第32話 王の提案


 大男が急にアン官吏に抱きついた為、王は首をかしげる。

 この食事会に、こんな大男を呼んだ覚えはない。

 ムンジェとリョクジェはあんぐりと口を開けている。

 入り口で遊女はもう三人とも揃っていると言っていた。

 そうなると、このアン官吏にいきなり抱きついている男は、一人しか考えられない。


「フィジェ……か?」

「そうです、兄上!! お久しぶりですね! いやーまさか、兄上がジアンを連れてきてくれるなんて!!」

「ん……? ジアン……?」


 フィジェが抱きついているのは、司暦寮観象課のアン知聲ジソン官吏だ。


「違うぞ、フィジェ。こちらはアン官吏。ジアンは確か、双子の姉の名前ではなかったか? アン官吏」

「そうです。人違いです……!!」

「えっ!?」

「ジアンは姉です。僕は、弟のジソンです。フィジェ様……離してください」


 フィジェは腕を緩めて、アン官吏の顔をじっと見つめる。


「…………いや、どう見てもジアンじゃないか」

「…………よく似ていると、言われます。でも、違いますので……この手を離していただけますか?」

「本当に? 本当にジアンじゃないのか? 声もそっくりだし……この抱きしめた感じと……あと匂いも…………」

「……違うと言っているじゃないですか」

「そうだぞ、フィジェ。離しなさい」


 フィジェは半信半疑ではあったが、王の命令通りパッと手を離した。

 だがやはり、納得はいっていないようで、全員が席についた後も、ジロジロとアン官吏の方を見ている。


「————アン官吏、と言うことは……ああ、君があの有名な」

「男なのに綺麗な顔をしていると聞いたが、本当だったんだな」


 リョクジェとムンジェは、急にフィジェが男に抱きつくものだから、知らない間にフィジェは男色にでも目覚めたのではないかと疑ってしまった。

 これだけ美しい顔をしていたら、ぐらっときてもおかしくはないかとさえ思えてしまう。

 だがよく考えれば、二人ともこのアン官吏とまったく同じ顔をしていると噂の姉に縁談を申し出ている最中だ。

 縁談が決まれば、この顔で女を自分の妻にできるのだから……と、今から鼻の下を伸ばしている。


「はは、確かにアン官吏は綺麗な顔をしているな……だが、フィジェ、いきなり抱きつくなんて失礼だぞ」

「すみません、兄上。あまりににそっくりだったもので……」

「「……俺のジアン!?」」


 リョクジェとムンジェの声が揃った。


「おい、どう言うことだフィジェ。俺のジアンとは……!! アン知眼ジアンは俺の婚約者だぞ!?」

「はぁ!? 何いってるんだ、リョクジェ!! 彼女は俺の婚約者だ!! 縁談の話も進んでいる!!」

「ムンジェいい加減にしろよ貴様!! お前はまた俺のものを欲しがる気か!! 俺はジアンと結婚するために本妻と別れたんだぞ!?」

「何を言うか! お前が離縁したのはお前の女遊びが原因で愛想つかされただけだろうが!!」

「なんだと!?」


 王の前で喧嘩を始める二人。

 フィジェはそんな二人を無視して、自分の向かいに座っているアン官吏の顔を色々な角度から何度も見つめる。

 アン官吏はその綺麗な顔に思い切り作り物の笑顔を貼り付け、二人の喧嘩を止めた。


「落ち着いてくださいお二人とも。姉上はまだ誰のものにもなっておりません。それに、お二人との縁談はお断りさせていただいたはずですが……?」


 ジアンはすでにどちらの縁談も断ると返事を出している。

 しかし、二人は諦めていないようで、何度も使いの者にジアン宛の求婚の手紙やら高価な贈り物をしていた。

 ジアンはそのどれも受け取らずにそのまま返している。

 だが、手紙は破いたり燃やしたりして使いの者は捨ててしまったが、贈り物は別だ。

 返された贈り物は、ジアンが受け取ったことにして、その使いの者が懐に入れていた。


「そんなわけないだろう! 昨日だって、手紙を受け取って————……」

「まぁまぁ、落ち着きなさい二人とも。今日はお前達を喧嘩させるために呼んだんじゃないぞ?」


 王の一言で、ピタリと二人はおとなしくなる。


「王弟の話をしにきたんだ。お前達三人の中から、誰が一番この国の後継として相応しいのは誰か……その話をしにきた。そのために、このアン官吏を連れてきた。ナム内官」

「はい、王様」


 ナム内官は四人全員に同じ資料を手渡した。

 そこには、三人の王弟候補者についての詳細が事細かに書かれている。


 一枚目にはムンジェが起こした七件の詐欺・横領事件。

 二枚目にはリョクジェが起こした七件の婦女暴行事件。

 全て金でもみ消したはずの二人の悪事。


 二人は顔を真っ青にしていた。


「一応、どれも被害を受けたものとは和睦しているようだが……こんな問題児が王弟になるのは、王として……また、同じ龍家の者として恥ずかしい限りだ。それに比べて、フィジェは全く問題を起こしていない」


 三枚目のフィジェは、この七年ほど華陽には住んでいなかった。

 各地を転々としていたようで、悪事どころか親のいない子供達の面倒を見たり、震災によって家を失った人たちのために新しい家を建てたりと、むしろ慈善活動をしている。


「アン官吏に見極めてもらわなくても、王弟にふさわしいのはフィジェだとわかる。だが、フィジェの母親の身分が低いせいで、高官達から反発される可能性が高い。そこで、お前達にも機会を与えようと思う。四枚目を見てみろ」


 四枚目には、流行病のことが書かれていた。


「今、我が国で起きているこの流行病、何者かが故意に広めたという噂がある。それが事実なら、これは我が国に対する反乱だ。その犯人を突き止め、私の前に差し出せ」


 犯人を突き止めた者が、王弟の座につくことになる。

 リョクジェとムンジェは、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「それと、アン官吏」

「……はい、なんでしょう?」

「今思ったんだが、アン官吏の姉が良ければ、その王弟となった者と結婚させてはどうだ?」

「…………へ?」


 王はニコニコと笑みを浮かべながら言った。


「王弟の嫁となれば、東宮殿に住まうことになる。王妃とは親友なのだろう? 王妃には気兼ねなく話せる相手が必要だと思う。ナム内官に聞いたが、妊娠中は気分の変動が激しくなると聞いた。少しでも王妃が過ごしやすい環境を整えてやりたいんだ。どうだろう……?」


 その笑みには、なんの邪心もない。


「そ、そう……ですね。姉には、僕から話しておきます」


 アン官吏は、貼り付けた笑みを浮かべるしかなかった。


(私の過ごしやすい環境は————?)


 こんな問題だらけの王族の嫁になんて、誰もなりたくない————



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