一章 聖女の来訪とリルカの魔獣 ⑥
三
「姫さま、でかけるの? クロエは?」
昼過ぎ、エマがひとり出かけようとすると、ちょうどキッチンで何かを瓶に漬けていたシャロンが声をかけた。クロエの「姫さま」という呼び方がシャロンは気に入ったようだ。「エマでいい」と言っているのに、かたくなに姫さま呼びのほうを使う。
「あいつなら部屋でごろごろしてるよ。昼ごはんをねだったら出してやって」
「じゃあ、あとで持っていってみる。姫さまは?」
「わたしは外で適当に済ますから」
「それじゃ心配だよ……。こっちに来て」
手招きをされ、エマはシャロンが立つキッチン台にちかづく。
おかみさんは出かけているらしく、キッチンには今シャロンしかいない。
「へえ、ナッツを漬けていたのか?」
「うん。そのまま食べてもおいしいし、蜂蜜漬けにしてもおいしいんだよ。姫さまもどうぞ」
シャロンは瓶にスプーンを入れて、ナッツをすくう。よく見ると、蜂蜜だけでなくセージやミントといったハーブも一緒に漬けてある。一粒口に入れると、ナッツの香ばしさと蜂蜜の濃厚な甘さが絡み合い、ミントが微かな爽やかさを添えた。口に手をあててひそかに感動を嚙みしめる。
「おいしい?」
「……うん。すごく」
クロエ相手でなければ、エマも多少は素直になれる。
よかった、と微笑み、シャロンは別のナッツを詰めた袋をおやつ用にエマにくれた。ありがとう、とお礼を言って、キッチンに立つ小柄な背中に目を向ける。
「シャロン。ひとつ訊きたいことがあって」
「なあに?」
「サラが仲良くしていた犬のことなんだけど」
「えっ」
シャロンは持っていたスプーンを落としかけた。
目を眇めて、エマはゆっくり腕を組む。
「犬の居場所を探してるんだ。……ひとに頼まれて」
「そ、そうなんだ」
落ち着かないようすで視線をさまよわせ、シャロンは瓶の蓋を締める。
「たいへんなのね。わたしは知らないけど……」
シャロンがサラを慕っていたことを知っているぶん、せっかく立ち直ろうとしているこの子の傷に触れるのは気が引ける。だが、背に腹は代えられない。魔獣はまだ被害者を出しているのだ。
「はやく見つけないといけないんだ。心当たりはほんとうにないか?」
「……もし犬を見つけたら、姫さまはどうするの?」
「保護するよ」
無論、ただの「犬」だったらの話だが。
エマの真意にきづいたらしく、シャロンはみるみる表情を険しくした。
「姫さまは嘘吐きだよね? 聖女さまなのに」
「否定はしない。――だけど、シャロン、魔物はひとの手には余るぞ」
声を低くして警告すると、「あの子は魔物なんかじゃ」と頬を染めてシャロンが口走る。
「わ、わたし、おかあさんから外の掃除を頼まれていたから」
逃げるようにキッチンから出て行くシャロンの肩にエマは軽く触れた。びくりとおびえた風に振り返った少女に、「引き留めてわるかったな」と苦笑を返す。顔を曇らせ、シャロンは首を横に振った。
少女の肩で二枚の銀の羽が震えるのを確かめると、エマはシャロンを見送った。
指定された広場のカフェに着くと、ひとりの淑女が優雅にカップを傾けていた。モスグリーンのタフタ地のドレスに精緻なレース織のショールをかけ、輝く金髪はシニヨンを結っている。絵になる美女である。店先にたたずむエマにきづいたらしく、淑女はカップを上品な仕草で置き、
「よう」
と野太い声を発した。
まぎれもない男の声である。よく見ると、ふつうの女性よりいささか肩幅が広く、背が高い。首元まであるドレスが咽喉を隠していた。しかし声以外はほぼ完ぺきに女性に擬態しているといえる。
――カササギ。
死を告げる鳥からとった通称で呼ばれる、情報屋である。性別は男。ただ、会うたびにすがたも年齢も髪の色も変えるので、あちらから声をかけてもらわないときづけない。
「カササギ?」
前に会ったときは、東国風の装いに黒髪で、見た目は男だった。
いちおう尋ねると、「呼ばれたから飛んできたよ」と淑女は手袋をめくった。手の甲にカササギの刺青がある。やはり彼らしい。
