第6話 生死の答え


「私、本当に綾羽くんのこと大好きだよ」


僕にとっての光は確かに彼女しかいなかった。暗闇の中で蹲っている僕に手を差し伸べてくれたのは君だけだったと思う。疎遠になっていた時期もあったに違いないが、彼女の存在だけが僕の生き甲斐……とまでは言わないが、そういうものに近しい。家族が死んでからと言うものの、世界が一気に色褪せて僕に居場所を与えなかった。例え、そんな彼女がいたとしても『生きたい』だなんて発することができなかった。一緒に死ねるのなら、なんなりと死んでいたが、彼女がこれからも生きていたいと思っていることなんて分かりきったことだ。

デスゲームに招待されて、僕は『生きたい』と思いたい……そんな感情に陥った。無理矢理そう思うなんて無理で、所詮、表づらの気持ちだが、僕がそう思わない限り、彼女が生きていく 術はなかった。

しかし、彼女がナイフを取り出し、僕に笑顔を向けた時……2人で死ぬ幸せが見えた。何となく、天国に連れて行ってくれそうな女神のようにも見えた。


僕は家族に会えて、彼女と永遠の眠りにつく。彼女が許してくれるなら、この上ない幸せだ。





「結ちゃん、それは本当に君の幸せ?」


結が放った「自殺しよう」という言葉。綾羽にとってはこの上ない幸せに違いない。しかし、綾羽自身、結が無理をしているのではないかと疑わざるを得なかった。彼女の指が震えていたからだ。


「私の幸せ……だよ。きっと、自殺なら綾羽くんのこと傷つけない」

「そういうことじゃなくて、結ちゃんが傷つくか傷つかないかの話だよ」


綾羽は珍しく真剣な口調でつらつらと話した。その姿に結も驚いているようで、口をぽっかりと開けている。


「本当に……結ちゃんが幸せになれる?僕は幸せになれると思うけど、結ちゃんはどうなの?」


綾羽は繰り返し質問した。『死にたい』と思っていても、常識的な心は持ち合わせており、自分のせいで誰かが死ぬなどおかしいことだと分かっている。それが相手の幸せも伴っていると言うのならば、別だが。

結はスカートを握り締めた。感情を抑えようとしているようだった。しかし、綾羽の優しい顔を見ると、今までのことが全て蘇る。綾羽の家族が亡くなった時に寄り添えなかったこと、学校で1人の綾羽に声をかけられなかったこと、綾羽の『死にたい』という言葉を心から受け止めようとしなかったこと……全て自分が悪いのだと結は思っていた。きっと自分が変わっていれば、綾羽をどこかで更生させることができたかもしれない。しかし、今そんなことを考えても遅かった。

ただ、好きという感情だけが残り、後悔が積もる。どうしても、死にたい彼でも好きだった。

そのような感情が結の全身に巡り、とうとう涙とか嗚咽とかそういうもの全てが顕となった。


「それでも、それでも……!綾羽くんが好きだから!どんな綾羽くんでも好きなの!……死ぬことは怖いけど、私はずっと信じてるから、綾羽くんの幸せが私の幸せだって!」


乱れている結を前にして、綾羽は初めて心から微笑むことができるような気がした。今まで培ってきた汚物が全身から抜け出していくようだった。


「ありがとう……ありがとう……」


綾羽は結のことを抱きしめた。昔から仲良かったが、こんなにも暖かいハグは初めてだ。


「結ちゃん、一緒に死のう」





『017』号室にノック音がなった。玄関の前には伊吹と世界の姿があった。


「おかえり。遅かったけど、大丈夫?」


賢人が出迎えると、伊吹と伊吹に寄り添う世界の姿があった。見るからに世界の様子が変だった。


「まぁ、見ての通り世界が変だ」

「……ホントだね。いつもだったら『変じゃないし!』って言い返してくるもんね」


楽希は御手洗で用を足していたようで、水が流れる音とともに扉から出てきた。手も洗っていないようで、異常にスピード感があった。さすがにズボンは履いている。しかし、瞳孔が揺れていて落ち着きのなさが伺える。


