第149話 クロエの心

「え……?」


 女の子といえば、やっぱり恋バナではないだろうか。そんな軽い思い付きでクロエに好きな人を訊いた結果、クロエはまるで信じられないものを見たような目でオレを見上げてきた。


 フードを深く被っているせいで、クロエの目元は影になっている。その闇の中でも、クロエの大きな黒い瞳は、胡乱げに怪しい光を放っていた。


「叔父さん、今、何て?」


 なぜだろう。なぜか、クロエから強い圧力を感じてしまった。こんなことは初めてだ。どうしてだ? なぜか、今のクロエは怖いと思ってしまった。


「あー……。訊いちゃダメだったか……?」


 女の子同士なら普通の盛り上がれる話題かもしれない。だが、オレはクロエの叔父だ。肉親に、しかも男親とも言える異性の相手に好き人がいるか訊かれるのは、さすがにハードルが高かったか?


 たしかに、オレも姉貴に恋人がいると告げた時は、気恥ずかしいものを感じたのを覚えている。


 だが、今のクロエの様子は、気恥ずかしいという感じではない。もっとなにか、不用意に触れば怪我をしそうな、危ういものを感じた。


「その、なんだ。べつに深い意味は無くてな。ただ、クロエに想われるような幸せな奴は居るのかなって、ちょっと気になったっていうか、その、なんだ……」

「そう言う叔父さんはどうなの?」

「え?」


 クロエの声色は、ゾッとするほど無機質だった。温かみというものをまるで感じない。


 オレは、かなり狼狽していた。まさかクロエがこんなにも冷たく感じることが訪れるとは、まったく思いもしなかったからだ。絶対に嘘は許さないという冷たい気配をクロエから感じる。

 

「オレは……」


 オレの声は、情けないほど震えていた。喉がカラカラに乾いている。レベル8ダンジョンに潜った時も、こんなに緊張はしなかったぞ!?


「こ……」


 恋人がいる。そう答えようとした時――――。


「UGA!」


 クロエのものでもオレのものでない濁った声が耳に届いた。


「ハッ!」


 オレはハッと息を呑み、我に返る思いがした。クロエのガラス玉のような黒い瞳から目を前方に移すと、まるで二足歩行のイノシシのような巨体が石畳の通路の先に見えた。


 野生のような荒々しいゴワゴワの茶色い毛並み。でっぷりと出た腹は、黒いなめし革の鎧で包まれ、太い手足には、呪術的な意味なのか、白や赤、青などカラフルな布が巻かれている。その上に乗っている頭部は、まんまイノシシだ。下顎から生えた立派な牙に本能的な警戒感を感じる。


 オーク。二足歩行の人型モンスター。『オーク砦』の主な登場モンスターだ。その毛深い剛毛に覆われたイノシシ面に見える黒目しかない目。その動物的な目は、完全にオレとクロエをロックオンしていた。


「オークだ! 合流するぞ!」

「あっ!?」


 オレはとっさにクロエの手を取ってパーティの元へと走り出す。『オーク砦』のオークは、5~6体のまるで冒険者パーティのような集団で行動している。奴の近くには、必ず味方のオークが居るはずだ。


 クロエは、オレの引く手に逆らわずに走り出した。異様な雰囲気を纏っていたクロエだが、今はその気配は霧散している。きっとダンジョン用に意識が切り替わったからだろう。


 それにしても、先程のクロエは何だったんだ?


 オレは、クロエを生まれたころから知っているが、初めて見た顔だった。クロエにあんなに冷たく刺々しい顔があるとは……。正直に言えば、オレはかなりショックだった。べつにクロエの全てを知っていると豪語するわけではないが、オレの予想だにしない顔があるとは。それがあんなにも攻撃的なものだとは。


 それだけ、クロエにとって好きな人を訊くのは禁句だったのだろう。オレは、いつの間にかクロエの心の弱いところに土足で入り込んでしまったのだ。


 こうなると、クロエとの信頼関係も心配になってくる。せっかくイザベルが仲を取り持ってくれたというのに、この分ではそれも無に帰しただろう。


 なんとか、指示を聞いてもらえるくらいには信頼を回復したい。オレとクロエの不和が伝播し、パーティが瓦解することだけは避けなくてはならない。


「クロエ、すまなかった。オレにお前を傷付ける意思はなかったことだけは信じてくれ。オレに言いたいこと、訊きたいこと、あるだろう。だが、今だけは吞み込んでくれ。すまん……」


 オレに握られるばかりだったクロエの小さな手に、力がこもるのが分かった。今では痛いくらいの力でオレの手を握り返してくる。


「うん……」


 オレに言いたいこと、きっと罵倒の言葉もあっただろう。だが、クロエは全てを飲み込んで頷いてくれた。オレはそのことに感謝と謝罪をする。


「ありがとう。すまん……」


 それしかクロエに言うことができず、オレは罪悪感を振り切るように走るスピードを一段上げた。すると、すぐにイザベルが指揮するパーティの姿が見えてくる。


「敵、オーク! 数、不明! リンクの可能性あり!」


 オレは端的に報告をすると、反転して腰の長剣を抜く。クロエたちの装備の新調と共に新調した長剣だ。以前使っていた“極光の担い手”は、戦況は大きく変えられる可能性があるが、直接的な戦力が上がるタイプの宝具ではない。


 今回からオレは前衛を張る。そのために直接な戦力を求めたわけだが……。


「上手くいけばいいがな……」

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