第7話 大切な人の過ち
賢人は廊下に出ると、エレベーターの方に向かって歩き始めた。等間隔に置かれている観葉植物が今は供花に見える。築何年か分からないホテルの壁は剥がれ始めているようで、生命感のなさを感じざるを得なかった。壁に爪をたてれば、コンクリートの欠片のようなものがポロリと落ちた。まさに参加者の心を表しているようでやるせない気持ちになる。
(このまま参加者全員落ちていくのかな。世界くんも楽希くんも伊吹さんも……)
落ちたコンクリートの欠片を握り潰すと前を向いて歩き始めた。
賢人は初日ぶりにエントランスに来た。まだ数日しか経っていないが、そのエントランスに懐かしさを覚える。2人用のソファに腰をかけると、そこから中庭の風景が見えた。特に何もなく、雑草が身勝手に生えているだけだった。
(普通に生きていた時は、緑にこんなにも優しさがあるなんて思いもしなかった。僕はどれだけの不幸に背を向けて生きてきたのだろうか)
賢人が物思いにふけていると、隣に男の人が座ってきた。一瞬楽希のようにも見えたが、そんなことはなかった。賢人の知らない人物である。
「隣、お邪魔していいかな」
「あ、どうぞ」
金髪の男が笑顔を振りまいて賢人の方を見つめている。さすがに賢人も恥ずかしくなったようで目線を逸らした。
「あ、あの、なんですか」
未だに賢人の方を見つめたまま、その男は膝に頬杖をついた。
「君、伊吹ちゃんのペアの子?」
(罠か何か?伊吹さんなら、どうするんだろう)
「もしかして、怪しんでる?やめてよ、このゲームで怪しまないといけないのはペアだけだよ」
そう言えば、そうである。賢人はオリエンテーションの時のことを思い出した。
"疑わなければならないのは、ペアである。"
その時は混乱で頭の中に入っていなかったが、言われてみればそうだった気もする。賢人はオリエンテーションの時の言葉を少しずつ思い出したようだ。
「そう言えば、そうですね。確かに疑わないといけないのはペアだけ」
「うん、だよね。だから、教えてくれてもいいかな?」
「いいですけど、それは僕にとってプラスになるんですか?」
「……あぁ、もちろんだよ」
少しの間が気になったが、伊吹のことを聞けるのであれば、どちらかと言うとこちらがプラスである。
「まぁ、普通にペアですけど」
「そうだよね。反応からして何となく分かったよ」
「伊吹さんの知り合いなんですか?」
「一方的に俺が知ってるだけだけどね。門真 蒼葉って言います。仲良くして」
「橘 賢人です。よろしくお願いします」
「ここではなんだし、人の少ないところに行こう」
辺りを見渡せば、多いとは言わないが、チラホラと人が見えた。ここで気分転換をする者も多いようだ。
蒼葉がどこに向かっているのかは分からないが、賢人はそれについていった。エントランスを抜けると、既にそこは知らないところだった。それもあってか、人もいない。一種の穴場のようだ。
「ここで話そう」
その人気のない場所にも2人がけのソファがあって、2人してそこに腰掛けた。
「伊吹ちゃんのペアか〜。大変そうだね」
蒼葉の口角には微笑が浮かんだ。相変わらず頬杖をついて、賢人のことを見つめている。
「そんなに大変じゃないですよ。伊吹さん優しいし」
「本当にそうかな?」
蒼葉は意味ありげに笑う。蒼葉は先程からずっと笑っている。笑いの種類が変われど、表情の変化は乏しい。賢人はそれに凄く恐れた。また、疑問形で交わされる会話にも違和感がある。
「本当にって……優しくないんですか?」
「ズバリと聞くね。賢人くん、メンタル強い系?」
「伊吹さんにはよく言われます」
「あはは、そうだよね。なんか凄く健気だもん」
蒼葉は遠くの方を見上げながらまた笑った。
「昔の俺を見てるみたいで嫌だよ」
「……」
賢人はどのような感情を持ち合わせて、この場にいれば良いのか分からなくなった。蒼葉は「プラスになる」と言ったが、それは嘘のようだ。先程から「伊吹は優しくない」だとか「賢人の人間性に不信感を抱いている」だとかそういうものと同意義な発言ばかりだ。
「あの、やっぱり伊吹さんのこと嫌いなんですか?さっきから全然伊吹さんのこと教えてくれないし、伊吹さんのこと人として否定してるでしょ」
