第10話 デスゲームの前夜
その後、すぐに伊吹が『017』号室へと戻ってきた。既に貴一と海音は去っていたが、3人の尋常ではない表情に何かがあったに違いないと悟った。
「何かあったのか」
「……対戦相手と会ったよ」
重苦しい雰囲気の中で口を開いたのは賢人だった。
「どんな奴だったんだ」
それからは3人が交代交代して説明した。主に賢人が説明したが、歯切れが悪くなる場面が多々あった。賢人は蒼葉のことは殺しても良いと思っている。しかし、海音と疾風は違う。反対だ。そのような葛藤に揺さぶられ、上手く言葉が出なかった。伊吹は説明の最中ずっと頷いていたが、なにかを思う節があるに違いない。特に伊吹と蒼葉の関係は極悪である。
一通りの説明が終わると、伊吹は一息ついた。情報量が多すぎるのと喜びのない奇跡に頭が追いつかない。
「そうか。蒼葉がいるんだな」
「実は蒼葉くんから伊吹さんのこと少し聞いちゃったから……ちょっと感情的になってたかもしれない」
賢人の説明に感情的な部分はなかったが、伊吹に気を使って説明していたのは事実だろう。
伊吹は既に賢人と蒼葉に交友関係があったことに頭を抱えた。
「じゃあ、賢人は聞いてるんだな、色々と」
「うん……」
その色々とは、伊吹が人殺しであることだ。伊吹の反応からして、人を殺したことがあるというのは本当なのだろう。
「どういう事だ」
何も情報を知らない楽希は顔を青ざめながらも問いかけた。
「楽希は知らないのか」
「あぁ、何も知らない」
賢人は蒼葉から直接聞いていたし、世界も伊吹と蒼葉の会話を盗み聞きしている。知らないのは楽希だけだった。
「もう賢人にも世界にもバレてるんだ。楽希にも教えるが、間違っても誰にも言うなよ」
「お、おう……」
楽希はこの状況以上に引くものはないだろうと伊吹のことを見つめた。聞く準備は整っている。
「私が……人殺しということだ」
伊吹は普段より1オクターブ下げて話した。伊吹の整った容貌がより一層空気を冷たくする。
楽希はと言うと、目の中に絶望がうつろい、現実を受け止めきれていない。自然と伊吹が返り血にあっている姿が思い浮かんだ。
「別に軽蔑してもらってもいい。ただ、次のゲームは協力だ。楽希自身が生きるためにも協力しよう。なにか物申すことがあるのなら、その次だ」
伊吹は手を差し伸べた。掴んでくれるか自信はない。楽希は焦点が合わないまま手を取った。取らないことで賢人や世界がどのような反応をするのか分からなくて怖かったからだ。
「賢人……はさ、伊吹が人殺しって聞いて、どう思ったんだ」
楽希はしどろもどろに尋ねた。伊吹は賢人の方を見つめる。世界は輪から外れており、物思いにふけながら中庭を眺めていた。
「僕は……」
(何を思ったのだろう。伊吹さんが人殺しと聞いて何を最初に浮かべた?)
賢人は考え込む。ただ、ここで答えを出せないのは、伊吹の人殺しを不当化しているようで嫌だった。
賢人は伊吹に目を合わせた。すぐに視線を逸らし、楽希と向かい合う。
「殺すこと全てが悪いことじゃないと思う。伊吹さんが訳もなく人を殺す人でないことはこの2週間で嫌と言うほど分かった。それは楽希くんも同じだよね。僕は伊吹さんの口から真実を聞くまで軽蔑なんてしないよ」
賢人は優しく微笑んだ。
「それにこれから僕たちは殺し合いをするんだよ。この殺し合いは義務だよね?殺りたくなくても殺らないといけないよね。……恐ろしいことだけど、殺しから逃げちゃだめだよ」
賢人は平坦のない声で楽希のことを捕らえた。その眼光は銀河を越えてゆく程の光を蓄えている。
楽希は傷心の気持ちに浸った。
(賢人は同じ『生きたい人間』でも俺と違って前に進んでる。それに……ペアのことを何よりも分かろうとしている)
楽希は窓際で佇んでいる世界を見つめた。不意に目が合ったが、視線を逸らした。世界は不思議そうに頭を傾けた。
視線を逸らす……楽希はまだ世界のことを受け止めきれていないのだと確信した。その瞬間、妙なことに泣けてきて『017』号室を飛び出した。
「あ、楽希くん……!」
賢人がそう叫んだが、既に部屋に楽希の姿はなかった。