「世界が変ってどういうことだ……!」

「泣いてるんじゃねぇの」


伊吹が適当にあしらう。しかし、それを真に受けたようで、楽希は勢いよく世界に抱きついた。世界は伊吹に身を委ねていたため、無理矢理剥がされる形となった。


「楽希くん痛いよ、僕もう泣いてないし」


いつもの元気はなく、かと言って闇が全面的に出ているわけでもない。楽希にとって、初めての世界だった。


「世界、何があったんだ。話して」

「……」

「お願い、頼む。俺は、世界には笑っていてほしい」

「それはさ……僕が死ぬ気になったら楽希くんも死んじゃうから?」


世界は力なく笑った。そんな冗談を本気にしたつもりもない。しかし、楽希は頭を悩ませた。これは自分のエゴなのかもしれないと。


(俺は世界が変だと聞いて、一番最初に何を思ったのだろうか。楽希という友人の心配?、賢人や伊吹と言った支え合う友人の気遣い?……それとも、俺自身の死?)


「楽希くん、本気にしなくていいよ。僕は分かってるから」


世界はあえて"分かってる"の主語を言わなかった。楽希の思っていることを言葉にするのはあまりに悲惨な事だったからだ。

その後、楽希はただただ世界を抱きしめるだけで言葉を発さなかった。ある程度世界もその思いを受け止めていただろう。


(楽希くんはさ、良い子すぎるんだよ。だって、君の後ろにはなーんにも見えないんだもん)




ピコン


伊吹のスマホにメールの通知が来た。世界と楽希は疲れ果てたのか眠ってしまった。現に世界のベッドで2人して寝ている。


"伊吹ちゃん、ありがとう。大好きだよ"


結からの連絡だった。伊吹自身、参加者でメールのやり取りをするのは結だけだったため、通知音がなったのと同時に「結に何かがあったのではないか」と危惧した。しかし、優しい言葉ばかりが並んでいた。どこを切り取っても悪など全くなかった。

しかし、少し前のことを思い出す。結は自殺を試みると伊吹に告げていた。それと同時にこの言葉はの別れのメッセージなのではないかと考えた。


"いつか、また会いたいな"


もう一度通知音がなった時、それが確信へと変わった。いつかだなんていったい、いつなんだ。伊吹は複数の思考を巡らした後、賢人を連れて『017』号室を飛び出した。世界と楽希は未だに夢の中だ。


「伊吹さん……!なんで僕も……」

「知り合い1人……いや、2人か。死んでるって言うのに、1人で行かす気か」

「ち、違うけど!僕全然慣れてないから力になれないよ……!」

「私も久しぶりなんだ」


賢人は目をまん丸にして伊吹のことを見つめた。目の前にいる人は、人が殺されたところを見たことがあると同意義なことを呟いている。


「伊吹さんは見たことあるっていうの!?」

「あぁ、そうだ。うるせぇな」

「さすがにそれは気になるよ……!」


賢人もここ数日で変わった。伊吹に意見を言えるようになったし、人の死の身近さにも慣れた。そして、伊吹も賢人のことを信頼し始めている。赤の他人にマイナスな1面を見せることはできない。今の伊吹にとっては『人が殺されたところを見たことがある』は十分にマイナスである。きっと誰もそんな人とは仲良くしたくない。けれど、賢人は違うということを分かっていた。賢人はそういういざこざで差別するような人ではない。むしろ、それが何故起こってしまったのか一緒に考えるタイプだ。


