第143話 シヤ⑤

「よぉ、シヤ。邪魔するぜ」


 エルフの一大拠点『連枝の縁』。その最上階に位置する白亜の大きな両開きの扉。その向こうにあるのが、大きな執務室だ。内装は白で統一され、まるで神殿のような厳かな雰囲気が漂っている。


 そんな神聖な場所に侵入したのが、オレである。無精ヒゲを生やした、ただの冴えない男。場違いにもほどがあるのは自覚している。そんなオレだが、この部屋へ顔パスで来られてしまうのだ。


 その理由は……。


「アベル! お主を邪魔に思うなどありえぬ! 入れ入れ」


 オレの姿を見て、パァと花咲くような笑顔を浮かべる人物。この荘厳な部屋の主であるシヤの恋人だからだ。


 シヤは、大きな白の執務机で本を読んでいたようだ。本に栞を挟むと、ぴょんっと椅子から飛び降りた。シヤは、執務机の椅子に座ると、足が床に届かないのだ。なんだか、シヤのそんな何気ない仕草にも愛おしさが溢れてくる。無性に抱きしめたい。


 普段の真っ黒な格好とは違い、真っ白なゆったりとしたローブに身を包んだシヤは、まるで神に仕える巫女のようだった。


 ゆったりとした服を着ているからか、普段よりもシヤの幼さが強調されているような気さえする。


 なにがそんなに嬉しいのか、シヤはニコニコとした笑みを浮かべていた。可憐だ。この可憐な少女が、本当にオレの恋人でいいのかと不安になるくらいだ。


「マイヤ、お茶と菓子を頼む」

「かしこまりました」


 せっかく『連枝の縁』まで来たのだから、シヤにも顔を出そうかと軽い気持ちで会いに来てしまったのだが、少し軽率だったかもな。シヤはこの『連枝の縁』の最高責任者だ。おそらく目が回るほど忙しいに違いない。


「あー……。忙しいなら、ちょっとしたら帰るからよ?」

「ん? そこまで忙しいわけではないぞ? 今も趣味の本を読んでおっただけじゃし」

「そうなのか?」


 シヤの顔には、嘘も無理をしている気配もなかった。本当に暇だったのか?


「うむ。クランの運営や実務は、ほぼ部下に丸投げじゃしの。ワシの仕事など、ハンコを押すくらいじゃよ」


 そう言って、ハンコを押す動作をしてみせるシヤ。


 シヤはなんでもないことのように言っているが、そのハンコを押すかどうかでクランの行く末が決まるのだ。決して軽い仕事ではない。上がってくる書類の内容を全て理解できる知識が必要だ。勉強は必須だろう。


 さっき言ってた趣味の本ってのも、本当は目を通すべき資料の可能性すらあるな。


 この目の前に居るオレの半分くらいしか身長がない少女。……オレより年上のエルフに少女と呼ぶのもどうかと思うが、見た目が少女なので少女と呼ぶ。彼女はとてもがんばり屋なのだ。


 シヤがオレと会ってくれると意味。そしてシヤと一緒に過ごせる時間。大切にしなければいけないな。そう強く思った。


 そう思ったら、オレの右手は、自然とシヤの頭の上に置かれていた。たぶん、シヤを少しでも労いたくなったのだろう。


 シヤの色素の薄い髪を撫でる。よく梳かされているのだろう。指に髪の毛が絡まることなく、サラサラだ。シヤに触れられる。それだけでオレの心は舞い上がった。


「ふむ? なんじゃ?」

「いや、急に撫でたくなってな」

「なんじゃそれは」

「お二人とも、そんな所で立ってイチャコラしてないで、お座りになったらどうですか?」


 シヤと見つめ合い、他愛のない言葉で笑っていると、マイヤが呆れた口調で言う。まぁ、確かにその通りだ。


「い、いちゃこらなど……」


 マイヤに指摘されたのが恥ずかしかったのか、シヤが顔を赤らめて呟く。まぁ、他人から改めて指摘されると、思いのほか恥ずかしいよな。オレも少し顔が熱い。


「じゃあ、座ってイチャコラするか」

「お主まで……ワシはいちゃこらなど……。ほわっ!?」


 オレはしゃがんでシヤの背中と膝裏に手を通すと、シヤを横抱きに持ち上げる。俗に言うお姫様だっこってやつだ。昔はよくクロエにねだられたからな。オレの動作は流れるように淀みなく、熟練の域にあると自負している。


「あ、アベル!? い、いきなりなにを!?」

「毎日頑張ってるシヤを労わりたくてな。運んでやろうかと」

「じ、事前に一言あってもいいじゃろ!? ま、マイヤの前じゃぞ!?」


 どうやら、シヤはマイヤにこういったところを見られるのは恥ずかしいらしい。まぁ、普段から知ってる人に見られるのは、特に恥ずかしいかもな。オレも姉貴や『五花の夢』のメンバーに見られたら……なぜだろう? 恥ずかしいよりも寒気がするんだが? とくに首の裏なんて鳥肌が立ってる。なんでだ?


 とにかく、今はシヤ。シヤと会っているのに、他の女のことを考えるなんてダメらしいからな。よく鈍いと言われるオレも少しは学習しているのである。


「よっと」

「ほわ」


 シヤをソファに座らせると、オレはそのままシヤの隣に座った。すると、流れるような動作でマイヤがシヤとオレの前にお茶を置いてくれる。


 テーブルに綺麗に並べられたお菓子の盛り合わせを置くとマイヤがそっと離れていく。その途中で、なにかに気が付いたのか、マイヤが立ち止まるとオレたちを見た。


「今回はおっぱじめますか? 私は席を外した方がよろしいでしょうか?」


 おっぱじめるって、このエルフのお姉さん、すごいこと言い出したな。


「せぬは!」

「え?」


 シヤが顔を真っ赤にして叫ぶ横で、オレは知らず知らずのうちに残念そうな声を上げていた。そんなオレをシヤが驚いたように見上げる。


「え? ……その、するのか……?」


 顔を赤らめ、眉を困ったようにハの字にしたシヤ。そんなシヤを見て、オレはなぜか彼女をもっと困らせたくなってしまった。


 オレはシヤの顔に自分の顔を近づけると、シヤの真っ赤に染まった長い耳に囁く。


「ダメか? シヤ」

「はう……」


 シヤはビクリと体を震わせると、羞恥に満ちた震えた声で言う。


「マイヤぁ、その……。少しの間暇を出す。ワシがいいと言うまで、誰も部屋に入れないように!」



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