賢人は蒼葉の態度に激昂した。今までの賢人では考えられないほどの激しい怒りや興奮が伴っている。言い終えたあとは、感情の落差が激しいからか、ほとんど冷酷そのもののような顔つきになり、まじまじと蒼葉のことを見つめていた。
「別に伊吹ちゃんのことについて教えるなんて一言も言ってないけどね」
蒼葉は全くと言っていいほど動揺していなかった。むしろ、その賢人の表情を楽しんでいるようで愚弄していた。わざと声を出して笑っている。
「でも、いいよ。本当に知りたいなら、1つだけ教えてあげるよ」
蒼葉はにっこりと笑った。
「伊吹ちゃん、人殺してるよ」
蒼葉の血が通っていないような表情は人間味がなかった。威厳と落ち着きを加えた声も伴ってそれが本当であることを知らしめる。あまりにも残酷だった。
「それも、何人も」
蒼葉は指で「3」という数字を示した。もれなく、3人殺したという合図だろう。その合図の後、蒼葉はソファから立ち、その場を去ろうとした。
賢人はその事実に目の前が真っ白になるが、何とか堪えた。それと同時に蒼葉の背中をキツく睨み上げた。
「伊吹さんから聞くまでは信じないから!」
腹の底から引き絞るような勢いで声を上げた。それは蒼葉のことを恨んでいるからか、伊吹を受け止める度量を自分が兼ね備えているのか不安でならないからなのかは分からない。しかし、ただ声を大きくして言ってやりたかったのだ。
しかし、そんな感情も虚しく、蒼葉はただ背中を向けながら軽く手を振るだけだった。
(伊吹さんが人を殺す……僕はそれを受け止めることができるのだろうか)
"私がどんなに悪であろうが、受け止めてくれるんだろうな。"
蘇ってきたのは、伊吹のそんな言葉だった。聞いた時から、その『悪』が相当なものなのだろうとは分かっていた。伊吹は簡単に冗談を言う性格ではないからだ。
"うん、当たり前だよ。"
次に蘇ってきたのは、賢人のそんな言葉だった。伊吹の事情を知らずに、彼女を安心させるための言葉だった。ペアとして守りたいと思った。しかし、このゲームではそれが正義ではない。むしろ、逆である。疑わなければならないのはペアただ1人。賢人はそんなデスゲームについて改めて不信感を抱く。
(僕の伊吹さんへの気持ち。これは正解か否か。いつしか、この気持ちを捨てて伊吹さんと……)
賢人は気持ち1つ簡単に捨てられる器用な性格ではない。そのような性格が今までの賢人を作ってきたのだが、このデスゲーム上では枷になるに違いない。
案外、人間関係を築くより、それを打ち壊すことの方が難しいのかもしれない。
コンコン
賢人は『017』号室前に立ち、ノックした。そろそろ世界と楽希も起きているだろうと思ってだ。
「世界くんと楽希くん起きてる?」
扉越しから聞こえそうな声で叫んだ。蒼葉からの話を聞いて伊吹以外の誰かに会いたい気持ちが募っていた。
ガチャリ
「お、賢人か。……世界はまだ寝てるぞ」
頭を掻きながら出てきたのは少し寝癖のついた楽希だった。まだ半分夢の中のようで、先程起きたばかりなのだろう。
「また伊吹に追い出されたのか」
「うん、まぁ、そんな感じ。楽希くん暇なら僕と話そうよ」
「暇ってわけじゃねぇけど、世界も寝てるし他の場所なら」
「僕もそのつもりだよ」
賢人は乾いた笑顔で頷く。さすがに楽希もそんな賢人に対しておかしいと思ったようで首を傾げた。
「何かあったのか。……あ、そう言えば、食堂の前で抱え込んでた子って」
賢人は既に結と綾羽のことを忘れていた。それよりも今は伊吹が人を殺したのか否かを知りたい。このような重い相談をできるのは、世界と楽希に限っていた。もちろん、伊吹本人に直球で聞く度胸は持ち合わせていない。
「それは今夜のメールを見たら分かると思うよ」
「じゃあ、死んだんだな」
「それより僕はあることを聞いちゃって、心配になったから楽希くんか世界くんに相談したいなって」
「そういうことか。全然構わないけど、どこ行く?」
「食堂とか明るいところ行きたい」
「この会場に明るいところなんてねぇけど、まぁ敢えて言うならそこか」
