚愕したネルソンは、すぐさまカウンター裏に身を隠し、腰から銃を引き抜く。
一方のニックは淡々と業務上の定型文を読み上げていた。
「すみませんが、銃は全て見えるところに置いて下さい。そして、お顔を覆うモノは外して下さい。でないと料理を召し上がって頂けませんし」
しかし、相手は微動だにしなかった。
やがて、色とりどりのマスク連中のうち、ライオンのマスクが口を開く。
「表の車は何処で手に入れた?」
店側の申し出を一切無視しての一方的な質問。
この瞬間、ニックは相手に対する対応を改めた。
「さぁ?覚えてない。でもいい車だろ?」
「2日前の出来事を忘れたのか?」
「2日前って、何の事かわからない。人違いじゃないのか?あ、この場合は車違いか」
話の内容からして、マスク連中は確実にネルソンに対する追っ手だ。
より厳密には、業務委託された傭兵だろう。
動物マスクを被ってターゲットを惨殺する"ブギーマン"と呼ばれる存在が、この辺りでは活動していたと、ネルソンはオアシスで耳にしていた。
恐らくその類の相手の筈だ。
しかし、そんな連中を相手にしてもニックは冷静だった。
「悪いが、ここは飲食店なんだ。客じゃないならお引き取り願おうか」
ニックは堂々といい放つ。
だが、相手は素直に聞いてくれる訳がなかった。
フラミンゴのマスクを被った者がニックに詰め寄ると、持っていた銃を振り抜きニックの横っ面を強打する。
ニックはカウンターにうつ伏せで倒れ込み、その背中に銃口が突き付けられた。
「車を何処で手に入れたのか、言え」
この時、隠れていたネルソンと倒れ込んだニックの目が合った。
ネルソンは銃を構えて立ち上がろうとしたが、ニックがこれを制止する。
そして、カウンター裏に立て掛けられたソードオフショットガンを指差した。
(取ってくれ)
口パクとジェスチャーでアピールするニック。
ネルソンはすぐさまショットガンを手に取ると、音を立てないように注意しながらニックに手渡す。
(ナイス!)
ニックはサムズアップとウィンクでリアクションをする。
直後、背後のフラミンゴ男に首根っこを掴まれて引き起こされると、今度は下顎に銃口を向けられる。
「これが見えないのか」
「お前も見えないのか?」
「なに……?」
フラミンゴ男が視線を下げると、同様に腰だめのショットガンが銃口を向けていた。
ドッ!!
ニックのショットガンが火を吹いた。
顔面にモロに食らったフラミンゴ男は悶絶する。
しかし、出血はしていない。
突然の出来事に、マスク連中は行動が遅れたが、ニックはその隙を逃がさない。
素早くスピンコックを行い、すかさず発砲。
カバマスクの男が腹を押さえて倒れ込んだ。
至近距離のガンファイトでは、大柄な銃は不利となる。
ニックはライオン男の懐に潜り込み、銃のグリップエンドで喉元を殴る傍らコッキングを行うと、すぐさま脚に向かって発砲した。
「ぐぁっ!!」
ライオン男は叫びながら倒れ込む。
彼は破れかぶれに銃口を向けるが、ニックは素早く腕を押さえ付け、マガジンを抜きチャンバーの弾も排出すると、すぐさま首と上半身を固めにかかる。
相手はライオンマスクを脱ぎ捨てて技から脱しようとするもそれも叶わず、とうとう意識を失って動かなくなった。
ニックはゆっくりと腰を上げると、倒れるフラミンゴ男とカバ男に告げた。
「妙な気を起こせば、次は実弾だ」
続いて、床に転がったライオンマスクを拾い上げる。
ニックは暫くの間、じっと向かい合うようにマスクを見つめていたが、ある時小さく鼻で笑うとその場に投げ捨てた。
彼はそのままカウンター裏に戻ると、ネルソンと向かい合う。
「さっきは助かった」
「いや、それはいいんだが……」
ニックの戦う姿は、どうみても一般的な商人のそれではない。
ネルソンは思わず尋ねる。
「なぁ、あんたは結局何者なんだ?」
しかし、反ってくる答えは出会った時と変わらなかった。
「言っただろ?俺はニック。父で、夫で、商人だ」
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