「私はお前のことを信頼している。私がどんなに悪であろうが、受け止めてくれるんだろうな」

「うん、当たり前だよ。ただ1つだけ約束してよ」

「なんだ」

「……絶対に1人で死のうなんて考えないでね」


賢人は冷笑する。猛獣がいつも隠している八重歯を見せるような謎の恐ろしさが伴っていた。


「……このゲーム上、私は自殺できないぞ」


そんな賢人の姿を目の当たりにして、淡々と話すことしか出来なかった。言い返すだとか、愚痴を吐くだとか、くだらないことは賢人の圧力が許さなかった。


「そういうことじゃないよ、伊吹さん」

「……」

「僕は1人で抱え込まないでって言ってるんだよ」


賢人は憎悪の気持ちが『死』に繋がると分かっていた。その憎悪はきっと、1人では拭いきれない。誰かと分け合っていつしか粉となって消えていく。伊吹は強いが、周りを見る力はない。助けようと手を差し伸べてくれる人の手にも気づかない。賢人はそんな伊吹を1人にしたくなかった。せめて自分が分け合える人物になりたかった。





『013』号室の前に着いたが、どこか大きな変化があるというわけではなかった。ノブに手を回すと、鍵は空いているようでがちゃりと扉が開く音がした。扉が開いて、一直線上には特に何もなく、「進め」と言わんばかりの光景が広がっていた。賢人と伊吹の部屋のようにバスローブやタオルが散らかっているわけでもない。過言かもしれないが、初めてホテルの部屋に着いた時のような高鳴りさえ感じた。もちろん、高鳴りは一瞬にして消え去る。知人の自殺の可能性が浮かび上がってくるからだ。賢人にとって結は食堂の前で泣いていた人に過ぎないが、伊吹の知人という見方に変えれば、大きく変わってくる。人としての優先度が跳ね上がる。


「伊吹さん、絶対に誰もいないよ」


ドアが開く音がして玄関に姿を表さない時点で察していた。きっと、もういないと。ただそういう受け入れ難い事実は目で確かめなければ納得できない。分かっていても、見なければと足が動く。そんな伊吹の背中を見ながら、賢人は恐る恐る踏み入れた。賢人と伊吹は身長が10cm差とはいえ、伊吹の後ろに忍び込んでしまえば前は見えなかった。その分、伊吹に光景を見るという責任がのしかかる。


「伊吹さん、どうなの……どうなってるの」


賢人の声が大きく震え上がる。伊吹の服の袖を握りしめるが、不安は拭いきれない。賢人はずっと目をつぶったままだ。


ガタンっ


「え、何……!?」


賢人はその音に震えた。その声色からは少しの怒りも混じっていた。

伊吹がスマホを落としたようだった。その手のひらは汗で滲んでいた。


「死んでる……」


伊吹は一言呟いた。そこから恐れや不安は感じられず、ただ目の前で繰り広げられている状況を読み取るのに必死な様だった。

伊吹に映る赤い液体はトラウマ級。無機的な物体がみだらな姿で放置されているようだった。このまま誰も見つけなければ、腐敗していくような危機を感じた。

賢人も恐る恐る前に進むが、瞳に少しの赤が映るだけで目線を逸らした。それが普通の人間である。しかし、伊吹はその光景をじっと見つめていた。

そこにあるのは、哀愁か懐古か。


「賢人、悪かった。もう帰ってくれていい」

「どうしたの……」

「私は忘れていた。人の死がどれだけ無慈悲なものなのか」

「……」

「すまないことをした」


謝る伊吹とそれを見つめる賢人。そして、ベッドの上に転がっている結と綾羽。

伊吹はそっと結の顔に手をやるが、すぐに離した。生命感の無さに項垂れてしまいそうだ。


(これが本当に結と綾羽の正しい死に方なのか。私が止める術はなかったのか)


伊吹は目を閉じて、祈りを捧げた。伊吹を見て、賢人も自然に目をつぶっていた。それは結と綾羽を葬るためか、ただただ現実から目を逸らしたいのか。しかし、目を瞑る行為はその現場にこの上なく相応しかった。




