一章 聖女の来訪とリルカの魔獣 ⑦
「エマ」
俯きがちに考え込むエマをカササギが呼んだ。やさしい声だ。
「君の探しものはまだ見つからなそうだよ」
「……ああ」
「わるいね。こんな知らせばかりで」
「リルカの件はすぐに調べてくれただろう? べつにいい。すぐに見つかるものじゃないと思うし」
カササギはエマに専用の鳩を預けていて、飛ばすと三回に一回くらいは応えてくれる。そのときエマが抱えている事件の情報を集めてくれるが、それはどちらかというと「ついで」だ。カササギはエマが三年前、頼んだ案件の定期報告にやってきているにすぎない。案外律義なたちなのだ。
三年前、退魔師として赴いた事件でエマはカササギを助けた。
仕事で赴いたので当然である。ただ、カササギはそれを「貸し」だと思ったらしく、エマに一回だけタダで仕事を請け負うと言ってきた。
はじめは断っていたが、あまりしつこいので、どうせできっこないと「人探し」を依頼した。十一年前、白亜離宮から消えた王女、リルだ。もちろん、リルがエマの双子の妹であることは言わず、ただ消息を絶った王女を探してほしいとだけ伝えた。
それから三年、カササギの情報収集力をもってしても、リルはまだ見つかっていない。そして、早々に仕事を投げると思ったカササギは、今も彼女を探してくれている。
……すこし、後悔している。できっこないと思うことをひとに頼むのではなかった。あの頃はエマも子どもで、今よりもさらに人間ができてなかったのだ。
「そう、不細工な顔をしなさんな。何か見つけたら、また来るよ」
にやりと笑い、カササギはテーブルに飾ってあった紙の花をエマの髪に挿した。なんだか気障な仕草だが、実際はしとやかな令嬢のすがたでやっているので、うるわしい友情を交わす女たちにしか見えない。
息をつき、エマはペンで金額を書きつけた小切手をカササギに渡した。今回の調査の報酬だ。はじめに頼んだ依頼以外は、タダというわけにはいかない。もちろん請求はオランディア聖庁にしている。エマは私費で調査を依頼できるほど、蓄えがあるわけじゃない。
「まいどあり。オランディア聖庁は羽振りがいいねえ」
小切手を受け取ると、カササギは席を立った。見れば、少し離れた場所に馬車を止めてある。
「おまえのなりきりは職人の域だな……」
呆れた顔をするエマに、
「ではエマ嬢。またのご利用をお待ちしています」
と野太い声で挨拶をして、カササギは優雅にカフェを立ち去った。
「姫さま、おかえり」
部屋に戻ると、クロエは窓辺で刺繍をしていた。
手先が器用な男だが、暇なときは読書をしているほうが多いのでめずらしい。ローブを脱ぎながら手元をのぞくと、レース織だった。エマは軽く頬をひきつらせる。
「いちおう訊くけど、何をやってるんだ?」
「姫さまがレースのショールがうつくしいご婦人とお茶会してたから、レースのショールが欲しいのかなあって思って」
「見てたのか」
「見てないよ。おいしそうなホットショコラだったね」
「見てたんじゃないか」
「だって、僕の小鳥を撒いて会うなんて、浮気じゃない?」
かぎ針を置いて立ち上がり、クロエはエマの着替えを手伝う。
エマが幼子だった頃から、クロエはこういった紳士的なふるまいを完璧に身に着けていた。千年の時を渡る中で誰かが教え込んだのか、あるいは自分で覚えたのかはわからない。
「カササギはただの情報屋だよ」
「でも姫さま、情報屋なんて腐るほどいるのに、あいつばかりを使うじゃない」
「それは彼が優秀だから」
「じゃあ、僕も優秀?」
「おまえは荷物持ち以下だ」
ひどーい、と唇を尖らせ、クロエはローブをハンガーにかけた。
陶製の洗面器に水を注ぐと、ぱちんと指を鳴らしてお湯に変える。またしょうもないところで魔術を使っている。
水温を整え、クロエは長椅子に腰掛けたエマの足元にかがんだ。差し出した足からブーツと靴下を脱がせて洗われる。凍えた指先に湯のほどよい温かさがしみる。エマの左足首には古い傷痕があって、それに無遠慮に触れられるのはこの魔物だけだ。
「こんなに貴女に尽くしているのに、僕は荷物持ち以下なのか……」
「代わりにだいたいおまえのすきにさせているだろう」
「ほんとうにすきなものはお預けくらってるけどね?」
棘を真綿でくるんだような声が足元でさざめく。
魔物であるこいつのすきなものとは、無論魂である。
「あたりまえだ」
エマが鼻で笑うと、「姫さまは性悪だなあ」とクロエはぼやいた。クロエの骨ばった大きな手がエマのちいさな足を湯の中でほぐす。長椅子の肘掛けに頬杖をつき、男のつむじのあたりを眺める。エマが出会った六歳の頃から、クロエの外見は一ミリも変わらない。クロエの長い足にしがみついていたエマは、身体だけはずいぶん大きくなってしまったけれど。
(あと十年か二十年経つと、わたしが年下の男を囲っているように見えるわけか)
周囲にますますいかがわしい目で見られそうで、エマは深く息をついた。
いやな想像に頭を使うのはやめて、今回の事件を整理する。
まずサラ=オーガストンを殺したのは、エラルド=スミスと仮定する。
カササギが言うには、エラルドは墓の埋葬品を掘り起こして金品を得ていたらしい。その現場を偶然、墓地の近くに住むサラが目撃するかして口封じのために殺された。
となると、魔獣の最初の犠牲者はエラルド=スミスということになる。
エラルドが街医者に手当を受けた傷が魔獣によるものだとすれば、サラを殺したあとに、運悪く魔獣に襲われたのだ。
……運悪く?
ひっかかりを覚えて、エマは目を上げる。
――ちがう。サラは魔獣を「家族同然」の存在だったと言っていた。
「クロエ」
腰を浮かせようとすると、外からノック音が響いた。
ブーツを履き直し、「どうぞ」と声をかける。ドアから顔を見せたのは、ヤドカリ亭のおかみさんだった。
「お休みのところ、すいません」
「何かありましたか?」
蒼褪めた顔色を見て、エマは眉をひそめる。いやな予感がした。
「シャロンが……」とつぶやき、おかみさんは一度呼吸を整えた。
「シャロンがまだ帰ってこないんです。最近物騒だし、あまり出歩かないでって何度も言って聞かせていたのに。あたし、あちこち探したんですけど、見つからなくて――」
「市警には連絡を入れましたか?」
「いえ、まだ……。あの、どうしましょう聖女さま。もしかしてあの子まで魔獣に襲われたんじゃ」
「落ち着いて。魔獣はおそらく夜にならなければ出ません。まだ猶予がある。――あなたはモリス警部に連絡を。それから、クロエ」
洗面器を片付けていた相棒をエマは呼びつけた。
「おまえなら《使い魔》の気配をたどれるだろう?」
「ああ、あれ撒いたんじゃなくて、姫さまがシャロンにつけかえていたの?」
クロエがエマにつけている銀の小鳥の使い魔は、昼にキッチンで会ったときにこっそりシャロンにつけかえておいた。サラはシャロンが「犬」の居場所を知っていると言っていたから、万一何か起きたときのために手を打っておいたのだ。まさかこんなに早く事態が動くとは思わなかったけれど。
「あの、おふたりは?」
「《黒の獣》を祓います」
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