2人はその流れで食堂へと向かった。エレベーターに乗ったが、沈黙が続いた。元から2人とも何かを進んで話すタイプでは無いが、今回はそれともは別だ。賢人も楽希も何かについて考え込んでいる。
(伊吹さんの悪をどうやって受け止めればいいのか……)
(世界の愛をどうやって受け止めればいいのか……)
2人揃って壁にぶち当たっていた。それを乗り越えることで、何が見えるのかも分からないまま……。
食堂は相変わらず賑わっていた。席数が多いわけではないが、それなりに埋まっている。賢人と楽希は端の方にあるカウンター席に並んで座った。どちらも食べる気はないようで、手ぶらで腰掛けた。
「賢人、何かやつれてないか」
「そうかな?でも、楽希くんも少し元気なさそうだよ」
2人揃ってトランプで遊んでいた頃が懐かしいくらいだった。まだ数日前だと言うのに。
「俺の場合、眠いのもあるからな。でも、賢人は違うんだろ。食堂の前の少女の死でも見たからか」
「……」
「……それは違うみたいだな」
賢人は楽希の問いかけにびくりともしなかった。それを見て察したのか、楽希もすぐに否定する。
「もっと大きなことか?」
「……食堂の少女、結ちゃんって言うんだよ」
「あ、そうなんだ。結ちゃんね」
「そうそう。その子の死を見てからも少し気持ちがおかしいんだ。楽希くんは人の死、見たことある?」
「俺は無いよ。今まで至って平穏な日々を暮らしてたから。今となっては嘘みたいだけどな」
楽希は大きく体を伸ばした。唸り声をあげる。
「そうだよね。僕、びっくりしちゃった。人の最期ってあんな感じなんだなって。今回は自殺だったからギリギリ受け入れることができたけど、もしそれが人為的なものならと考えると凄く怖い」
「俺も見たことないけど、絶対に怖い」
「楽希くんはさ、もしも世界くんが人を殺してたらどう思う?」
急な話題転換に楽希は内心驚くが、すぐにその意味を理解した。このデスゲームに参加してからと言うものの、人の感情に気づきやすくなる。それに楽希は元から情に厚い人物だったため、余計にだ。
「それは……伊吹が人殺しだったという解釈でいいのか」
楽希は低い声の落ち着いた調子で尋ねた。そこには哀れみの気持ちや無惨なものは感じない。ただ友人の相談に乗った時と同じ調子だ。
「楽希くんは凄いね。本当に凄いよ」
「……っ合ってるのかよ」
楽希は激しく頭をかいた。軽く愚痴を吐いているようだった。早々に察したとは言え、それが事実に変わる瞬間はひと味違う。
「伊吹本人から聞いたのかよ」
「ううん。参加者の中に伊吹さんの知り合いがいるみたいで、その人から」
「それ、本当なのかよ」
「僕も最初は伊吹さんから聞くまで信じないって考えてたんだけど、今までの会話思い出すと何となくそうなのかな〜って思ったり」
「と言うと?」
「今日の話なんだけどね。伊吹さんがどんなに悪であろうと受け止めてって言ったんだ。多分、きっとその悪こそが……そういうことなんだよ」
諦めたような眼差しで楽希のことを見つめた。楽希はただただ賢人を見つめるだけだったが、その中に同情のような何かを感じる。
「賢人はそれ、受け止められるのか」
「分かんないよ。なんで伊吹さんがそんなことしたのかも分かんないし、それに意味があるなら殺害全般否定できないよ」
「そうだよな。俺たちが生きてきた世の中はあまりにも平和すぎた」
「……うん」
お通夜のような雰囲気が2人を取り巻く。沈黙が気まずいとかではなく、そうせざるを得ない状況が続いていた。
静まり返った空気の中には、普段気にも留めない周りの会話がよく聞こえてくる。デスゲームが何日も続くと、自然と慣れていくようで悲惨な会話は聞こえない。雑談している人の方が多かった。というのも、ピリピリしているペアは自室で殺し合いをしているに違いないからだ。ルール上、自室で殺し合いをしなければならない訳ではないが、自室という狭い空間の方が殺りやすいのだろう。
「はぁ、意味分かんないわよ」
「海音〜!怒ってますよ、あの人〜」
「アンタがちゃんとしないからでしょ!?私に矢が向かったらどうすんのよ」
「お願いだから一緒に怒られて〜」
「絶対に嫌!」
