第37話 安家の当主


 安家の当主・アン知武ジム

 中級貴族の家に生まれ、武官の科挙を首席合格。

 幼い頃から剣術や弓道など、ありとあらゆる武道の才能があるこの男。

 若い頃は戦の毎日で、女なんて二の次であった国の英雄であるが、結婚してすっかり丸くなり、子供が生まれてからは指導の為剣を握っている時以外、当時の面影はまるでない。


 長男ジホは自分に似て武芸に優れ、次男のジソンは誰に似たのか文官の科挙を首席合格。

 しかも、王と仲が良い。

 出世間違いなしの自慢の息子である。


 そんな自慢の息子が、流行病で何日も寝込んでいると聞いて、ジムはかつて軍医として共に戦場を駆けた友人を連れてきた。

 処方された薬の効果か、鍼の効果か、ジソンはその日の夜にはすっかり熱も下がり、ほとんどいつも通りに戻る。

 これで一安心だと、その友人と酒を飲み交わしていたのだが、長女であるジアンがいつまで経っても帰ってこない。

 母親の話だと、ジホが帰宅する前に入れ違いでどこかへ出かけて行った……とのことだった。


「ジアンはまだ帰らないのか?」

「ええ、そうみたいですね……あの子ったら、一体どこをほっつき歩いてるのかしらね。まったく……」


 友人が帰った後、改めて聞いてみたがやはりジアンは帰ってこない。

 年頃の娘がこんな時間にどこに行ったんだと、思っていると、ジホが帰宅する。

 ジホはすっかり元気になって台所でおやつを食べているジソンを見て、首を傾げた。


「あれ? ジソン? お前、王様に呼ばれて鳥安楼に行ったんじゃ……?」

「え……? なんの話?」

「なんのって……カン内官に王命でお前を迎えにいくからと、家までの道を聞かれて教えたんだが……?」

「カン内官って、確か最近内官になった新人の……?」

「あぁ、若い内官だ」


 寝ていたジソンは、カン内官と会っていない。

 ジソンも首を傾げる。


 その様子を見ていたジムは、ふと気づく。

 ジアンが普段履いている花の刺繍が入った靴は玄関にあることに……


 ジアンの部屋に入ると、ジアンが普段着ている衣が丁寧に畳んで置いてある。

 その代わり、ジソンが外出時に着ているジムが科挙の合格祝いに買った緑色の衣がない。


「ジソン……お前たち、まさか今も時々入れ替わっているのか?」

「えっ!?」


 ジムはジソンの目が泳いでいるのを見抜いた。


「子供の頃なら、ただの悪戯で済んだ……だが、王命となると話は別だ」

「それは、その……えーと」

「まぁまぁ、父上、そんなに怒らなくても……」

「ジホ! お前は何をしてる! さっさと鳥安楼に行って、ジアンを連れ戻してこい!!」


 珍しくものすごい剣幕で起こる父を見て、ジホはすぐに鳥安楼にジアンを迎えに行った。

 ところが、鳥安楼は殺人事件が起きて封鎖中。

 ジホはジアンに会えず、近くにいた下女から「アン官吏が王の護衛官と一緒に犯人を追って行ってしまった」という話だけ聞いて、すぐに戻って来た。


 それから更に数時間が経ち、ジアンが帰ってくる。

 ジソンの衣を着て、アン官吏になりすましたジアンが……


「ち、父上……?」

「ジアン、今お前、『げっ、父上どうしてここに』って思っただろう?」

「あ、いや……そのー……」


 ジソンと同じく、嘘をつくと目が泳ぐジアン。

 ジムは珍しく父親らしく娘を叱ろうと、大きく息を吸った。

 ところが、ジアンの背後からぬっと顔を出した背の高い男を見て、驚きのあまり声が裏返る。


「今まで何ファ……っ!?」


 大事な大事な娘が、夜中に男連れで帰って来た。


「あ、師匠、お久しぶりです」


 少し見ない間にさらに身長が伸びた弟子は、ジムが幼い頃に憧れた先々代の王と、ますますそっくりになっていた————



 * * *




「————なるほど、それじゃぁお前が助けたそのチュンユが殺されて、本当はお前にかけられるはずの濡れ衣が王様にかけられたんだな?」

「そうです。それで、逃げ込んだ村が地図にはない場所で……」


 何が起きたか最初から最後までジムに説明したジアン。


「人助けの為とはいえ、男装して詐欺を働いたのは褒められた事ではないが……その点はとりあえず今は置いておこう。それで、その地図にない村に逃げるよう指示を出していたのがそのドバクという老人だと……?」


 ジムはドバクの名前に聞き覚えがあるような気がしていた。


「その村にはなぜか武器庫があって……それに、こんな紋章のような絵が各家に書いてあって……」


 ジアンは紙に村にあった家紋を筆で書いてみせる。

 梅の花と五本の線。

 それを見たジムは、古い記憶を思い出す。


「これは……————白梅ペクメ団の紋章だ……!! 何故これがそんな山奥に……?」

「ペクメ? 何ですかそれ?」

「謀反を起こそうとしていた……ある思想をもった団体だ。この国が建国される前にあった、滅びた王朝の子孫を王に据えていたが……」


 白梅団は、三十年ほど前に子孫を名乗るその王が処刑され、解体され、歴史からもその名を消されている。


「先々代の王の時代に皆死刑になったはず…………生き残りがいたのか……?」


 残党を捕まえる討伐隊に、先代の安家の当主が参加していた。

 もし、取り逃していたのなら、それは安家の汚点だ。

 ジムは安家の当主として、この事件の解決に尽力することを決め、王命通り次の日、王宮を訪れた。




【第二章 了】

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