第2話 ミズリー国

 王宮が手配した馬車に乗せられたミルヴァは、馬車の御者に道中のある場所で止まってほしいとお願いした。すると御者はミルヴァの申し出に快く応じてくれた。おそらく、評判の悪い国に向かわされるミルヴァを不憫に思い、そのくらいの願いなら聞いても差し支えないと思ってくれたのだろう。


「さあ、着きましたよ」

 その言葉でミルヴァは馬車を降りた。懐かしい風景が広がっている。グランドのように仕切られた土地の中に、数多くの墓石が並び置かれていた。そう、ここは墓地である。ミルヴァはその中を足早に進み、一つの墓石の前に立った。そして手を合わせ目をつぶった。


(お母さん、隣国のミズリーに行くこととなりました。ここには当分来られそうにありません。もしかすると一生来られないのかもわかりません。けれど、心のなかではずっとお母さんのことをお祈りしています。お母さんもどうか私のことを見守っていてください)


 本当はもう少しここでゆっくりとお墓参りをしたかったのだが、あまり御者を待たせると彼に迷惑がかかると思い、後ろ髪を引かれる思いでお墓を後にして馬車へと戻る。

「ご挨拶はできたのですか?」

 やさしそうに御者は聞いてきた。

「ええ、規則に反してこんなところに寄らせてしまって申し訳ありませんでした」

「おやすい御用ですよ」


 馬車は再び走り出し、隣国へと向かっていった。町を離れると、何もない荒涼とした土地が広がり、その中をガタガタ揺れながら馬車は進んでいく。国境に到着したのは日も暮れかけた夕方だった。


 御者の話によると、国境に建てられてある小さな小屋で一泊し、明日の朝、ミズリー国に入るのだと言われた。女ひとりで小さな小屋に泊まることはとても不安だったが、それ以上に心配なことがあった。なんと馬車で移動できるのはここまでで、国境を越えれば、そこからは自分の足で歩いてミズリー国のお城まで行かなければならないというのだ。


(見ず知らずの国の中を女ひとりで歩いていくなんて)


 お城までの簡単な地図を渡されたが、もともと方向音痴のミルヴァが、そんな紙一枚でちゃんと目的地まで無事にたどり着けるのか、盗賊などに出会わずにすむのか、心配事が次々とわいてきた。


 翌日、国境を越え歩きだしてすぐに、自分が持たされた地図がいい加減なものだと気がついた。地図では一本道のところが、分かれ道になっているのだ。これでは目的地であるお城までたどり着くこともできない。


 ミルヴァは自分の勘を信じて、分かれ道を右に曲がった。なんとなくこちらだと思ったのだが、方向音痴のミルヴァは過去に何度も自分の勘を信じて道に迷ってしまっている。知らない土地で迷ってしまったらどうすればいいのだろうか。ここミズリー国のマイヤー王子は、悪魔に魂を売ってしまっているそうで、そのためこの土地には魔物がウロウロしていると聞いている。


(魔物に出くわしてしまったら、もう私の人生も終わりになるのね)


 そんな気持ちになったが、まあそれはそれでいいのではとも思えてきた。これからの地獄のような人生を考えると、お母さんと同じ場所に行くほうが幸せかもしれない。そう思えてきたのだった。


 わけも分からず真っ直ぐに歩いていると、目の前に森が迫ってきた。

 この森の中を抜けていかなければならないのだろうか?

 一度立ち止まり、もう一度地図を見てみる。地図には森などどこにも記載されていなかった。


 森に続く道は整地されておらず、人の足で踏み固められているようでもなかった。吸い込まれるような冷たい空気がこちらに流れてきている。怪しい雰囲気たっぷりの森である。


(暗い場所に続く道だけど、なんとなく真っ直ぐ進むといいことがありそうな気がするわ)

 なぜかそんな気持ちになった。ミルヴァは感覚で生きているようなところがある。いつもその感覚が正しいと限らないことは百も承知していたが、どうしても気持ちに逆らえず行動してしまい、後で痛い目に合うことも多いのだ。


 今回も浮かび出てきた感覚の通りに、深いことは何も考えず足を森の入口へと進めた時だった。


「お姉ちゃん、どこに行くの?」

 背後からそんな声が聞こえてきた。

 振り向くとそこにはまだ幼い男の子が一人で立っていた。パッチリとした二重の目を持つかわいらしい男の子だった。

「そっちは危険だよ。そこは魔の森だから」


「魔の森?」

「そう、魔界から来た魔物の居住地だよ」

(居住地?)

