第15話 邪道の中で恋をする
その頃、賢人は『018』号室で海音と疾風と過ごしていた。至って平和な時間が流れていた。防音設備が整っており、隣の部屋からも何も聞こえない。
「あの、僕は本当に海音さんと疾風くんのことは殺さないから……!」
「僕もです!さすがに知り合いである賢人さんを殺せませんよ」
海音は2人の会話を聞いて、綺麗事ばかりが並んでいるように思えて快い気持ちにはならなかった。
「ちょっと、海音さんも何か喋ってくださいよ!」
「うるさいわね……」
海音は深いため息をつきながら、舌打ちをした。その状況に疾風も賢人も心底怯える。しかし、デスゲームに参加している身だからか、表には出さなかった。もっと恐ろしいことがこの世の中にあることを知っていたからだ。
「海音さんは心配なんだよね。僕も分かるよ。僕も今からでも伊吹さんのところに行きたいくらいだよ」
「私が心配なのは自分のこと。別にペアがどうとかじゃない。ていうか、早めにペアを大切にするっていう心、捨てといた方がいいわよ」
「いや、伊吹さんのことは見捨てられないよ」
賢人の口角に微笑が浮かんだ。海音はその温かさに動かされて反射的に微笑む。それは『やれやれ』という言葉が非常に似合った。
「それに海音さんのペアは疾風くんだよね。だから、絶対に死なないよ。僕たちの敵は蒼葉さんと貴一くんだから。その2人を絶対に殺すよ」
賢人の眼光が光る。ここに存在しないずっと遠くにいる人を捕らえて、眉をひそめた。その真剣な表情の中で、海音と疾風は共に酷く怯えた。
「そ、そうね……」
「え、どうしたの……あ、ごめん、そう言えば、海音さんは貴一くんのことが好きなんだっけ?」
「そんなんじゃないわよ!」
海音は大きく声をあげた。さすがに賢人もびっくりしたようで、後退りする。疾風は「やめなやめな」と海音のことを宥めた。海音の拳はわなわなと震えていた。そこに怒りという感情はなく、自家撞着のようなものに囚われているようだった。その虚しさに海音は泣きそうになる。
「ごめん、本当にごめんね」
賢人は髪をかきあげながら、海音にハンカチを渡した。ただの人間としての行為に過ぎないのに、海音にはそれが凄く優しく映った。そして、かっこよく映った。一つ一つの細胞がふつふつと湧き上がり、このまま自分自身が侵されそうだった。海音はその意味に気づいていたが、あえて隠すために涙を流した。桃色の感情と赤色の感情を共に流してと願って。
エントランスでは、伊吹と蒼葉が歩いている。蒼葉は清々しい気持ちに浸っていたが、伊吹はどことなく暗かった。非常に精神が安定している彼女ではあったが、今は取り乱している。蒼葉はそれを気にもとめず、前へと歩き出す。2人の行先は『017』号室だ。もれなく、世界と貴一が戦っている。メールが届いていない限り、どちらも死んではいないのだろう。
「伊吹ちゃん、2人ともこれから生きていくのなら、たくさん話そう」
「お前に話すことはない。ただ、感謝はしている。私がどれだけ最低な人間なのかは分かった」
「死ぬ気?」
「なんだ、自分が真実を伝えて私が死ぬでも思っているのか。そして、罪悪感に駆られているのか。最初はあれだけ貶していたというのに」
「……貶してるつもりはなかった。ごめんね」
蒼葉は人間が変わったかのように謝った。最初会った時とは打って変わって常人である。
「俺は晴ちゃんのことが好きだっただけ。伊吹ちゃんが晴ちゃんに愛されているのを見て、辛かった」
「……」
「俺の方が愛しているのにって思った。だから、伊吹ちゃんに俺の正義を押し付けた」
蒼葉は思っていることを全て口にする方が楽なようで、その方法で罪悪感を拭っている。
「でも、晴ちゃんが好きだったのは実際伊吹ちゃんだったし、僕もそれに気づいていたからこそ意地悪言ったと思う。もう一度人間を愛するためにも、許してほしい」
蒼葉は頭を下げて、手を差し出した。きっとそれを受け取れば、承諾になる。ただ、伊吹にそんな勇気はなかった。蒼葉の話を聞いて、本当に悪かったのは自分だったのではないかと思い始めているからだ。
