キャラクターを転がすのは、ある程度設定がないとあかんと思うのですが、その下敷きになる設定シートなのかな、と思ってました。
核というのをどの程度に捉えているのかの問題かとも思うのですが、映画見ないキャラの場合でも、「普段見ないけど何らかの理由で見ることに。そこで意気投合」みたいな展開になりそうなので設定を与えておくのは構わない気がします。設定が邪魔になれば変更するのだと思いますが、もう決めたから、とキャラ設定固定したままにする作家さんがいる気がしないのですが。どうなんでしょう。
作者からの返信
感想ありがとうございます!
私もある程度ならありだと思いますが、設定シートはまんま履歴書で、項目全て埋めろみたいなタイプですね。
まあそれくらいキャラを固めてから執筆に入れという話かもですが、私はまるで合いませんでした。
私のいう核というのは、キャラを動かす際に最初に考える行動原理ですかね。
例えばドラえもんなら「のび太の保護者」が核かなと私は思います。
どんなにコミカルな展開でもそこに立ち戻る。そういうキャラの絶対揺るぎない部分、方向性だと理解してもらえれば。
例で出した「映画を見ない」は、トラウマ的に絶対見ないタイプのつもりでした。「あまり見ない」くらいなら、あえて設定するまでもないですから。
ちなみにドラえもんの核で映画を見たら、「のび太くんも連れてくればよかった」「これはのび太くんにはまだ早いぞ」みたいな感じ。
個人的には「絶対映画見ない」男が、誘われて映画見る展開も(理由が明示されてるなら)ありだと思いますし、むしろ熱い展開になる予感がありますが、設定絶対だと、その選択肢が潰れてしまうのを危惧したのが、今回の主旨になります。
まあこの設定シート形式がどれくらい使われてて、実践されてるのか私も判りません。知りあいで聞いたことないですし。設定厨な知り合いはいましたが、そういう人はたいてい本編で挫折するので。
ただ、ものの本でよく見かける形式ですし、初心者かその次くらいの人がやってる可能性は結構あると思ったので、書いておこうかなと。
感想書いてると、時々「こういう設定なので」みたいな反論されることもありますし、一度決めた設定を変えたくない作者は多い気がします。その設定がそもそもよろしくないという話なのに。
私も設定なんて無駄!とは思いません。
設定ゼロで書いてる人がいたら間違いなく突っ込みますw
ただ、先に設定を作り込めという教えは、逆方向に害があるよなと思う次第です。
柔軟に設定変えてしまうなら問題ないんですが、だったら詳細設定必要ある?となったわけですハイ。
でも確かに、ガチガチ設定派って実在するんですかね……我こそはって方がいれば、反論期待したいところです。
なあんだ。まったく同じことやってるじゃないですかー。
まあ、ただ一つ。自分と梶野さんの、唯一にして最大の違いは、そのキャラクターの芯とも言える譲れない線を意識してるかどうかの違いでしょうか。
自分の場合、必要なら性格さえ歪めます。ぐにゃぐにゃです。
設定を決めないにも程があるって感じの透明人間です(愛とは何だ?)。
ただ、それはキャラがまだ何色にも染まっていない書き始めた最序盤か、話のオチが目前まで迫っている本当にどうしようもないときだけで、大抵はプロットの方を見直しますね。
大プロットはともかく、一章単位レベルの中プロットは、キャラ設定以上にころころ変えますから。
書いてるときに思わぬ線が引かれて楽しいというのは自分も共感するところですよ。
作者からの返信
今夜も感想ありがとうございます。
わはは、同じでしたか。予感はちょっとありましたw
作品の好みが合うのも、その意味で当然だったのかも。
キャラクターの芯は、テーマにも通じるところですからね。
いわばキャラクターごとのテーマというか。
テーマを排除する磨己途さんと、それもありとする私の違いが出てるのかもしれません。
とはいえ、私でもテーマを与えてないキャラはたくさんいますし、途中からテーマが出て来る場合もままあります。まあケースバイケースという感じですね。面白ければ何でも盛り込みますw
私も中プロットが想定通りに進むのは、半々くらいの感じかも。プロットが盤石と言うより、執筆中に新しいアイデアが出なかったとかそんな感じで、むしろ変わる時の方が内容は面白くなってる気もします。
大プロットはなかなか変えられませんが、そもそもきっちりかっちり考えてないので、面白くなりそうな方向に進路を変えるのはよくあることです。ゴールを変えるとか、大仕事には違いないんですが、流れから予定のゴールに行くのが難しいと思えば平気で変えちゃいますね。必死で捻りだして。
私の場合は、プロットの方がぐにゃぐにゃなのかもですw