 魔物がこの森で当然のように暮らしているような、その言い方にちょっと耳を疑った。

「この森に魔物が住んでいるの?」

「そうだよ。お姉ちゃんもしかして他所から来た人なの? 魔の森を知らないなんて」

「実はそうなのよ。となりのラインバルト王国からきたのよ」

「ラインバルト王国? 確かこのミズリー国を占領しようとしている国だよね」


 確かにラインバルトはミズリーを占領しようと画策していることは、セルフィン王子の口からも直接聞いたこともある。ただ、ミズリーを狙っている国は他にもあるため、そのにらみ合いが続いており、どの国もミズリーに手を出せずにいるのだ。あと、ミズリーは魔界と手を結び、魔物が生息している地域でもあるので、どの国もそのような危険な国をあえて手に入れようとはしてこなかった。


「おそらくラインバルト王国は、ミズリーを占領などできないと思うわ」

 ミルヴァは子供を安心させるためにそう話した。

「本当?」

「ええ、ラインバルトは聖女様が体調を崩していて結界がかなり弱まってしまっているの。今は自分の国のことで精一杯だと思うわ」

 心のなかでは私が抜けた穴は大きいのよとでも言いたかったのだろうか。ミルヴァは子供相手にそんなことを言っていた。


 その時だった。

 今まで快活に話しをしていた子供が、急に顔色を変え、ゴホゴホと咳き込み始めたのだった。


「どうしたの? 大丈夫?」

 ミルヴァは思わず子供に駆け寄り声をかけるが、その子は返事もできず苦しそうに咳を続け、今にも呼吸困難になりそうな勢いだった。


(これは、肺の病気にかかっているのでは)


 ミルヴァは急いで子供の胸に自分の手のひらを当てた。神経を集中させるために目を閉じる。やがて自分の右手に発生した微粒子が子供の体に流れていくのを感じた。


(聖なる力は弱まってしまった私だけれど、回復術くらいなら少しは使えるはず)


 そう願いながら、自分の白魔法を子供の体に流し続ける。

 やがて、子供の咳は止み、顔色ももとに戻りはじめた。

「どう、息はできそう?」

 回復術が一段落した時、ミルヴァはそう声をかけてみた。

「うん」

 子供は今受けた術にびっくりしているのだろうか。もともとの大きな目をより丸くしてミルヴァを見ている。

「ありがとう。お姉ちゃん、もしかして魔法使いなの?」

「うん。たいした力は持っていない、お払い箱の魔法使いだけどね」

「すごい、すごいよ、お姉ちゃん! 魔法使いなんて本当にいたんだね」


 子供の驚くさまを見て、そうかと思った。おそらく、ここミズリー国は、弱小国のため、元々いた魔法使いたちは他国に移籍してしまい、ほとんど残っていないのだろう。なので、魔法使い自体がとてもめずらしい存在なのだ。そして有力な魔法使いがいないから、結界も作れず、魔の森なんて呼ばれる魔物の居住地があったりもするのだろう。


 それにしても、小さな子供をその場しのぎにしろ元気にさせることができ、ミルヴァは今までにない喜びを感じていた。これまで彼女には、国のための結界を作るという大きな使命があった。ただ、その役目は人々の喜ぶ姿が直接目に届くものではなく、ただただ重責に耐えて行っていた任務でしかなかった。けれど、こうして目の前の子供を助け、その喜ぶ姿を実際に見ることは、些細なことかもしれないが、こちらまで元気をもらえるうれしい出来事だった。


