第134話 ほっぺ

 白亜の巨大な両開きの扉。まるで荘厳な神殿の最奥のようなここは、巨大クラン『連枝の縁』のクランリーダー室に続く扉だ。


 この向こうにシヤが居る。


 昨日、シヤと情熱的な告白を交わし合った身としては、少し会うことが恥ずかしい。だが、ここで逃げるわけにはいかない。オレはシヤと付き合っているのだ。恋人と会うことを避けるなんて、バカげている。


 シヤとの時間は、長く続けばいいと思う。しかし、たとえ永遠と錯覚するほどに、どんなに長く続いたとしても、必ず終わりがやってくる有限な時なのだ。一分一秒でも無駄にしたくはない。


 それに、今回はシヤへの贈り物もある。シヤが、オレと過ごした時を懐かしめるように用意した贈り物だ。贈り物と紐づけることで、記憶をより強固なものにしようという試みである。


 もしかしたら、そんな効果なんてこれぽっちも無いかもしれない。だが、オレは二人が結ばれた記念に、なにかを遺したかったのだ。


 まぁ、理由なんてなんでもいい。シヤが喜んでくれるならば、オレはなんでもしよう。全てはシヤの笑顔のために。その想いは変わらない。


「失礼いたします。アベル様をご案内いたしました」


 贈り物の選定に付き合ってくれたマイヤが、ゆっくりと扉を開いていく。よく手入れされているのか、白亜の扉は音も立てずに静かに開いていった。


 白を基調とした純白の空間。昨日、シヤと語らったソファーとローテーブルの向こう。大きな白い執務机の向こうにシヤの姿が見えた。窓から入った陽光が、まるで後光のようにシヤを照らしている。なぜだか無性に拝みたくなってしまうほど、シヤは美し過ぎた。


 だが、そんな美の女神の化身たるシヤだが、今日は様子がおかしい。いつもの礼儀正しさはどこに行ったのか、執務机に頬杖をついては、オレを半目で呆れたように見ている。なぜだ?


 歓迎してくれとは言わないが、せっかく恋人が訪ねてきたのに、この不機嫌な雰囲気は何だろう?


 やはり、昨日の今日で現れては、マズかっただろうか?


 シヤは、巨大クラン『連枝の縁』のクランリーダーだ。きっと忙しい身の上だろう。こうも連日で押しかけられては、さすがに迷惑だっただろうか?


「昨日ぶりだな、シヤ。その、なんだ……忙しかったか? タイミングが悪いなら出直すが……」

「違う。ワシはの、アベル。お主に呆れておるんじゃ」

「呆れる……?」


 なにかシヤに呆れられるようなことをしただろうか?


「オレがなにかやっちまったか?」

「自分の胸に手を当てて訊いてみよ」


 シヤの言う通り、胸に手を当ててみても、頭をひねってみても、まるで浮かばなかった。


「降参だ。いったい何に呆れてるんだ?」

「お主、マイヤとデートしておったそうじゃな?」

「デート? してないが?」


 いったい何を勘違いしているんだ?


「ええい、証拠は上がっておるのじゃぞ! お主らは午前中、二人っきりで出かけておったそうではないか! しかも、昼食まで一緒に取りおって……。おかげでワシの昼食は一人の寂しいものじゃったぞ!」

「えー……」


 どうやら、シヤの中では、男女が二人っきりで一緒に買い物していたらデートになるらしい。しかも、オレとマイヤが昼食まで一緒したせいで、シヤの昼食が一人だけの寂しいものになってしまったことまで怒っている。


 いや、オレはマイヤとデートしたつもりはこれっぽっちもないし、まぁ、たしかにシヤの昼食が寂しいものになったのは申し訳ないが。


 ようするに、シヤは自分を差し置いて、オレがマイヤと浮気したと思っているのか?


「まず、これだけは分かってくれ。オレとマイヤはデートしていたわけじゃない。相談に乗ってもらっていたんだ」

「どうだかの。ワシが一人寂しくしておった間、二人で楽しそうに買い物をしておったそうではないか。ワシはそう聞いておるぞ?」


 半目のシヤもかわいいな。ジトッとした目で見られていると、なんだかいけない気持ちになってくる。


 まぁ、それは置いておいて、だ。エルフの情報網というのはすごいのだなとオレは改めて思い知らされた。まさか買い物の様子まで見られているとは。この分だと、オレがなにを買ったかも知っていそうだ。


 そして、もう一つ気が付いたことがある。それは、シヤが本気で怒っているわけではないということだ。ただ交際している自分がないがしろにされたようで抗議しているのだろう。もしかしたら、寂しさの埋め合わせなのかもしれない。


 なんにしろ、拗ねてしまった子どものような愛嬌があった。


「すまなかった、シヤ。寂しい思いをさせた」

「ふーんっ! ワシはべつにお主が居らずとも寂しくないわい」


 ほっぺを膨らませて強がりを言うシヤ。その姿は、いとも簡単にオレの胸を射抜いた。オレは居ても立っても居られず、執務机に頬杖を突くシヤへと近づいていく。


「なんじゃ?」


 オレを半目の上目遣いという器用なマネで見上げるシヤ。その小さな体に、オレの中で愛おしさが高まっていく。


「えい」

「ぷー」


 シヤの膨れた頬を押すと、シヤの口から空気が漏れる。これでかわいらしいシヤの顔は元通りだ。


 もう一人の当事者であるマイヤは、オレたちのじゃれ合いを、まるで眩しいものでも見るような目で見ていた。




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