「僕が余計なこと言ったから……」
「いや、少なくとも私は嬉しかった。そう信じてくれて」
伊吹は賢人の肩に手を置いた。
「僕、楽希くんの様子見に行くよ……!」
「賢人くん、ちょっと待って。僕が行く」
世界は賢人と伊吹の間をすり抜けて『017』号室を後にした。残った賢人と伊吹はその様子を見守ることしかできなかった。
(殺せない殺せない……どんな理由があっても俺は人を殺せない。きっと無理だ。俺はこのゲームに向いていない。世界が生きたいと思ってくれても、きっと今回のデスゲームが最後。せめて、世界は傷つかずに死んでほしい……)
楽希の全身に負の感情が巡る。途端に楽希は姿勢を崩した。誰もいないエントランスでただ1人。夜の21時ということもあって、不気味な雰囲気が流れる。
「楽希くん」
後ろの方から世界の声のようなものが聞こえる。楽希は即座に後ろを振り向くが、誰の姿もない。視線を左右に動かすが、世界の気配はなかった。それと同時に嫌な寒気がする。これが所謂霊というものなのかと不安になった。
すると、肩に謎の感触を感じるようになる。後ろを振り向くと、世界とは打って変わって長身の男が立っているのが見えた。楽希が屈んでいることもあり、長身の男の顔は見えない。
「なんで泣いてるの?」
楽希は立ち上がった。この時点で世界でないことは分かっていた。かれこれ2週間同棲しているのだから、世界の気配くらい察知できるようになっている。
「おめぇ、誰だ」
「今日会ったばかりだろ。……貴一だ」
そこには今日の昼に顔合わせした対戦相手が立っていた。世界の声真似をしていたようで、貴一であることにすぐ気づけなかった。まず、貴一が世界の真似をした意味も分からない。それになんで貴一は世界の真似ができるのだろうか。
「世界の真似をして何が楽しい」
「これも楽希くんのためなんだがな」
貴一は顎に手を当て、機械的に微笑んだ。瞳のハイライトは闇の中で、まるで生きる気を失ったかのように目を細めている。
「で、何しに来たんだよ。まだ殺し合いは始まっていないぞ」
楽希は目元を擦る。少し赤くなっているのを悟られたくないからだ。
「そこの自販機に用がある……と言いたいとこだが、普通に楽希くんと話したいからだ」
楽希の背もたれにある自販機を指したが、すぐに楽希と向き合った。と言っても、飲み物は欲しかったようで自販機にコインを入れ始める。楽希は少しだけ体をずらした。
「楽希くん、殺すのが怖いらしいが……」
「やめろ、いいんだそれで」
「1人だけ現実から逃げて惨めだな」
貴一の視線は滞りなく楽希に注がれた。太陽のように真っ直ぐとした性格を持つ楽希にとってそれはまさに月のようだった。きっと、楽希の太陽のような性格が少しでも歪んでいたら、月のように冷酷な貴一の視線は輝かない。楽希は尚更追い詰められた。
「……っ何が言いたいんだ」
「俺は優しいからな、お前に殺意を湧かせてやろう」
凍りつくくらいの冷笑が、楽希の鼓動を奏でる。
「これ、見ろ」
貴一が見せてきたのは写真フォルダだった。楽希はその左上にあるフォルダを開けるように指示される。そこには小学校高学年から中学生くらいの男の子が暴力を振るわれている写真が並べられていた。顔が大きく腫れていて誰だかは分からない。そして、スクロールして遡るとその男の子が血を浴びて立っていた。それはその男の子本人の血ではなく、返り血だろう。男の子の皮膚からは一切血が出ていなかった。
「なんだよこれ……グロすぎる」
「そうだな、確かに今見てもグロい。まぁ、殺されていないだけマシだろ……しかし、いじめた側もこれは正当防衛に過ぎないな」
「どこがだよ。ただ一方的にそいつが暴力振るわれてるだろ」
「どうだろうな?この男の子が特殊な能力を持ってたらどうだ?怖いよな、怖すぎるよな」
「何言ってんだ」
「聞き覚えないのか?もしかして、教えてもらってないのか?」
(聞き覚え……?)
"僕ね、霊感があるんだ"
"霊視を持ってるのはごく1部だけだよ"
"僕はこんな才能、いらなかった"
(このフォルダに映ってるのは……世界?)