「私にそんな資格はない。蒼葉、お前が晴のことを愛せ」
「なんでそんなこと言うんだ……」
「私はもう疲れたんだ。このゲームで死ぬことができないのなら、その後にペアを殺す。早く死にたい」
伊吹が弱音を吐いた瞬間だった。蒼葉は晴のためにも伊吹に怒ろうとしたが、それも虚しく思えた。蒼葉の行動が裏目に出ているのは間違いないからだ。
(俺のせいだ。……俺が晴ちゃんの大好きな人を傷つけた。自分のエゴに囚われすぎて)
蒼葉には過去の恨みと今の後悔が同時に積もり、訳の分からない感情へとたどり着いた。自分自身で処理できるはずもなく、そそくさに『017』号室へと向かった。こういう時に楽になるのは、知り合いの不幸を見ることだ。
私の中で1つの光が宿る。現実の世界を思い出させてくれるようだった。私をずっと『生きたい人間』として生かせてくれた優しい世の中。私は既に懐古していた。懐かしさに身を委ね、楽になろうと試みた。楽になれるはずもないけど。
そんな中で彼の笑顔は眩しかった。普段気にもとめないその笑顔に大きく惹かれた。このまま死んでしまうのなら、その人の顔を見て死にたい。しかし、こんな所で恋をするのは大問題であるため、蓋を閉じた。このゲームから離脱すれば、もっと良い人に出会えると信じて……。
海音の瞳には賢人が映っていた。一瞬で恋に落ちてしまうほど、このゲームは残酷だった。普段気にもとめないあらゆることが美しく見える。海音は流れやすい性格ではなかったが、この雰囲気から逃れることはなかった。
「そう言えばさ、2人ともお腹空いてない?さっき、食堂で買ってきたんだよね」
「めちゃくちゃお腹空いてます!」
「よく食べれるわね……」
「海音さんはいらない?」
海音は賢人の上目遣いに弱いようで、渋々頷いた。それに色んな感情に振り回されば、お腹は空く。海音の中の人間は正直だった。
賢人は袋からコッペパンを3つ出す。本当は伊吹も世界と楽希のために買ってきたものだった。しかし、3人とも帰ってくる気配がないので先にいただく。
「やっぱり、食べないとですね!」
「うん、そうだね。海音さんも美味しい?」
賢人の一つ一つの仕草が海音の胸を射抜く。痛いし、苦しいが、この感情に身を委ねるのも悪くないと思った。賢人の顔を見る時は、デスゲームのことを忘れられる。
「あれ、美味しくなかったかな?」
「そんなこと言ってないでしょ。普通に美味しいわよ」
海音は素っ気なく振る舞うが、それが1種の愛情であることには変わらなかった。優しい心で受け止めてしまえば、自分が壊れそうに思われ、素の自分を出す勇気はなかった。
それに海音は気づいていた。賢人に映る者は伊吹であり、彼女を本気で守りたいことを。
だからと言って、ペアになりたかったわけでないし、伊吹に嫉妬している訳でもない。ただ、タラレバを考えると、楽だった。「もしも〜ならば」なんていう文脈が魔法のおまじないになる日が来るなんて思わなかった。
表の世の中で恋をしようが、デスゲームという裏の世の中で恋をしようが、愛は時に邪道となる。それでも人を愛することに意味を持てたのなら、それが本当の感情なのかもしれない。
その愛情にいち早く気づき、前に進むことができたのなら……全員がデスゲームから脱出できるのかもしれない。いや、それは無理か。全員がそのような感情に陥れば、むしろ不秩序な世の中が生まれる。
人は時に、どの愛に進むべきか問われることがある。そこに正解があるのか否か。誰が気づき、誰が歩むのだろうか。
(私は本当に妹を愛していいのか。誰かにそれが正解だと言われたい。でも、そうしないと動けない自分が大嫌いだ。……消えてしまえば楽なのか。そうなんだろうけど、踏み出せない自分もいる。自家撞着の繰り返しだ)
(きっと、この先は二度と会えないのだから、もう忘れてしまいたい。早く違う人を見つけたい。きっとそれで楽になれるから。絶対に忘れてみせるから……神様どうか、私を生かして)
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