聖女は生命をかけて結界を張る

銀野きりん

第1話 聖なる力

 母はミルヴァがまだ幼いときに亡くなってしまった。なので、ミルヴァには母の記憶があまりない。ぼんやりとした霞の中で、うっすらと覚えている程度だ。


 親戚のおばさんに、母がどんな人だったのか聞かされたことがある。美人で優しい人だったらしい。そして、聖なる力を持った聖女候補の一人だったそうだ。


 ミルヴァは、そんな母の血を受け継いでいる。

 受け継いでいるといっても美人の血ではない。聖なる力の方だ。聖なる力とは、簡単に言うと魔界からこの国を守る結界を作る力のことをいう。ミルヴァは母の血を受け継ぎ、その力を有していたのである。


 母を亡くし、父は他に女を作って姿をくらましてしまい、幼くして一人ぼっちになってしまったミルヴァだが、なんとか無事に成人にはなれた。それというのも、この聖なる力を持っていたおかげである。この聖なる力があったからこそ、授業料もまともに払えない貧しい親戚の家で育てられたミルヴァが、王国奨学金を利用して魔法高等学校まで卒業できたのだから。


 魔法学校を卒業すると、不思議なことが起こった。

 ある朝、目を覚ますと、聖なる力が体中から自然と湧き出るようになったのだ。今までは神経を集中してやっと溜め込むことができていた力が、なぜかその朝から、山肌からあふれ出る湧き水のごとく、ミルヴァの身体の中に次々と満たされてくるようになったのだ。


(なんだろう、この感覚。今までに経験したことのないものだ)


 自分の身体がどうかしてしまったのではと怖くなってしまったミルヴァは、すぐさま近所の魔法使い専門病院に駆け込んだ。

 二十年以上開業を続けているベテラン医師はミルヴァの症状を診てすぐさまこう言った。


「とても私のところで扱える症状ではありません。紹介状を書きますので、それを持ってすぐさま王宮に行きなさい」


 言われるがまま、その足で王宮へと向かう。

 王宮にはこの国最高の人材が集まってくる。護衛のプロ、料理のプロ、清掃のプロ、そして医療のプロ。ミルヴァの症状はそんな王宮にいる超一流の医師に診て貰う必要があると判断されたのだ。


(私はとんでもない病気にかかってしまったのでは。もしかして命に関わるような病気なのだろうか)

 そんな思いが湧いてきた。


 でも。

 そう、でももし命に関わるような病気にかかってしまっていても、別に構わない。ミルヴァには親もいなければ兄弟もいない。母が早死にしたときから、おそらく私も若くして死んでしまうのだろう、そんな予感を以前からずっと抱くようになっていたからだ。


(王宮で私は死を宣告されるにちがいない)


 そう覚悟していたミルヴァに、王宮医師団の男性は、各種測定器の数値を見ながらこう述べた。

「特に身体のどこかが悪いわけではありません。ただ、恐ろしく強大な「聖なる力」を有しておられる。その量は現職の聖女を遥かに超えるものです。あなたはこの国を守る新しい救世主となられるお方だ。すぐにラインバルト国王に拝謁できるよう手配させていただきます」


 こうして、近所の町医者に診てもらったミルヴァは、一日にして国王と会うことになってしまったのである。


 わけもわからずに通された部屋で突っ立っていると、やがて従者を引き連れたラインバルト国王が姿を見せた。

 一般庶民のミルヴァは、国王に対してどんな態度で接していいのか、どのような礼儀があってどのような体勢で、つまり片膝を付いたり手を胸の前で横にしたりといったことがまるで分かっていなかった。なので、結局ぼんやりとその場で立ち尽くしていると、そんなミルヴァの様子を見ながら国王が口を開いた。


「ミルヴァ、聖女候補として明日からこの王宮で暮らしてもらいたい。そしてこの国の結界を張る仕事を手伝ってもらいたい」


 それはラインバルト国王からの勅令といってもよかった。なぜなら、国王からのお願いを断ることなど、普通はできないことなのだから。


 結局ミルヴァは、翌日から王宮職員として宮殿で暮らすことになり、聖女候補として聖なる力を開放してこの国の結界を張る仕事を始めたのだ。


 ミルヴァの結界を張る力は群を抜いて強く安定していた。

 実は、当時の現役聖女はひどく体調を崩しており、ラインバルト王国の結界はすでに限界を迎えようとしていた。そのため、ミルヴァは新たな救世主と崇められることになり、宮廷での扱いも格別に良いものとなった。国の重要行事には国王席横で出席するようになり、民衆はミルヴァのことを、新聖女様と呼ぶようになった。