会話が進むにつれて、声が大きくなる。それは話し合いがヒートアップしたからという要因だけではなく、彼らが賢人と楽希に近づいてきているからだろう。
その会話に2人は目を合わせて苦笑した。賢人にとっては初日の世界と楽希の会話を思い出させる。少し似ていた。
ガタンッ
「痛ってぇ!」
「ちょ、なにしてんの!」
ちょうど賢人と楽希の後ろで音が鳴ったようで、振り向くとそこにはジュースが辺り一面に広がっていた。もれなく、会話していた男の方がこぼしたのだろう。
ちょうど後ろでこぼされたこともあって、賢人と楽希は手伝わざるを得なかった。2人して机の上に置かれているティッシュを取って拭き始める。
「本っ当にごめんなさいっ!俺、よくこぼすんですよ〜」
「全然大丈夫だよ。それより、君たちは汚れてない?」
「俺は平気っす!」
「私も大丈夫よ。ていうか、君の連れがビシャビシャよ」
賢人が横を見ると、ビシャビシャになりながら床を拭いている楽希の姿があった。
「うわぁぁ!すみません!本っ当に!」
「あ、あぁ、平気だ。お前、名前は?」
「ひぃぃ!も、、元ヤンとかですかっ!?」
楽希の見た目はヤンキーそのものである。賢人も第一印象は怖かった。
「いや、怒ってるわけじゃねぇ。ただこの会場内ではこういう時にしか自己紹介とか出来ねぇから」
「あ、あぁ〜、なるほど!俺の名前は
「そうか。俺の名前は桐ヶ谷 楽希だ。よろしくな」
「僕は橘 賢人。僕とも仲良くしてくれたら嬉しいな」
「もちろんです!」
「これ、私も紹介しないといけない流れよね……。はぁ、
「海音はさ、もっと明るく行こうよ!」
「行けるかボケ!」
疾風と海音は夫婦漫才を繰り広げた。こちらも数日前に初対面とは思えないような素振りをしている。
「疾風くんと海音さんはペアなの?」
「ま、まぁ、そんな感じね」
「あまり満足してないの?」
「いや、まぁ、だってねぇ。中々変でしょ、あいつ」
「元気な感じはするな」
「それ、フォローになってないっすよ!」
「敬語じゃなくていいぞ。同い年くらいだろ」
「高2です!あ、でも、敬語は癖なんで直せないです笑」
「そうか。俺も賢人も高2だ。短い間だとは思うが、仲良くしよう」
楽希は疾風の手を取った。疾風は楽希を見つめては目をキラキラ輝かせていた。相当憧れてしまったのだろう。
「じゃあ、私たちはここで失礼するから」
「うん、海音さんも疾風くんもありがとう」
「こちらこそありがとうございます!」
疾風は深々とお礼した。海音はそんな疾風に舌打ちしながら、体を引っ張った。疾風は海音に従順なようで、すぐに姿勢を質して海音についていく。楽希にとってそれは今となっては懐かしい学校生活の一部分に見えた。
「なんか、疾風くんの方は楽希くんのこと凄く気に入ってるみたいだね」
「そうなのか」
「うん。凄くキラキラしてたよ。それに海音さんも生命力ギシギシ伝わってきて強そうな女性!って感じだし」
「じゃあ、どちらが死にたいんだろうな」
楽希のその一言で雰囲気が少し凍った。賢人はまた忘れていたのだ。ここがデスゲームの会場であることを。
(あんなにどちらも元気なのに。そっか、どちらかは死にたいんだね)
「なんか、2人よりも僕たちの方が死にたいみたいだね」
「まぁ、世界や伊吹といるとな。感情移入することもある」
誰かに寄り添える力は善の行いだが、時に悪である。その行いが裏目に出てしまえば、自分自身が変わり果ててしまうからだ。前まで生きたいと思ったいた人が、簡単に死にたいと思ってしまう方法でもある。それは心が透き通り、まるで霊も寄せ付けないような人が陥りやすいもの。結もそのような節があったのだろう。しかし、もっと苦しめられて考え込む人は『死ぬ』という判断に至るまでも長い。その分苦しみ嘆く。案外、こういう時は死ぬほうが早いものである。
(……世界の『死にたい』は俺が消し去ることのできる感情なのだろうか。いっそうのこと俺が変わってしまえば……)
楽希は俯いた。その時、楽希の持っているスマホに通知音が鳴った。
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