「お姉ちゃん、こんな森に向かおうとしているなんて、道に迷ってしまったんだろ。いったいどこに行こうとしていたんだい?」

 元気を取り戻した子供が言う。

「ええ、この国のお城に向かっているの」

「お城? あそこのことかな? じゃあ、案内するよ」

「でも、子供のあなたを連れ回すわけにはいかないわ」

「大丈夫。僕の家もお城の方向なんだ。着いておいでよ」

「そうなの、ではお言葉に甘えるわ」

 一人ではお城にたどり着ける自信がなかったミルヴァは、素直に子供の後についていくことにした。


(この子が私を騙して、盗賊団のいる場所に連れて行くことなど、おそらくはないだろうし……)

 けれど、盗賊団ではないにしろ、ミルヴァは今から悪魔に魂を売った王子のもとに行こうとしているのだ。とんでもなくひどい所に向かっていることには変わりはない。


「ねえ、私はミルヴァというの。あなたは?」

「僕の名前はシン」

「ねえシン」

 ミルヴァはずっと気になっていることを聞いた。

「マイヤー王子はとても怖い人だと聞いているのだけど、本当?」

「怖い?」

 シンは意外そうな顔をした。

「どちらかというと、優しい人だよ」

「優しい?」

 思ってもみない答えが返ってきた。

「民衆を次々と処刑する、恐ろしい人だと聞いているけど」

「処刑?」

 シンはその言葉にびっくりした様子だった。子供相手に、処刑などという恐ろしい言葉を使ったことに後悔した。

「行って会えば、マイヤー王子がどういう人かすぐに分かるよ。でも気をつけなよ。王子は女性にむちゃくちゃ人気があるんだから、お姉ちゃんが王子と二人っきりで会うなんて知られたら、みんなが嫉妬してくると思うよ」


 どういうことだろう。

 確かに人の噂というものは当てにならないというが、シンの言う事を鵜呑みにして、王子が優しくて人気があると思ってしまうのもなんだか怖い気がした。


(私は他所の国から来た魔法使い。聖なる力が弱まっていると知られれば、用無しで捨てられるに決まっている。実際、セルフィン王子にもそうやって捨てられてこの国に来たのだし)


「さあこっちだよ」

 シンは、ミルヴァの不安などもちろん知る由もなく、明るい声で彼女をお城へと案内するのだった。

 ただ、ラインバルト王国にしてもそうなのだが、巨大な建物である城は遥か遠くからでも、すぐに目に入ってくるはずだ。しかし、ここでは、なかなかそのお城が姿を現さない。


(まだかなり遠いのかしら)

 そう考えているとシンが声をかけてきた。

「もうすぐ着くよ」

「え? でも、お城がまだ見えないけど」

 ミルヴァが戸惑っていることなどお構いなしに、シンはある一軒の家の前で立ち止まりこう言った。


「ここだよ。ここがミズリーのお城だよ」

「ここ? これがお城?」

 お城と言えば城下を一望できるような高い建物を想像したが、ここにあるのは普通の家である。まあ、普通というかこの町で見てきた平均的な家よりかは一回り大きな造りになっているようだが、それでもどう見てもただの家である。


(どういうことだろう。他国から狙われるのを恐れて、王族は民家に紛れて暮らしているのだろうか?)


 シンは玄関の門を無造作にくぐり抜けると、ドアの上部に付いているドア鈴の紐を引っ張りはじめた。チリンチリンと空気の中を鈴の音が伝わっていく。

「マイヤー王子、お客様です」

 シンは扉に向かってそう声をあげた。

 その姿を見てミルヴァは仰天してしまった。

(どういうことだろう。こんなに簡単に王子を呼び出すなんてありえない。やはり私は、この子に騙されて連れてこられたのだろうか)

 逃げ出したほうがいいのだろうか、そうミルヴァは思っていたが、逃げ出すよりも早く、家のドアが開かれた。そして、中から一人の男性が姿を見せたのだった。

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