もう一度フォルダに入っている写真を見たが、やはり顔が腫れていて世界とは認識できない。しかし、この仕掛けようだ。楽希に関係のある人に違いない。
「さすがにもう気づいたようだな」
「なんでこんなことしたんだよ」
「霊視を持っている奴……世界くんの周りの人間が次第に死ぬようになっていったからだ。近くにいたら困るからな」
「……」
「まぁ、さすがに可哀想だがな。殺したいわけじゃないのに人を殺してしまうのは。ほら、最後の写真を見ろ。立ち尽くしているようだが、これは世界くんの霊視で友達を殺したんだ、なんて無慈悲なことか」
楽希はただ黙ることしかできなかった。
「俺は優しいからな。世界くんことをいじめることで、世界くんに存在意義を与えたんだ」
終始何を言っているか意味が分からなかった。その感謝しろと言う視線に目を凝らす。
「おめぇが世界のことを……」
「世界のことをどうした」
「死にたいって思わせたんだな……!」
楽希は怒りで顔が火のように火照った。貴一は驚いた後にすぐ微笑んだ。そういう所が凄く蒼葉に似ている。
「殺意……湧いてきたか?」
余裕の声色で楽希のことを見下す。身長差は約15cm差。精神面でもそうだが、身体面でも余裕なのだろう。
「殺意がどうとかじゃねぇ。俺は、世界のことを傷つけたおめぇを許さねぇって言ってるんだよ!」
楽希の中で膨れ上がっていた感情が爆発した。情に厚い人物こそ、歯止めが効かなくなるとはまさにこのことである。
「許す許さない?大概にしろ。そんな言葉だけで生きていける世の中じゃない」
「……」
「覚悟があるなら、死ぬ気で殺しに来い」
貴一はそう言い捨てた。この会場には自分のエゴだけを押し付けて、相手を苦しめる人間が多い。それも各々の過去に重点を置いて生活しているからだろうが、時に人の地雷を踏む。特に優しい人の地雷を踏むのは凄く痛い。
「はいはい。そこまでにしてよ」
エントランスの角から出てきたのは本物の世界だった。手を叩きながら楽希と貴一に近づいてくる。
「貴一くん。部屋で会った時から、君が僕を虐めていた人だと気づいていたよ。周りに余計な心配かけたくなかったからね」
「だろうな。何となく分かっていた」
「更生したのかと思ったけど、そうでもないんだね。それに僕の過去を使って楽希くんのこと脅さないでくれる?大切な人なんだ。殺意だとか憎悪とかで彼の手を汚したくない」
「いじめられっ子がいじめっ子に説教?なかなかな度胸してるな」
世界と貴一は同等の立場で言い争いを繰り広げていた。楽希はその様子を呆然として見る他なかった。
「貴一くん、喧嘩はやめよ。明日から生死をかけるんだから」
「別に暴力を振るうつもりはない」
「それは体のだよね?言葉のことを言ってるんだよ」
貴一はそんな世界を目の前にして幼少期の世界の姿が重なった。10年前も世界はそんなことを言っていたようだ。
「どうでもいいが、まずはお前を殺す。それだけは覚悟しとけ」
貴一は世界のことを指で指した。世界は何とも思っていないようだが、横にいる楽希は血が通ってないのかと疑うほどに真っ青だった。
貴一は自販機で買ったであろう水を片手にその場を離れた。長い足が生々しく動くのが凄く不快に映る。2人にとって貴一は……天敵だ。
貴一が去って一瞬静まり返った。よくよく考えれば楽希は『017』号室を身勝手に飛び出してきたのだから。世界と楽希の間には険悪なムードが流れても仕方がない。
「なぁ、世界」
そんな中、口を開けたのは楽希だった。普段のことを考えれば、とても珍しい。
「俺、世界のこと守るから」
想定していた険悪なムードとは比べ物にならない邪悪な雰囲気が2人を包む。楽希の声は震え上がっていて、拳がわなわなと揺れていた。世界はその拳を優しく包んだ。
「楽希くん、ありがとう。でも、貴一くんのこと真に受けないでね。僕、もう何とも思ってないから」
「でも……」
「今の僕の幸せは、楽希くんといることなんだ」
世界は優しく微笑んだ。楽希は一瞬、頬を緩ますが、そんな中でもまだ『死にたい』と思い込んでいる世界を見ると悲しくなる。要因が貴一だけかは分からないが、彼のことを酷く恨んだ。
「じゃあ、絶対に勝とうな、この勝負」
「そうそう!楽希くんその調子だよ!」
デスゲーム前夜とは思えない穏やかな空気。
心配して駆けつけ、後ろの方から見守っていた賢人と伊吹も微笑んでいるようだった。そして、2人とも貴一の惨めさや世界の過去を盗み聞きしていたようで、より一層ゲームに真剣に挑もうと思った。
4人の気持ちは1つになったに違いない。
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