第4話 Hara-kiri Treatment


眠っていたネルソンは咳をした。

喉に血反吐が絡まっていたから、反射的にだ。

その瞬間、凄まじい激痛が全身を駆け巡り、意識が引き戻される。


「お゛ぁ……痛ってぇ」


わずかながら首を動かすと、赤黒く染まった両手が見える。

続いて傷口に目をやるが、血は止まっているようだ。


「俺、生きてるのか……」


未だ実感はわかないが、どうやら一命を取り留める事が出来たようだ。

だが、危機的状況なのには変わりない。

いつ体調が急変するかはわからないし、傷口をこのままにしていれば破傷風のような重篤な感染症に見舞われる恐れもある。

また、身体の事を抜きにしても、このタイミングで同業者に襲われる可能性も十二分にあるのだ。

ネルソンは何とか身体を起こすと、傷口を抑えながら車から降りた。

視界に入る黒焦げになったバンと転がる死体達が、あの出来事が夢ではないと主張する。

だが、明らかな“異物”がそこにはあった。


「なんだ、あいつ……」


死体の群れの片隅で、バイクに腰掛けながら煙草をふかす人影が一つ……明らかに昨日の面子ではない。

ネルソンは銃を抜き一歩踏み出すと、相手は驚いたような素振りで視線を向けた。


「びっくりした、生きてたのか」


ダウンジャケットにキャップを合わせた、髪の長い女だった。

ネルソンはゆっくりと彼女に詰め寄り、口を開く。


「ここで何してる」

「いや、聞きたいのはこっちなんだけど」


女は困り顔でそう返してくるが、話が進まないと見るや、ため息と共に腰を上げて向き直った。


「自分は郵便物専門の、ソロの運び屋。丁度よくガソリンの入った車が転がってたから、そこから拝借しただけ」

「あぁ……?」


ネルソンは振り返って車の燃料計に目をやる。

針は一番下まで振り切れていた。


「ふっざけやがって……」

「だって給油口開けてもピクリともしないから、むしろ殺されなかっただけラッキーとも言える」

「うるせぇ、さっさと燃料戻せ」


苛立ちを前面に出し、銃口を上げるネルソン。

これとは対照的に、運び屋の女は冷静だった。


「その調子で戦って、勝ち目があると?まぁ仮に勝ったとしても、1人で燃料の積み替えができるようには見えないけどな……」


ネルソンはこれに対し反論出来ず、ゆっくり銃口を下した。


「そうそう、お互いプロらしく取引で行こう」

「クソが」


全くもってフェアな取引ではないが、そもそも立場が対等でないので致し方無い。

ネルソンは自身の腕時計を外して、運び屋の女に投げ渡す。


「タグホイヤー、これ本物?」

「知るか。燃料と酒、その対価としては十分だろ」

「残念ながら、酒は持ち歩いてない」

「…………ならライターだ」


ネルソンは時計の対価に燃料とライターを要求した。

燃料の積み替え作業を待つ間、車から少し離れた所に腰を下ろすと、小さいナイフを取り出し、ライターの炎で炙る。

そして、服を捲り上げて傷口を露出させると、ナイフの切っ先を皮膚の裂け目に差し込んだ。


「お゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!」


常軌を逸した絶叫に、運び屋の女はつい手を止め視線をやる。

そこには苦痛に顔を歪めて、悶えのたうち回るネルソンの姿があった。


「…………えぇ?」


困惑する彼女をよそに、ネルソンは血反吐と胃液を口から垂れ流しながら、喉を壊す程の叫び声を上げ続けた。

かれこれ3分程が経過した頃、肩を震わせながらゆっくりとナイフを引き抜く。


「はぁ……はぁ……うおぇ…………」

「急に大声出して何かと思ったら、切腹?」

「消毒だ……」


ネルソンは這うように車の元へと向かうと、身を捩ってシートへと収まる。

確かにガソリンは補給されていた。

続いて、ポンプを片付ける女に声をかけた。


「お前も運び屋なら、このあたりで有名な傭兵について何か知ってるだろ」

「傭兵?まぁ、腕の良いのが知り合いにいる」

「そいつに合わせろ……あと酒が手に入る場所だ」


そう言うと、ネルソンはポケットから指輪を放り投げた。


「向こうが何て言うかは知らないけど」

「傭兵なのに仕事を選ぶのか?」

「銃撃戦が何より大好きな子たちだから、退屈な身辺警護とかは受けてない」

「随分と贅沢な連中だな。今から行けるか?」

「こっちも仕事があるんだけど……まぁいいか」


運び屋の女は煙草の火を消すと、キャップにゴーグル姿で

自身のバイクに向かい跨る。

二台共にエンジンを始動すると、路上に出て横並びになった。


「2時間はかかるけど、それまで生きてそう?」

「当たり前だ……こんな所で死ねるか」

「それは良かった。じゃあ出発」


そんな時、ネルソンは唐突に言った。


「名前、何て呼べばいい?」


今に至るまで、彼らは互いに名乗ってすらいなかったのだ。


「俺はネルソンだ。いつまでもお前じゃ呼びにくい」

「あぁ、そういう事。自分はそうだな……」


運び屋の女は懐から煙草の箱を取り出し、言った。


「キュベロ(CUBERO)とか、そんなので呼べば?」

「タバコの銘柄か」

「ん、正確にはシガリロだけど」


シガリロ、リトルシガー、即ち小さく手軽に吸える葉巻の事だ。

このように、銘柄やブランドが由来の名前を名乗る事は、今やさほど珍しくはなかった。

こうして互いに自己紹介を済ませた2人は、屍の放置されたガソリンスタンドを後にする。

太陽は既に、地平線まで落ちていた。

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