第15話
6月8日
今日も今日とてPCを前に俺は研究資料を作成していた。
この前やっていた『言葉による人間の感情変化』の続きだ。
恋を成就した依頼人の手も借り、自分の取りたかったサンプルも無事取ることができた。
「とりあえず、こんなところかな」
誰に発っしたわけではなく、小さく独り言をつぶやく。
この調子でいけば明日には終わるかもしれないな。
休憩がてら紅茶でも飲むか。
立ち上がり、湯沸かし器の方まで歩いていく。
カップに茶葉を入れ、湯を注ぐ。
茶葉が湯に浸透していくのをじっと見つめながら、ぼーっとする。
こういった何も思わない時間も大切な者だ。偉人達は皆こうした時間に何かふとアイディアが浮き上がるというのだから。
「失礼します」
ぼーっとしていると誰かが研究室へと入ってきた。不意な行動に驚き、扉に向けて構えの姿勢を取る。
入ってきたのは千賀美だった。研究室に入ってくる彼女とすぐに目が合う。
「何しているんですか?」
千賀美はいぶかしげな表情を見せながら構えの姿勢を取っている俺を覗く。
「ストレッチだ。身体を動かすと脳が活性化されるからな」
なんとなくごまかしてみる。この研究室にいたのは俺一人。別に誰が見たわけではない。ならば、この言い訳を否定する材料はない。
「はあ、そんなファイティングポーズを取るのがストレッチなんですか?」
とは言っても、構えの姿勢に問題があったようだ。確かにどこをストレッチしているか分からないポーズを取ってしまっていた。
「脳にはこれが一番良いんだよ。こうすることでイメージトレーニングをだな」
「はあ……、ちょっと何言ってるか分からないです」
それもそうだろう。言っている俺ですら何言っているのか分からないのだから。でも、イメージトレーニングなんて発想を思いついたところだけは賞賛だ。
「それよりも、研究の方は順調か」
前の『人間の発光現象』にまつわる説は、それを調べていた千賀美が受け持つことになった。
「先輩からもらったあの写真を解析しているんですけど、あの角度からでは夕陽の反射による光と考えるのじゃ難しいんですよね」
写真というのは、双眼鏡から取られた物だ。俺の持ってきていた双眼鏡にはカメラ搭載がさえている。だから最後に光を発見したときにシャッターを押しておいた。
「となると、やはり発光現象の可視化という説は悪くはないと言うことか」
「そうですね。共鳴ってやつなんでしょうか?」
「その説は拭えないだろうな」
共鳴。人間一人では、検知できない光でも二人三人と重なっていくことによって、可視光へと変わっていく可能性があるのだろう。
人の思いは相互作用の関係にある。お互いが刺激し合い、より大きな力をなすことができる。それと同じように発光現象も人間同士の思いの共鳴により強くなるのかもしれない。
「まあ、正しいかどうかはこれから千賀美が調べていくんだな。できそうか?」
「私も一応、この研究室の一員なので」
「頼もしいな」
「自分で見つけた見つけた道ですからね。先輩達二人……久友先輩を見習って私も頑張りたいんです」
「訂正しなくて良いぞ。俺も存分に見習ってくれ」
「ファイティングポーズをですか?」
「それは別に見習わなくては良いが、もし千賀美がやりたいというのなら勝手にしてくれて構わない。俺はもう二度とやりたくないからな」
「やめておいた方が良いですよ。正直、気持ち悪かったですから」
「そんな率直に言わなくて良いだろ?」
「遊園地で男に絡まれたときもそれやってくれれば良かったんですよ。そしたら……」
そこで千賀美の言葉が止まる。
「そしたら……」
「い、いえ。何でもありません。私何も思っていませんから」
そう言って、そそくさと自分の席へと歩いていった。
何を思っていることだけは分かるが、一体何を思っていたんだ。
千賀美との話の間に紅茶も良い温度になったようで俺も自分の席へと移動した。
千賀美はPCの前に立つと何やら真剣な表情で対面していた。
「電源ついていないが、何やってるんだ?」
「っ!」
俺の言葉に驚きつつも慌てて電源を入れる。
「先輩は、もう少しデリカシーを持ってほしいです」
「このタイミングで、デリカシーのない発言されても意味がわからんのだが」
PCの電源ついてないの言うのはデリカシーのないにつながるのか。意味が分からない。 千賀美の様子が急におかしくなったが、一体何があった。
「そういえば、依頼人はうまくやっているようだぞ」
ひとまず、話題をそらして千賀美の機嫌を取ろう。
「……ここに来て恋の話って先輩はいじめてるんですか?」
「いやそんなわけないだろ」
さっきからよく分からんやつだ。
「失恋でもしたのか?」
「っ! 何でそうなるんですか?」
「いや、恋の話でいじめるとか言うからさ」
「そんなことはないですよ。まだ恋人もいないんですから」
「それもそうだろうな」
「そう言う先輩はどうなんですか? 彼女とか作らないんですか、久友先輩以外で」
「なんで、久友は確定みたいになってるんだよ」
「いえ、久友先輩との付き合いは私が全力で阻止しますので」
「ああ、そういうことか」
「納得するんですね」
「千賀美だからな。そう言って当然だなと思う」
「何ですかそれ……で、どうなんですか?」
「そうだな……まあ、あまり考えたことないな」
「……彼女がいれば、自分がサンプルになってやりやすいんじゃないですか」
「なるほど。自分の気持ちから探っていくか?」
なかなか良いアイディアかもしれない。恋によって芽生える感情が俺にどんな行動を起こさせるのか研究することによって、より感情に真摯に向き合えるかもしれないな。
「とは言っても、相手が問題だな」
「……確かに、先輩に釣り合いそうな相手がいないですよね」
「それもそうだな」
人生20年超になるが、そう言う感情が芽生えたことがないからな。
「でも、さっきの千賀美の案は良かったんだよな。俺がサンプルとなることで見えてくる道はたくさんありそうだからな」
「……なら、すこしはがんばったらどうですか?」
「まあ、そのうちな」
「……期待しています」
そう言った、千賀美の笑みはやけに見栄えがあった。
恋。相反する二つの性が互いに惹かれ合う現象。それが一体どういう物なのか俺には分からない。依頼にはたくさん携わったが、実際に自分の身に起きたことはないから。
千賀美に言われて気づいたが、確かに調べてみる価値はありそうかもしれないな。
俺は手物と紅茶を飲みながら思いを馳せていった。
暖かかさが俺の身体に染み渡っていった。
ようこそ、乾研究室へ! 結城 刹那 @Saikyo-braster7
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