第13回 キャラクターを転がす の応用
小ネタですが、キャラクター編の書きそびれを少しだけ。
前回書いた「転がす」というキャラ作製法、その応用についてです。
応用というか、現実的な活用法というか。
私がそれに気がついたのは、モデルのあるキャラを作った時でした。
モデルにしたのは、縁遠くなった古い友人です。
とにかく言動にインパクトがあり、あらゆる意味で個性的。
まさに漫画のキャラのような男でした。
一方で何を考えているのか、よくわからない部分も多々見受けられ。
今風に言えば、「不思議ちゃん」という感じでしょうか。
仲間内でも「奴は何を考えてるのか」がよく話題になりました。
そんな友人なので、キャラにするのは簡単でした。
ですが、長く書くに従って、キャラの中身も問われ始めます。
本質はどういう人格なのか。何を考えて生きているのか。
そこで改めて気づいたわけです。
友人の内面的な部分を、私はまるで知ろうとしなかったことを。
ただ面白がるだけの、表面的な関係でしかなかったと。
友人とやり直したくても、今更できない話です。
なのでキャラを転がし、考察しながら内面を膨らませました。
もはや友人とは別物かもですが、創作的には問題ありません。
ただ、人について考えることの意味を、再考させられた気がします。
それ以来、私はリアルでも知人を「転がす」ようになりました。
平たく言えば、「相手の身になって想像する」です。
この場面であいつならどうするのか。この人は何を考えてこう言うのか。
あらゆる場面で考察しながら、正解と照らし合わせるようにしたんです。
よく会う友人なら、確かめるのもわりと簡単ですからね。
もちろん、完全に読み切ることなんてできません。
ですが、的中率は次第に上がります。ある程度の方向性と言いますか。
自分には理解不能な部分も、不能ななりに学習はできますし。
これも平たく言えば、人間観察の一種ですね。
反りの合わない相手でも、キャラとして転がすと愛せたりしますw
前回も言いましたが、転がすとは常にそばに置き、考えることです。
これを日常的にできるようになると、物理的な距離を超越します。
疎遠になった友人はもちろん、死に別れした相手でさえも。
漫画でよくある「心で生きている」という状態です。
自分ができるようになって初めて、あれが本当だと実感しました。
もちろん、「それは本当の相手ではない」という指摘もあるでしょう。
実際の人格を想像で膨らませた、ただの脳内キャラ。その通りです。
でも、現実の友人関係も、実は大差ないんですよね。
相手の心が全て読めない以上、想像で補うのは誰でもすることです。
信頼とか信用なんて、その最たるものでしょう。
我々が見ている相手は、常に現実ではなく脳内に存在するのです。
キャラを転がすことを覚えてから。
私は、父や先輩の墓参りの際、故人と対話するようになりました。
結構しっかり話せるのは、この習慣のおかげかなと思います。
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