第3話 Deadly Work


ルート62を進む車列、その最後尾を行くのはグレーのクーペ。

地平線から差し込む朝日に目を細めながら、ネルソンはハンドルを握っていた。

ブルーレンズのサングラスをかけていても、その隙間から差し込む朝の日差しは中々に強烈だ。

ただでさえ乗り気でない護送任務であるというのに、それに加えて早朝の仕事だ。


「やってらんねぇ」

『そう言うな。朝日を浴びて、気分転換の時間だと思えよ』

「っても、俺はやっぱり納得できないんだよ」


ネルソンが言っているのは、昨夜フィクサーに言われた内容の事だ。

いまだに機嫌が悪いネルソンに対して、オクターブも口を開いた。


『確かに俺も理不尽だと思う。だけど、自衛が十分でなかったのはこっちの落ち度だ。相手が出来ない、やりたがらない仕事をこなすか、損をさせるか……ビジネスなんて昔からそうだろ』

「オクターブ君は大人だねぇ」

『ネルソンは少し世渡りのスキルを覚えた方がいい。ドラテクも銃の扱いも、お前には沢山の事を教えたけれど、交渉の立ち回りなんかは全然覚えなかったな』

「本当に“力”があれば、そんなものなくていい。それに、そう言うのはオクタンがやってくれるだろ?」

『…………そうだな』


どことなく歯切れの悪い返答をするオクターブ。

だが、ネルソンはそんな事を気にせず、カーオーディオのCDを入れ替えはじめる。


「Morning Gloryは正真正銘の神盤だ」

『一番有名なアルバムだろ』

「ツウぶって邪道にハマってるうちはまだ二流、王道は愛されるだけの理由があるのさ」

『オタクにこういう事言った俺が間違いだった』


入れ替えが終わったCDはじきに再生され、スピーカーからはイントロが流れ始めた。

ネルソンは早速リズムに合わせてハンドルを叩き始め、歌い出しに合わせて息を吸った。

その時


『4号車だ。エンジンから異音するため一度隊列を止めたい』


無線機から唐突なリクエストが入った。

自分の世界を乱されたネルソンは苛立ち舌打ちをする。


「なんだよ……事前整備くらい仕事のうちだろ。使えない連中だな」

『本当に、今回は踏んだり蹴ったりだ』


隊列は緩やかに動きを止めた。

やがて4号車の周りに人が集まり始めたが、ネルソンは車から降りず、窓に肘をついてしかめっ面を浮かべていた。

そうして、かれこれ1時間以上が経過した頃、再び無線機から声が響いた。


『4号車の事だが、かなりの時間を要するようだ。これにより、予定時刻までに荷物の引き渡し場所に到着できない可能性が出てきた』


つまり、ネルソンの拘束時間も伸びる事になる。

実質タダ働きだというのにだ。


「マジかよ、最悪だ……」


シートに身体を投げ出して、サンルーフから天を仰ぐ。

その時、今度は相棒の声が無線機から響いた。


『これは提案だが、先方に使いをやった方がいい。何時間も待ちぼうけさせてしまうと取引自体がダメになりかねない』

「オクタン?」


オクターブの発言に、ネルソンはわずかながら困惑した。

これまで、自分を差し置いて話を進めるようなケースは滅多になかったからだ。


『お前が行くのか?』

『いや、これはネルソンの方がいい。あいつの方が軽くて航続距離も長いから、単独行動には向いている』

「ちょ……ちょっと待てよ!」


当人である自分は蚊帳の外のまま、オクターブとフィクサーとの間で話は進んで行ってしまった。

流石に、これには口出しの一つもしたくなる。

だが


『ネルソンもその方が良いだろ?』


オクターブは個別の回線で言った。


『面倒な奴らと居なくてもいいし、走ってる方が気もまぎれる』


相棒で親友、師匠でもある彼にそう言われると、ネルソンは異論を唱える気が薄れていった。

これまでだって、オクターブの後ろをついてこれば、ずっと上手くいったのだ。


「そうだな……わかった、行くよ」

『頼む』


ネルソンは一息つくと、ギアを入れてアクセルを煽った。

加速したクーペは止まった車列の横を通り過ぎていく。

そして、先頭のオクターブの横で減速すると、片手を挙げて合図を送った。


ブロロロ……


これを見送ったオクターブは愛車に肘を預け、遠ざかっていくネルソンの後ろ姿を眺めて呟いた。


「じゃあ、な。ネルソン」





「使いつっても、まだ結構距離あるぞ」


1人車を走らせるネルソンは、ガソリン残量を気にしながら走っていた。

オクターブと比べて燃費がいいといっても、コンパクトカーやハイブリッドカーに比べれば笑ってしまうような数字だ。

そのため、最も効率の良いエンジン回転域を使い、ブレーキなどのロスを最小限にして走る必要があった。

その上で1時間の遅れを取り戻さなくてはならないのだ。

また、品物が遅れるという都合上、理想を言えば相手よりも早く取引場所に到着していた方が良い。

基本は起伏の少ない一本道であるため、そう難しく考える事もないのだが、滅多にない単独行動という事もあって、ネルソンは僅かばかり緊張していた。

そうして、かれこれ3時間ほど経過した頃、とうとう目的地が見えてくる。

それは、とうの昔に遺棄されたガソリンスタンドだった。

既に取引相手の集団がバンを並べて待っている。

ネルソンはパッシングをして車を寄せると、その場に停車した。


「ネルソン、ずいぶん遅かったじゃねぇか」