 そんなミルヴァの力を見越したのだろう。ラインバルト国王がこともあろうか自分の息子のセルフィン第一王子とミルヴァを婚約させたのだ。


 強い結界があれば、魔物からの侵入を恐れることなく国政を行える。強固な結界は、安定した国を作るためには必要不可欠なものだった。結界の強さが、国の強さに結びつくと言っても過言ではなかった。それほど結界は国にとって大切なものであったのだ。


 そのため、強大な「聖なる力」を持つ者は、当然各国が欲しがる人材であり、多額の金銭と安定した生活を保証することで、自国に呼び寄せ移籍させることは日常茶飯事に行われていた。


 ミルヴァのもとにも、すぐに隣国の密使が近づくようになり、他国にミルヴァを奪われることを恐れたラインバルト国王は、自分の息子であるセルフィン王子とミルヴァを結婚させようとしたのだ。


 だが、その頃からだった。

 なぜか急にミルヴァの聖なる力が弱りだしてきたのだ。いつもなら簡単に張ることができた結界をどういう訳か作ることができなくなってしまったのだ。


 そのため、ラインバルト王国の結界は不安定になり、今後は国力そのものも弱ってくるのではないかと心配されるようになった。


 そんな時期に開かれた舞踏会の夜、事件は起こった。


「ミルヴァ、今日限りお前との婚約は破棄させてもらう」


 突然、婚約者であるセルフィン王子が、舞踏会の演壇でそう宣言したのだった。


 王宮に招待されている着飾った貴族たちが、びっくりした様子でミルヴァに視線を向けてきた。

 けれど皆の視線を向けられた当のミルヴァにしても、まったくの寝耳に水の話だった。あまりに突然で予想もしていなかったことで、いったい何を王子が言っているのかすぐには理解できなかったほどである。


(婚約破棄? どうしてだろう)


 そう考えてみると、すぐに思い当たることがあった。


(聖なる力が弱まった私には、もう利用価値が無くなったということなのね)


 ミルヴァはあくまで結界をつくるためだけに必要な存在だったのだ。セルフィン王子にしても、役立たずのミルヴァとは一日も早く婚約を解消したいと思ったのだろう。


「ミルヴァの代わりの新しい婚約者をここで皆に紹介したいと思う」

 王子はそう言うと奥の席に座る一人の女性に声をかけた。

「ローライン、こちらに来るんだ」

 すっと席から立ち上がった女性は、ミルヴァより背が高くブロンドの髪が柔らかくウェーブしていた。そして明らかにミルヴァより美人であった。


「これからはここにいるローラインが新しい婚約者となる。ローラインは聖なる力も宿した女性だ。これからはミルヴァに変わって、この国の結界づくりに尽力してもらうことになる」


 舞踏会の出席者たちはじっと王子の言葉を聞いていたが、ローラインが聖なる力を持っていると聞くと途端に明るい表情で新しい婚約者を祝福しだした。結界が弱まっているこの国の救世主になってもらいたいという期待の現れだろう。


「さて、ミルヴァ」

 セルフィン王子はミルヴァに顔を向けて話し始めた。

「私は慈悲深い男だ。今までこのラインバルト王国の結界を守ってきたお前を無下にするつもりはない。これからは隣国であるミズリーに行くがよい。これからはミズリー国の結界を作る作業に加わればよい。まあ、お前がまだ結界をつくる能力が残っていればの話だが。ミズリー国もお前が結界さえしっかりと作れば、すぐには魔物のエサにしてしまうこともないはずだ」


 舞踏会に参加する貴族たちがざわつきはじめた。そして、皆は明らかに同情のこもった目でミルヴァを見つめてくるのだった。

 それもそのはずである。隣国のミズリーはここラインバルト王国の10分の1ほどの広さしかない国で、いつ周囲の国に占領されてもおかしくない弱小国だったからだ。それに、そこの王子の評判がすこぶる悪いものだった。


 ミズリー国にはマイヤーという王子がいるのだが、彼は悪魔に魂を売ってしまった残忍な男だと噂されていた。なんでも貧しい人民から多額の税金を搾取し、不平を言うものに対しては容赦なく捕らえると処刑までしてしまう男だと聞かされている。


(用の無くなった私は、とんでもない国に売られてしまったというわけね。きっと聖なる力がほとんど無くなっている私など、隣国でもひどい扱いを受けるに決まっている)


「さあミルヴァ、ミズリー国は一刻も早くお前に来てもらいたいそうだ。さっそく明日、荷物をまとめて隣国に出向くとよい」


 そうしてお払い箱になったミルヴァは、ミズリー国へと向かったのだった。

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