「何か頼む? ここのホットショコラは五十八点くらいはつけてもいい」
「相変わらず手厳しいな」
オランディア王国だけでなく、大陸中を飛び回るカササギは、たいへんな美食家で、飲み食いするものの点数をつけずにはいられない。五十八点はだいぶよいほうだ。以前使った場末のパブで食べたシェパードパイには、マイナス百五十点をつけていた。ぱさぱさの雑巾でもかじっている味わいだったらしい。
カササギおすすめのホットショコラを頼むと、さほど待たせず店員がカップを運んできた。店員が店に引っ込むのを待って、口をひらく。
「それで? 頼んでいた件がわかったか?」
「でなかったら、こんなところまで来ないってば。今日は君のヒモ、いないんだね」
「置いてきた。役に立たないから」
ヒモとはもちろん、クロエのことである。
三回くらい訂正したが、直さないのでもうあきらめた。
「いつものことだけど、容赦ないなあ。……で、リルカの被害者たちの件だったね」
扇でさりげなく口元を隠し、カササギが声を落とす。
周囲にはほかに客がおらず、カササギの背中に隠れて、通りからエマのすがたは見えない。フードをかぶって白銀の髪を隠してしまえば、すぐにエマが《オランディアの聖女》だときづくひとはいないけれど、密会中に騒がれるのは面倒なのでありがたい。
「いちばんめの被害者はサラ=オーガストン。街の外れ、墓地のそばに住んでいた薬師の女の子だね。次が三日後に路地裏で発見されたエラルド=スミス。死の前日に街の医者で右腕の手当てを受けている。それにアイザ=マンデリン。三週間後で、パブの従業員。そして最後がヴァン=カーティス。夜に見回りをしていた警官」
ここまではモリス警部に見せてもらった捜査資料にも載っていた情報だ。とはいえ、警察でもない情報屋がどこからこれだけ正確な情報を入手したのか驚く気持ちはある。
「この中で気になるのは、エラルド=スミスかな。こいつだけが街の人間じゃない」
「旅人らしいな。市警でも、スミスに関しては素性が追えてなかった」
「旅人というか、たちのわるいゴロツキ、泥棒だよ。捕まったことはないから、市警は知らないだろうけどね。墓の埋葬品を掘り返して盗むのを繰り返していたらしい」
「埋葬品?」
「この国じゃ、宝飾品や金銭を墓に一緒に入れるだろう? 高値で売り飛ばせるうえ、きづかれづらいから専門の盗掘屋がいるんだよ。それがエラルド=スミス」
そしてこの情報屋にかかれば、ひとの素性をたどることはたやすい。
カササギに出会ったのは三年前、魔祓いのために赴いた事件がきっかけだった。腕はよいが、気難しさで知られる情報屋で、大金を積んでも気に入らない仕事は受けない。エマはなぜかだいたい引き受けてくれる。条件は「情報の引き渡し時に一緒にお茶を飲むこと」だ。仕事で忙しいだろうに、情報屋が考えることはよくわからない。
「つまりエラルドは今回も盗掘がらみでこの街へ来た?」
「だろうな。ほかの被害者はともかく、こいつに関しては天の裁きだね」
「サラ=オーガストンは、エラルドの犯罪に巻き込まれて死んだ可能性があるのか」
「かもしれない。でもサラって魔獣に襲われて死んだんじゃなかったっけ?」
そうだな、とエマは軽く流した。
実際のサラは魔獣に襲われて死んだわけではない。亡霊になった当人は忘れているようだったが、ただの獣か、あるいは何者かに殺された可能性が高い。そして、エラルドは盗掘屋。サラが発見された場所も墓所だ。
「そういえば、さっきエラルドは死の前日に右腕の手当てを受けてたって言ってたな」
「うん、そう。手当てをした街医者いわく、獣に噛まれたような傷だったと」
「数日前にも一度、魔獣に襲われていたかもしれないってことか?」
考え込むようにエマは腕を組んだ。もしエラルドが、サラが死んだのと同時期に魔獣に襲われ、数日後、再度襲撃を受けたのだとしたら、話はだいぶ変わってくる。
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