第4話

5月14日 


 千賀美との待ち合わせのため俺は駅前で待っていた。

 まだ五月だというのに照る太陽の光は強く感じた。

 行き交う街の人々に視線を注ぎながらイヤホンから流れる朗読に耳を傾ける。


 人間の心理に関する本を朗読という形で聞くことができるのは混み合った駅などではかなり便利なモノだった。

 声を聞きつつも、目から入ってくる情報にも注意を払う。何か研究しがいのある事柄が湧き出てくるのはこうした日常の風景からなのだから。


 聴覚情報、視覚情報をフルに使っていると不意に誰かに肩を掴まれる。

 その行動に反射的に身体が揺れる。


「なんだ、千賀美か。びびらせるなよ」

「何びびっているんですか?」


 千賀美の表情はいつもどおりだが、少しだけ口がほころんでいる。こいつ、少し楽しんでやがるな。


「わざわざ肩を掴む必要はなかっただろ。普通に声かけてくれれば」

「イヤホンしてたじゃないですか」

「多少、外からの声は聞こえるようになっている」

「そんなの傍から見たら分からないですよ」


 それもそうか。びっくりしたせいで、今の自分の思考力はかなり落ちてしまっているようだな。


「それにしても、先輩の方が早いなんて驚きですね」

「まあ、30分前にはいたからな」

「早いですね。先輩のことだからてっきり待ち合わせ9時ジャストに来ると思ってました」

「前にそれをやったら、久友に怒られたからな」

「ああ、なるほど。さすが久友先輩ですね」


 いつも以上に強く納得する千賀美。こいつ本当に俺のこと見下してるよな。

 確かに、9時集合と言ったにもかかわらず、8時30分とかに行かなければならない暗黙の了解みたいなモノには久友に言われてもなお、納得はできていないが。

 はじめから8時30分に設定すれば良いと思うのだがな。


「それよりもそろったことだし、遊園地に行くぞ」


 この前の集まりの結果俺たち二人は遊園地に行くことになった。

 予算も考えて、できるだけ負担のかからない程度にかつ或程度大きい遊園地を選んだ。

 俺と千賀美は二人で歩いていく。

 場所は俺が知っているから先導するように歩くのだが、千賀美は若干俺から距離を取っているように思える。


「どうして、そんなに離れてるんだ?」

「先輩、今日は眼鏡買えたんですね?」


 俺の質問をわざとらしくそらすように質問で返してくる。


「これか。これは眼鏡型サーモグラフィーと言ってな。スイッチを押すとレンズがサーモグラフィーの役目を果たしてくれるんだ。まさかここまでコンパクトになるとは人類の進化を感じるな」

「それ、実費ですか?」

「そこそこなお値段だったからな。研究費を使わせてもらった」


「何してるんですか? また久友先輩に怒られますよ」

「……もう一つ買ったから、あきれられて終わるだろうな」

「……本当に最低な人ですね」

「研究に必要になるかもしれないから大目に見てくれるだろ。それと今持ってるんだが、千賀美も使うか」

「考えておきます」


 速攻拒否だと思っていたが、千賀美も気になってはいるようなんだな。研究者としての自覚を持ち始めているではないか。


「後俺からも一つ言わせてもらいたいのだが、お前の服装今日はいつもに比べてラフすぎないか」


 Tシャツにズボンなんて女子大学生としてなんのおしゃれも感じられないんだが。


「何も考えずに着替えましたからね。久友先輩はいないし、神鳥先輩相手なら別に何でも良いかと」

「確かにあまり気にはしないが、それは少しショックだな」


 男女二人なんだからもう少し気を遣ってくれても良かったのではないか。前日の夜くらいに明日何着ようって迷ってもらっても良かったんだがな。


 試しにサーモグラフィーで今の千賀美の様子を覗いてみる。

 結果は想像以上に冷めていた。本当に何も考えてなかったんだな。


「それよりも、なんでそんなに離れてるんだよ?」


 確認したところで先ほど思った疑問を再びぶつけてみる。


「先輩は好きな食べ物とかありますか?」

「今回はの返しは無理がありすぎるぞ」

「……」


 冷たい視線をこちらへと送ってくる。あんまり聞いてほしくないことのようだ。


「別に理由があるのは分かるが、何も言ってくれないとかえって傷つくからな」


 そう言うと千賀美は驚くような表情をこちらへと向けてくる。何か変なことでも言っただろうか。


「先輩も傷つくんですね」

「お前は俺をロボットとかと勘違いしてるのか?」

「いえ、先輩はこういう関係にはあまり気を遣わないのかと」

「普段はな。でも、千賀美は特別だから」

「……」


 今度は俺の言葉に普段は見せないような表情を見せる。そんな彼女を思わず可愛いと思ってしまった自分がいた。


「千賀美は研究室のメンバーの一員なんだから、少しくらいはお前のこと知っておきたいんだ」

「少しくらいは……ですか?」

「まあ、そうだな」

「……」


 何だろう。途中くらいまでは良かったのに急降下するように千賀美がまた冷めていく。 もう一回サーモグラフィーで調べるが、やはり冷めていた。


「少しじゃダメだったか?」

「べ、別に少しで構いません。もっと知ってほしいなんて思ってもいませんから」


 千賀美は俺の言葉に我に返るような形で目を大きくし、顔を赤らめる。

 足運びを早くして、俺を抜き去る。

 試しに三度、サーモグラフィーで見てみると千賀美の身体は赤く染まっていた。

 かなり、緊張しているようだ。なんか、今の千賀美は可愛かったな。


「って、千賀美。そっちは遊園地とは反対方向だぞ!」


 もともと遊園地の場所を知らない千賀美が一人で暴走するように歩いたのだ。そうなるのは自然なことではない。

 だが、千賀美は俺の声なんか聞かずにさっさと行ってしまう。


「千賀美ー!」


 俺は走るような勢いで足を運び、千賀美を追いかけていった。

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