まもなくすると、運営側が死体を処理しに『013』号室にやってきた。システム上、賢人と伊吹が殺したという疑いはなかった。運営側でその辺のいざこざは監視されているのだろう。慣れた手つきで処理は終わり、最後に1枚手紙を渡された。忙しなく続く事態で気づけていなかったようだが、備え付けのテーブルに置かれていたらしい。手紙の真ん中には大きく『伊吹ちゃんへ』と書かれていた。もれなく、結からのだろう。



伊吹はその手紙を預かると、賢人を連れて『018』号室に戻った。同じ部屋の構造なのに平穏な日々を感じる。


「賢人」

「伊吹さん、どうしたの」

「今日は本当に悪いことをした。……申し訳ないが、1人にさせてくれないか」

「うん、そうだよね。僕はその辺をぶらぶらしておくよ。世界くんも楽希くんもまだ寝てると思うし」

「賢人はやっぱり、強いな」

「え、えぇ。そんなことないよ。さすがに今日はびっくりしたし」


それでも賢人は笑えていた。しかし、考えることは山ほどある。


(初めて人の「死」を見た。今までの思い出が繰り広げられている空間は息苦しかった。けれど、これが現実なのだと思うと、それはそれで目の当たりにしなければならない風景なのかもしれない。僕はそれより、伊吹さんの方だ。伊吹さんが人の「死」を目の当たりにして変わっていく方が怖い。これ以上伊吹さんが現実に苦しめられるのは見たくない……)


賢人は既に伊吹の虜となっていた。賢人自身が死んでしまうから、伊吹が変わってほしくないという訳ではない。これはもう、1人の人間として守りたいとかいう愛情の1種だ。

『死ぬ』ことが不幸で『生きる』ことが幸であれば簡単に謳歌できるこの世の中で、生死の葛藤が生まれる。案外、単純な世の中である。今の伊吹にとってどちらが幸せか。いや、将来の伊吹にとってどちらが幸せか。賢人はそろそろ考え始めなければならないと思った。もっと誰かに寄り添い、役に立つ。そのとは今の賢人にとって伊吹である。きっと、平和な道がある。生死に囚われない平和がある。賢人はそう願って、『018』号室を後にした。





伊吹はベッドに座り、足を組んだ。そして、その手紙を開く。最初の方は結の過去について書かれていて、きっとこれは伊吹に重点をおいた文章ではない。そう思い、軽く読んだ。

2段落目からはデスゲームに参加することになったことが書かれており、ここからはしっかり手紙の内容を読み込むようにした。



"その時、私は死のうと思った。できるだけ彼を傷つけずに。それは私が自殺するしかなかった。


しかし、少し躊躇うこともあった。それは友人ができたから。それは君のことだよ、伊吹ちゃん。こんなに残酷な世界でも少し笑えた気がした。楽しかった。1つ後悔があるとすれば、伊吹ちゃんのこと全然聞けなかったことかな。何時でもいいから教えてね。

あと、ありがとう。少しだけ自信を持てました。誰かのために死ぬことに。

伊吹ちゃんは生きてね。大好きだよ。"



結の過去やデスゲームの参加までについてよりかは短くまとめあげられていた。と言うよりかは短時間で書きたいことだけを書いたというような文章だった。


「生きて……か。矛盾してるじゃねぇか。説得力なしかよ」


伊吹が泣くことはなかったものの、声は震えていた。唇を噛み締めなければ、感情が表に出てしまいそうだ。



誰かのために死ぬ。そんな行為に至ることのできる少女は強かった。そして、そんな少女のために生きることを選び続けようとした少年もまた強かった。

死ぬことが正解だったかは分からない。きっと、誰にも分からない。しかし、それが正義である。生死に正解があるのであれば、誰もが片方により、不釣り合いな世の中が生まれる。ただそんな世の中では無いにしろ、誰もが強く思いを通していかなければならない。

その少女と少年はそので生死に答えを導き出した。尊いことである。


生死にまた新しい答えが芽吹いた。

これを受け止めて、どこに向かっていけば正解なのだろうか。




白神 結と玲瓏 綾羽

『生きたい人間』の自殺により、死亡。

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