第36話 先生
鳥安楼でチュンユを刺した下女を見つけるのは簡単だった。
村の中に入らずとも、ジアンの千里眼では全てが透けて見える。
右から二番目の家。
彼女は、必死に血だらけの上着を脱ぎ捨てる。
その足で近くを流れる川まで走って、飛び込もうとしていた。
顔や髪に残っている血を洗い流そうと……
ところが、川に飛び込む前に、王の護衛たちが下女を取り押さえる。
「————んんん!?」
いきなり口元を手で押さえられ、驚いた下女は抵抗しようとした。
しかし、あっという間に連れていかれる。
できるだけ物音を立てずに捕らえるよう、フィジェが指示をしたからだ。
「観念しろ、殺人犯め……」
「おとなしくついてこい。抵抗したら、命はないぞ」
訓練を受けている親衛隊の男二人に捕らえられ、なすすべがないと悟った下女は、その言葉でおとなしくなった。
護衛の二人に連れられ、下女は村から少し離れたところにある空家で待っていたジアンとフィジェの前へ。
「どうして、チュンユを殺した? 一体、なんの恨みがあって、あんなことを……」
フィジェが問うと、下女は泣きながら訴える。
「私はただ、言われた通りにやっただけよ! あの女を殺して、あの中で一番綺麗な顔の男に短刀を持たせろって……!!」
「なんだその指示は……一体誰がそんなこと」
「先生よ! 言う通りにすれば、薬をくれるって……流行病に効く薬をくれるって、先生が——……あの薬がなきゃ、おばあちゃんが死んでしまう…………」
悪いのは自分ではないと、下女は全てを自白した。
下女の名はヘリョン。
流行病にかかった祖母を救うための薬を手に入れるため、とある男の指示に従い犯行に及んだ。
まだ、十三歳の少女だった。
「流行病の薬は、患者が多くて今不足しているの。値段が高すぎてとても、私には手に入る薬じゃない。だから、盗もうとした。でも、見つかってしまって……」
数日前、ヘリョンは薬屋に泥棒に入ろうとしたところを、ある老人に見つかってしまった。
その老人は、泥棒に入ろうとしたことをバラすと脅してヘリョンに犯行を持ちかける。
成功すれば、報酬として薬を渡すと……
まずは下女として鳥安楼に入り込むことが第一の目標であったが、流行病のおかげで人手が不足していたこともあり、ヘリョンはすぐに成功する。
そして、チュンユが使う香炉の中に少量の眠り薬を忍ばせた。
チュンユの舞が始まるってすぐに眠り薬の煙を直接吸って、ヘリョン以外が眠りにつく。
「チュンユを刺し殺したら、あの中で一番顔の綺麗な男に短刀を持たせろ。罪をかぶせてあの村へ逃げるようにって……そう言われたの。だから、言われた通りあの中で一番顔が綺麗だと思った人に持たせたわ」
リョクジェとムンジェ、ナム内官、そして、王の顔を見比べて、ヘリョンはこの中で一番綺麗な顔を選べばいいと、眠っている王に短刀を握らせて窓から逃げた。
その指示をした老人は、周りから先生と呼ばれていたため、きっと医者だろうとヘリョンは言う。
「綺麗な顔の男……? なぁ、もし、あの中に俺とこのアン官吏がいたら、誰を選ぶ……?」
「え……?」
「眠り薬で眠らせた中にだよ。この中で一番綺麗な顔の男に、短刀を握らせるように言ったんだろう?」
「それは……」
ヘリョンはジアンとフィジェの顔を見比べる。
「あのフィジェ様、何を言っているんですか? こんな時に、まさか自分を選ばせたいとか……そういうことですか? この女は、いくら脅されてやったとしても、王様に罪をなすりつけたんですよ!?」
王に濡れ衣を着せるなんて許せないと、護衛の一人が口を挟んだが、ジアンはそれを止めた。
「少し黙っていてください。そんな馬鹿げた理由で、この状況で質問するわけないでしょう。ヘリョン、選んで。正直に答えて」
フィジェがヘリョンに何を言わせたいか、ジアンは察した。
「え、えーと、それなら、あなたよ。誰が見たって、一番綺麗な顔をしているもの……」
ヘリョンはジアンを選んだ。
少々、頬を赤くしながら。
「なるほど……そうなると、これはチュンユと私に恨みを持つ人間の仕業ね……」
「心当たりは……?」
「そんなの、一人しかいませんよ」
ジアンに合簡で負け、鳥安楼に近づくことができなくなったあの老人————
ジアンはチュンユから預かったままになっていた誓約書を懐から出すと、家の住所を確認する。
フィジェが人を送って調べさせると、白賭博の家は確かに薬屋の隣にあった。
しかし、ドバクは今、その家にはいないという。
「いったいどこに……?」
「とにかく探せ。すべての元凶はあいつだ。それと、ヘリョン……お前が逃げ込んだあの村、あれは一体なんだ?」
「え……?」
「地図にない村だ。その上、武器庫があるな……」
「武器庫……?」
ヘリョンは、ドバクにあの村でしばらく住むように言われていた。
祖母の病気が治れば、祖母もあの村に連れてくる約束をしている。
しかし、そこに武器庫が存在していることは、全く知らない。
「ここにいれば安全だと……そう言われただけで……————」
地図にない謎の村。
大量の武器。
ジアンは千里眼で見たものを思い出す。
「そういえば、あの村の全ての家に花の紋章のようなものが……」
「花の紋章……? どんなやつだ?」
ジアンは空家の囲炉裏に残っていた灰の上に、指で花の絵を描く。
「こう梅の花を囲うように、五本の線が……線が重なっている部分は少しだけはみ出ていて……」
フィジェはその紋章に見覚えがあったが、いったいどこで見たのか思い出せない。
ジアンたちは鳥安楼に戻り、若い内官が呼んだ捕吏たちにヘリョンを受けわたしたあと、皆にことの顛末と聞かせる。
その時、一緒にこの梅の花の紋章に見覚えがないか尋ねるが、誰もその紋章については知らなかった。
「とにかく、まずはそのドバクというやつの居場所を突き止めて、捕まえろ。家紋については、詳しい者に心当たりがあるから、こちらで調べる。アン官吏……」
「は、はい!」
「家に帰ったら、先生……————お父上に明日の朝、私の部屋に来るよう伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
とにかく、この日はこれで一度解散となった。
そして、アン官吏には、ドバクが捕まるまで、何人か護衛をつけるよう王命が下る。
チュンユ殺しの罪をアン官吏に着せることができなかったことが知れたら、命を狙われる可能性があるかもしれないからと……
とりあえず今日ともに犯人を追いかけた護衛二人と一緒に帰宅したジアン。
護衛二人は門の前で待機。
家の中に入ると、ジアンの父・
王族たちの剣術の師範。
王が先生と呼ぶ唯一の人物。
「ジアン、こんな時間までどこに行っていた。それも、ジソンの格好で……」
(……げ、父上っ)
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