第14話 Rocket Bunny


「ネルソン、考えなしにリアを滑らせるのはやめろ。無駄なドリフトは、かえってロスを増やす」


練習コースを一回りしてきた所で、助手席のオクターブは今の走りに物申した。

これに対して、ネルソンは不満げに口を尖らせる。


「っても、この車は自然給気だぞ。立ち上がりのパワーが無いから、その分コーナーに高速で突っ込まなきゃいけない。そしたら必然的に、リアを流さないと曲がれないだろ」

「お前は極端なんだよ……まぁいい、手本を見せてやるから席を変われ」

「ぶつけるなよ」

「誰に言ってるんだ」


2人は腰を上げ、ドライバーを交代する。

ネルソンに代わってハンドルを握ったオクターブは、早速アクセルを踏み込みスタートした。


「いいか、ネルソン。今走ってるのはアスファルト、タイヤと路面の摩擦は常に一定だ」

「だから?」

「事前に挙動が予想できるって事さ」


そう言うと、オクターブは片手をシフトレバーに、もう片手をハンドルに置く。

視線の先には、90度をゆうに超えるコーナーが待ち構えていた。


「よく見てろ」


その直後だった。

彼はブレーキ操作で車両に働く荷重をフロントタイヤに集中させ、即座に片手でハンドル切った。

本来であればコーナーに対してステア操作の舵角が不足しているため、曲がり切る事は出来ない。

だが、オクターブがアクセルを踏み込むと車の鼻先は簡単にインを向き、車は何事もなかったかのようにコーナーを抜けてしまった。

この間、無駄にタイヤを滑らせる事もしていない。

ネルソンは思わず驚嘆する。


「すげぇ……」

「これが“荷重操作”、コーナリングの基本だ。この車はエンジンを後ろに積んでるから、尚更こういう走り方の方が速い」


オクターブはその後もコースを無駄なく走り抜けると、スタート地点に戻って車を止めた。

シートから立ち上がり、ネルソンにカギを投げ渡す。


「次はお前の番だ。俺の後ろをついて来い」

「いきなり並走かよ」

「燃料も無いしな。走行ラインとブレーキポイントを意識するんだ」


2人の特訓はその後も続いた。

後ろから、前から、ネルソンは相棒の走りを観察する。


「クソ……やっぱり上手いな、オクタンは」


その時の黒いクーペの走りが、ネルソンの脳裏に焼き付いて離れなかった。

それが


「ネルソンさん!もうそこまで来てますよ!」


今、窮地に陥っているネルソンの目の前に現れた。

見間違えるはずがない。

その走りはまごうことなく相棒のモノだ。


「オクタン……?」


コーナーを抜けて迫ってくる黒い影を、ネルソンは呆然と見つめていた。


「ネルソンさん!」

「っ……!」


我に返ったネルソンはすぐさまギアを入れ直し、コースに復帰する。

だが、その時


バキン!


