第35話 鳥安楼殺人事件


「ダメだ……もう、息がない」


 チュンユの生死を確認したフィジェは、首を横に振った。

 遊女の殺傷死体。

 凶器であろう血のついた短刀を握っている男。

 はたから見れば、犯人はこの男ということになるが、王だ。

 それが王だと知っている者たちからしたら、犯人でないのは明らかだった。


 それに、王以外にチュンユが殺害されたこの離れには五人。

 ムンジェ、リョクジェはそれぞれ元から座っていた席の上で不自然な体勢で眠っている。

 ジアンとフィジェがまだこの離れにいた時、王の斜め後ろに立っていたナム内官もその場に倒れて眠っていた。

 残り二人は、琴と笛の奏者をしていた若い遊女たち。

 この二人には、チュンユの体から吹き出した血が少し服や頬にかかっていたが、同じく眠っているようだった。


 起きているのは王ただ一人。


「————兄上、一体何があったんですか?」

「……わからない。この遊女の舞を見ていたら、急に妙な匂いがして……眠くなって……」

「妙な匂い……?」

「ああ、それで、そこの下女の悲鳴を聞いて、目が覚めたら……この状態だった。なぜ私の手に、短刀があるのか…………一体、どうなってるんだ?」


 離れの入り口の前には、王の護衛二人とジアンを呼びに来た若い内官が立っていた。

 彼らは悲鳴をあげた下女が来るまで、一切中の様子を覗いていない。


「あなたは、なぜここに……?」


 下女にここへ来た理由をジアンが尋ねると、真っ青な顔で下女は答えた。


「チュンユ姐さんが時間になっても次のお座敷に来ないから、呼びに来たんです。常連の方で、早くしろって機嫌が悪かったから……そしたら、姐さんが……っ」


 離れの前にいた護衛たちに声をかけ、襖を開けるとそこにはチュンユの死体と短刀を持った王の姿。

 ムンジェとリョクジェ、そして、ナム内官を叩き起こして話を聞いてみると、王と同じく、チュンユの舞を見ていたら急に気を失ったと言っていた。


「この鳥安楼で一番の遊女だと聞いておりましたので、私たちは一体どんな舞を待ってくれるのかと、期待していたのです。彼女と一緒に入ってきた下女が、窓を全て閉めて香炉に火を……それから、琴と笛の演奏が始まって……気がついたら、いつの間にか眠っていました」


(窓を閉めて香炉を……?)


 ナム内官の証言で、ジアンは気づく。


「窓なら今開いてます。誰が開けたんですか? 王様ですか?」

「いや、私は何もしていない……窓は…………そうだな、いつからだ……?」


 チュンユを呼びに来た下女も、護衛の二人も知らないと首を横に振る。


「俺たちは、この娘の悲鳴を聞いて、初めて中に……」

「そうです。ちょっと頭がボーッとしてたような感じはするんですが……悲鳴で気がついて……」

「悲鳴が聞こえるまで、誰も離れからこの長い廊下へは出ていないんですね?」


 ジアンはそう尋ねながら、開けられた窓の方を見る。

 窓の縁に、血がついている。


「それなら、犯人はこの窓から外に出た」


(私が金魚の間でフィジェ様と話していたのは、そんなに長い時間じゃない。一刻かそこらのはず……ここから逃げたなら、まだ、そんなに遠くへは行っていない)


 ジアンは千里眼を使った。

 窓の向こうにはあの綺麗な池のある庭。

 橋の上にも血痕がある。

 落ちている血痕をたどって行くとその先には森。


「待て、ジアン。ここから出たとして、犯人はどこに? あの森の向こうは、ただの山だぞ?」

「チュンユと一緒にこの離れに向かった下女が一人いなくなっている。金魚の間の窓から見たわ。護衛のいる方から出ていないなら、ここしかない。それに————見えた!」


 千里眼を使い、森の中に抜け道のようなものを見つけたジアン。

 その先に、提灯を手に走る血まみれの下女の姿を捉えた。


「提灯を持った下女が森の抜け道を走ってる。追うわよ!!」


 ジアンは窓から飛び出して、下女の後を追う。

 その後ろに、フィジェも続く。


「お前たちも行け!」

「は、はい、王様!!」


 護衛二人も王の命令で二人の後をついて行った。


「…………王様、今、フィジェ様がアン官吏のこと、ジアンと呼びませんでしたか?」

「え? そうだったか?」

「気のせいですかね……?」


 ナム内官と王の会話に、若い内官は危ないところだったと冷や汗をかいていると、急にナム内官に睨まれる。


「な、なんでしょう? ナム内官」

「何をボーッとしている。人が殺されているんだ。捕吏ほりに連絡して現場の保存をしなさい」

「は、はい!」


 鳥安楼はこの日の営業をすべて中止し、閉鎖された。



 * * *



「その目、あかりがなくても見えるのか?」

「ええ。あかりがあったほうがもう少し遠くまで見えるけど……」


 ジアンの言った通り、森の中へ入るとすぐに抜け道が見つかる。

 鳥安楼は華陽の北の端に位置しているため、誰もその先へ行こうとなんてしない。

 この森から向こう側にこんな道があることは知らなかった。


「あ……」


 下女が顔につけていた赤い布が地面に落ちている。

 フィジェはそれを拾い上げて、後ろをついてきている護衛に渡した。


「証拠品だ。無くさないようにしっかり持ってろ」

「は、はい!」


 さらに進むと、ジアンの千里眼にありえないものが映った。


「……村……?」

「え……?」

「この先に、村なんてあった?」


 女は小さな村に入って行く。

 山の中に、十数件の家と畑のある集落があった。


「いや、聞いたことがないぞ……こんなところに、村があるなんて」


 フィジェも護衛たちも知らないと首を横に振る。

 ジアンは千里眼で村の様子を見回した。


 家の中には、確かに人が暮らしている。

 そして、畑の前にある物置小屋のような建物の中に————


 大量の剣や弓矢、爆薬を見つけた。


(この村……一体、何————?)





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