取引相手の1人は吸っていた煙草を地面に投げ捨て、ネルソンの方へと詰め寄った。

そして、クーペのルーフを叩きながらこう続ける。


「ここに今回の品物が詰まってるのか?そうは見えねぇけどなぁ……」


ネルソンは内心不快極まりなかったが、今はそれを何とか堪え、問いに答える。


「荷物は後で来る。俺はそれを伝えに来た」

「おいおい、この期に及んでそれはないだろう」

「配送車が壊れたんだ、仕方ないだろ。噓だと思うならこの道を真っ直ぐ下ってみろ」

「そっちの都合なんざ知ったこっちゃねーよ。所定の時間内に荷物を受け渡す、そういう約束だぜ?」


実際のところ、取引相手もここまで出向くのに相当のリスク、リソースを払っている。

その上、この遅れは彼らのビジネスにも直接影響してくるのだ。

そのあたりの都合もネルソンは知らないわけではない。


「分かってる。時間までには必ず来る。埋め合わせの話はその時にフィクサーとやってくれ」


ネルソンはそれだけ言うと車内に戻った。

しかし、その後どれだけ待っても品物を載せた車列はやってこない。

とうとうタイムリミット目前になってしまった。


(何やってんだ?直らない車なんか捨てて、さっさと来いよ!!)


苛立つネルソンは何度も腕時計に視線をやった。

そして視線を上げると、そこには笑みを浮かべた取引相手の姿があった。


(あぁクソ……)


ネルソンはコートを羽織り直すと車から出る。


「思ったより時間がかかってるみたいだ」

「みたいだな、これは参った。本当に参ったよ……」


平常なトーンを装ったネルソンとは対照的に、相手は頭に手を当ててケタケタと笑いながらその場で歩き回る。

そして、突如として拳銃を抜き、発砲した。

腹から血が滴り落ち、激痛に襲われたネルソンは腰を抜かしたように倒れ込む。


「お゛ぁ、あ……」

「痛いだろうが我慢しろ。俺たちのビジネスは信用で成り立ってるんでね。モノがないなら、その代わりが必要ってことだ」

「てめぇ……」


ネルソンは地べたに這いつくばりながら男を睨みつけた。

それが気に食わなかったのか、男はネルソンの腹をサッカーボールのように蹴とばす。


「ぐへぁ!!」

「なぁネルソン、もうお前は人間じゃなくて、“品物”なんだ。ダメじゃないか主人にそんな目をしちゃあ」

「品物を、雑に扱う運び屋がいるのかよ……」

「ははは!!そりゃモノによるな!お前の場合、個人が判別できりゃ、生きてようが死んでようが別に構わねぇんだよ。腐ると色々面倒だけどな」


次いで男はネルソンの胸倉を掴むと、無理矢理身体を引き起こす。


「まぁ、品物の代わりとしてお前の車を持って行けば、最低限の格好はつく。その点は褒めてやってもいいぜ」


膝の力が抜けたネルソンを強引に立たせ、バシバシと頭を叩いた。

その時


コトン……


ネルソンのコートの裾から、物体が一つ転がり落ちた。

グレネードだ。

しかも、ピンは抜けており、レバーが完全に外れている。


「おまっ……!」


周囲の者たちは後ずさり、銃口を上げた。

しかし、間に合わなかった。

轟音と共に閃光が迸り、全員の五感が塗り潰された。

ただ一人、ネルソンを除いて。

血走った瞳を引ん剝くと、ホルスターに右手を走らせる。

狙いをつけるまでもない。


タァン!!


喉から脳幹までを一直線にぶち抜く。

スタングレネードの効果は絶大のようで、パニックを起こした相手を順番に射殺する事は容易かった。

ネルソンは仕上げに、懐から溶接されたクッキー缶を取り出し、バンに向かって放り投げる。

それはボディにぶち当たって離れた直後、信管が作動し無数の金属片をばら撒いた。

引火した燃料の爆発に巻き込まれた男が、火だるまになって泣き叫ぶ。

彼が事切れるまで、ネルソンはそれを黙って見ていた。


「は、はは……バカが……」


男が焚火に成り果てたのを見て、緊張から解放されたネルソンは次第に笑いが止まらなくなる。


「俺が!何の準備も!してないわけないだろ!馬鹿じゃねぇの!?」


しかし、彼の腹には至近距離から銃弾を食らった穴が空いたままだ。

アドレナリンが途切れて来るにつれ、やがて立っている事も難しくなる。

ふらつきながら車に戻り救急用品を取り出そうとするが、もうほとんど指に力が入らなくなっていた。


「あぁクソ……オクタン、早く来いよ……」


ネルソンはシートに倒れ込み、無線機に手を伸ばすと、肩で息をしながらマイクに話しかける。


「オクタン、ちょっとマズい事になった。聞こえてるなら返事してくれ……」


しかし、相棒の声が聞こえる事は無かった。

鳴り止まないホワイトノイズがネルソンの精神を蝕んでいく。


「そんな……噓だろ?何か言えよ……」


銃創からの出血は、未だ留まるところを知らない。

やがて、痛みに続いて寒気や倦怠感に吐き気、喉の渇きが押し寄せて来る。

ネルソンには失血性ショックの症状が出ていた。


(俺、死ぬのか……?)


ぼやけた視界が不規則に乱れ、徐々に視野が欠けていく。

迫りくる死への恐怖に押しつぶされ、ネルソンは本能的に叫んでいた。


「だれか――――」


もはや声にもなっていない。

とうとう自分の腕すら見えなくなったネルソンは、そのままゆっくり意識を手放した。

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