別れ

 水面に映る顔を変えた日から、影法師は自分の術を少女に使うようになった。


 隠れ身、分け身、あるいは変化へんげ

 影であるからか、目を欺く術に長けた影法師。その技は日に日に上達していく。


 強い光、白昼の日光などで術が解けるという欠点もあったが、少女の求めに応じていく内に克服されていった。

 それを知った少女が、影にある頼みをしたのが事の起こり。


「遊びに行きたい?」

「そう。大人の姿で、隣の町へ行きたいの」

「なんで?」

「この間連れていってもらって、楽しかったから。大人なら、ひとりでいても大丈夫でしょ」

「そういう意味じゃないよ」


 影法師は、そういうことが聞きたいのではない。

 覚えた術のひとつに「影で包んだものを遠くへと運ぶ」ものがある。これを使えば行き来は楽になるが、問題はそれ以外のことだ。


「また親に頼めば良いじゃあないか。なんで俺に?」

「そんなの、あなたとも行きたいからに決まってるじゃない」

「……またしれっとそういうことを」


 距離が近いから、こういうことを言ってもらえる。影にとっては嬉しいことだが、素直に喜ぶことはできなかった。

 思ったことを素直に口にしてしまう、というのは良いことばかりではない。

 出会った日、彼女が泣いていたのも「売り言葉に買い言葉」といった具合で友達とケンカをしたからだ。


「俺と行って、楽しいのかい? 日中は暗がりじゃなきゃ術は使えないし、姿も現せないよ?」

「影の中には居てくれるし、それならお話はできるんでしょ? 一緒に色んなものを見に行きたいの」

「……そういうことなら良いか。受けるよ、そのお誘い」



 少女の持つ悪いくせ。それがこの「お出かけ」を、最悪なものにした。

 大人になった彼女の姿は、人の目を引く。いい人も、わるい人も。少女は性質の悪い男たちに声をかけられ、対応を間違えた。


 姿だけではなく精神も大人であったなら、彼らをうまくあしらうことができたかも知れない。だが彼女は、いつも通りの対応をしてしまった。侮られることを何より嫌う彼らには、最悪の対応を。


 当然、少女は追い回されることになる。

 影も彼女を助けることは出来ない。日光の下で術が解けないようにはなったが、新たに術をかけるのは無理だ。

 逃げ回り続けているのもまずかった。影の術は効果が出るまでに多少の時間がかかる。足を止めたら捕まってしまう彼女を、助けることはできない。


 影が手を出すことができるようになったのは、少女が捕まり物陰へと連れて行かれた時。

 昼間でも暗く、人知れず危害を加えることのできる場所。


 男たちの手が少女に伸びる寸前に、影の中から無数の手が伸びた。少女を囲む者たちを絡めとり、影の中へと引きずり込んでいく。

 最後に残った一人の前に、いびつに歪んだ人型の影。男の首根っこをつかみ、頭と思しき部分で、男の顔を覗きこむ。


「俺たちが悪いのは分かってる。だが、それをさせるわけにゃいかないんだ」


 少女にかかった変化は解けた。その本来の姿に、男の目が見開かれる。


「おかしな女だと思ったら……!」

「じゃあな」


 頭頂が裂け、大蛇のような口が開き男を飲み込まんとする。


「化け物め」

「……その通りだよ」


 ごくり、と男を一飲みにした影の大蛇は影に溶け、少女以外はだれもいなくなった。

 はずれとはいえ、町中とは思えない静寂の中、影法師がいつもの姿を現す。歪みの無い、見慣れたはずの姿だが、少女の目にはそう見えない。


 影の伸ばそうとした手に、小さな悲鳴が上がる。


「……しばらく姿を消す。落ち着いたら呼んでくれ、家まで送るよ」


 こくり、と少女が頷いたのを確認した影は、再び闇の中へと溶けていった。



――――



「……あの人たちは、どこへ行ったの?」


 家への帰り道、俯き黙り続けていた少女はようやく口を開いた。


「爺さまの住んでいる辺りへ送った」


 術の先生であるタヌキの住処は、一日では行き来できない程度に遠い。近くに民家もあるので、まず迷うことはない。

 「すぐには帰って来れない場所」の心当たりが、そこしか無かったのだ。


「後始末をお願いしたけど、怒られたよ。今日に始まった話じゃないけど、『気軽に術を使い過ぎ』だってね」

「そう……」


 影法師が、人を傷つけるわけがない。実際、傷つけてはいない。

 けれど、人が影の中に飲み込まれる有り様は、少女の頭に焼き付いていた。だから、いつものように話そうとしても、言葉が口から出てこない。


「良い機会だから、言うよ」


 そんな彼女に構うことなく、影は言葉を続ける。


「何年か、ここを離れようと思うんだ」

「……え?」


 聞き間違い、ではない。


「ウソよね」

「まさか、ウソや冗談でこんな事言うわけない」

「なんで!」

「……さっきも言ったけど、理由の一つは『気軽に術を使い過ぎる』からさ」


 以前から、先生に注意されていた。

 その人のためでも、むやみに術を使うもんじゃない。ここぞという時だけにしておきなさい、と。

 影法師は今日、その言葉が意味するところを理解した。


「お前の姿が大人でなければ、ああはならなかっただろう」

「でも、あなたが助けてくれたじゃない!」

「助けられなかった、かもしれないんだぞ」


 少女が連れて行かれたのが、もう少し開けた陽の入る場所だったら。影法師は何も出来なかっただろう。


「それに、新しくやりたいこともあるんだ。この辺じゃできないことだから、遠くへ行く必要がある」


 少女は、言葉を返さない。


「今生の別れって訳じゃない。またいずれ、ここに戻ってくる」


 大きな目に湛えた涙が、今にも零れ落ちそうだった。


「だから、……だからそんな顔で、俺を見ないでくれ」


 決心が鈍ってしまう。何もない顔を背けることしかできない。


「さよなら、じゃないな。またいつか絶対に、絶対に会いに行く。だから、その日まで」

「影法師ッ!」


 待って、と伸ばした少女の手が、何かを捉えることはなかった。

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