ミアータのフロントバンパーに取り付けられていた、牽引リングが破断した。

先程の急停止の衝撃に耐えられなかったのだ。


「んなっ……!?」

「後ろから押して下さい!」


アントンのミアータはいまだエンジンが始動できず、自走できない。

そのため牽引リングが壊れた場合、後ろから押すしか手は無くなる。

ネルソンは追突するような形でミアータのリアバンパーを突き上げた。


「こんなんで逃げ切れるのかよ!?」

「無理ですよ、この先は上り坂です」

「じゃあ、いい加減あきらめろよ!その車を捨てろ!!」

「嫌です」

「はぁ!?」

「それに、相手は速い。正攻法でも多分負けます。持ち合わせの武器もほとんどない。それなら……」


アントンは助手席に置かれたECUに視線を落とす。

そして背後のネルソンに言った。


「ギアを直結して、タイヤの回転でエンジンを始動します」

「…………は?」


ネルソンはアントンが言っている言葉の意味がわからなかった。

対するアントンは話を続けた。


「イかれてるのは、恐らくセルモーターに繋がる配線です。他は普通に動いてる。それなら、外から無理矢理エンジンをぶん回せばいいんですよ」


アントンが言っているのは、つまりこういう事だ。

チェンソーのスターターロープや古いバイクのキックペダルのように、エンジンを始動するためには外から力を与えなければならない。

車の場合はセルモーターという部品でエンジンを回すのだが、その役割をタイヤの回転で代用しようと考えている。

しかし、当然ながら本来想定された方法ではないし、大いなる危険が伴う。

そもそもセルモーター以外に問題があったなら、この方法は成立しないのだ。

いずれにしても、途轍もないギャンブルであることに変わりはない。

その一方で、対案となる一手もまた無い。


「ああ!わかったよ!!」


ネルソンはキレ気味に叫ぶとアクセルを踏み込んだ。

これを見たアントンは微かに笑うと、右手をカギに添えた。


「もうすぐ上りの直線区間があります。そこで行きますよ」

「ミスったら?」

「仲良く三途の川下りです」

「そりゃいいな!」


チャンスは1度。

アントンはギアを5速に入れると、ゆっくりとクラッチを繋いでいく。

タコメーターの針が次第に上って行った。

アントンは細く息を吐くと、ぼそりと言った。


「これをやるのは2回目だな」


自分を落ち着かせるように目を閉じて、ステアリングを撫でる。

そして、一言、呼びかけた。


「起きろ、“ロードスター”」


その瞬間、呼びかけに答えるようにミアータが叫び声を上げる。

背後から見ていたネルソンの視界が白く塗りつぶされ、直後その真横を赤い影が高速で横切った。

反転したアントンはガバメントを抜くと、そのまま追走者のクーペに向って突っ込んで行く。

そして、相手に発砲されるより先に、運転席付近目掛けて引き金を引いた。

フロントガラスに次々と風穴が空くも、車が止まる様子は無い。

そのまま標的とすれ違ったアントンは、バックミラーを一瞥して言った。


「外したか」


すぐさまその場でUターンを行い、2台を追走する。

一方、アントンに銃撃を食らったクーペのドライバー、即ちオクターブは微かに笑いながら、ネルソンの背後を追っていた。


「全く、面白い奴もいるんだな……」


穴が空いたフロントガラスから、見慣れたガンメタのシルエットを見つめる。

彼はギアを1つ上げると、笑みを崩さず言った。


「どれだけ腕を上げたか、見てみるか」


オクターブがアクセルを踏み込むと、V8のエンジンが野太い唸りを上げた。

ネルソンのバックミラーに、威圧的なフロントマスクが迫る。


「オクタン、どうしてお前は!」


相手が本気である事は、ネルソンにはハッキリと分かっていた。

どうして相棒である彼が自分を狙うのか、そもそも彼とはぐれた“あの”取引は何だったのか、ネルソンの頭の中には様々な考えが蠢いていた。

しかし、余計な事に気を取られている場合では無い。

ネルソンは全神経を研ぎ澄ませて運転に集中する。

そして、コーナーでオクターブの姿が消えた瞬間を狙って、ワイヤーを投下した。

しかし


「それが、俺に通じると思うか?」


オクターブは容易く回避した。

それもそうだろう。

ネルソンに車の扱い方を教えたのは、他でもない彼なのだから。

オクターブはハンドルを握りながら、再度口を開いた。


「上手くなったな、ネルソン。この分じゃ、銃を使う余裕が無い」


そういう彼の助手席には、ストックが折りたたまれたショットガン、スパス15が置かれていた。

つまり、ネルソンがこのペースで逃げている限り、少なくとも後ろから撃たれる事は無い。

しかしながら、逃げ切れるかどうかというのは全くの別問題だ。

ネルソンが苦し気に言う。


「こういう道は俺の方が有利なはずなのに、全然差がつかない。むしろ詰まってきてないか?」


アントンを切り離したと言うのに、ネルソンはいまだ劣勢だった。

自分の100%のスピードを出し切っても、オクターブを振り切れそうにはなかった。

次第に、走っているうちに集中力が削がれて来る。

しょうもないミスが少しずつ顔を出すようになった。


「マズいぞ、この調子じゃ」


歯を食いしばって、前を見通す。

道の行く先は下り坂、それも連続コーナーだった。

ネルソンは絶句する。


「ああクソ……」


技量の差が妙実に現れる地形だ。

ネルソンは残った集中力の全てをつぎ込み、必死にコーナーを抜けていく。

バックミラーに視線を向ければ、つり上がったヘッドライトがすぐそこまで迫っていた。


「ここまでなのか……?」


勝負は殆ど決していた。

ネルソンは長年連れ添った相棒に殺されるという事実に、途方もないショックを受ける。

だが、ネルソンはふと思い出す。

今は自分一人では無い。

再度ミラーに視線を向ければ、木々の間からハロゲンランプの光が漏れているのが微かに見えた。


「そうだ、まだ死ねるか……」


ネルソンは血走った目でバックミラーに映る影を睨んだ。


「例え相手がお前でも、殺されるのは御免だ……俺が死ぬぐらいなら」


食いしばった歯の間から、血と涎が流れ出る。

迫りくるヘアピンコーナーを前にして、ネルソンは叫んだ。


「オクタン!お前が死ね!!」


赤い光の尾を引いて急減速したネルソン。

対するオクターブは一気に距離を詰めた。


「ブレーキタイミングをミスったな」


彼はネルソンを仕留める為に、助手席のショットガンに手を伸ばす。

その時だ


「やれ!アントン!!」


ネルソンが絶叫する。

その直後、ヘッドライトを消したミアータが、ヘアピンコーナーの内側をショートカットしながら飛び越えた。

アントンはそのままオクターブのクーペに迫り、オーバーフェンダーを叩きつけるように体当たりを仕掛けた。

車重の軽いミアータだが、オクターブはコーナーリング直後である為、姿勢が不安定であった。

荷重バランスは狂い、制御を失う。


「ぐっ……!!」


オクターブは実戦慣れしたドライバーだ。

本来であれば、車両の立て直しを行うための余裕は常に残して走っている。

しかし、ネルソンを仕留めにかかった瞬間は、それも疎かだった。

黒いクーペはスピンしながら次第にコースアウトしていき、木々の生えた斜面を滑っていく。

遂には横っ腹から大木にぶつかる形で、動きを止めた。

テールライトが遠ざかっていくのを見て、オクターブは笑う。


「ハハハ……凄いなコレは」


そしてシートにぐったりと身体をあずけると、ぼそりと言った。


「やっぱり俺は間違ってなかった」


一方、追手を振り切った2人は、走るペースを落とす。

ネルソンの隣に並んだアントンは、身を乗り出して声をかけた。


「やりますね!ヘアピンに合わせてブレーキタイミングをずらすだなんて」

「あぁ……」

「まるで、相手の出方を見切ってるみたいでしたよ」

「まぁ、あいつとは長い付き合いなんだ」

「え?」

「いや、何でもない」


ネルソンは緊張の糸が切れた途端、次第に涙が溢れてきた。

ハンドルを固く握り、視線を落とす。

何かを察したアントンはネルソンの前に出ると、バックミラーを外した。


「ホントさぁ……何でなんだよ、オクタン」


ネルソンは弱々しく呟く。

こうして、峠での激闘は幕を閉じた。

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