第二章 男装官吏と王弟候補

第31話 龍家の男達


 鳥安楼で一番豪華な座敷は、中庭が綺麗に見える離れにあり、長い廊下一本でつながっていた。

 小さな池には鯉が優雅に泳ぎ、水面に映る赤い橋と月が揺れる。

 絵画のような美しい景色。

 室内襖には鳥と梅の花、天井には金魚の形をした提灯が吊されている。


 金色の豪華な刺繍が施された赤いシルクの座布団。

 黒い卓子の上にはこれでもかというくらい豪華な食事と酒が次々と運ばれて行く。


「ほぅ……これが最近人気の鳥安楼か。梨花楼とはまた違うな……」

「ふん、確かに料理は美味そうだが、永月楼の方が品がある」


 王より先に席についていたリョクジェとムンジェ。

 二人とも鳥安楼は身分の低い者でも通える安さということで、王族の自分が通うにはふさわしくないと、一度も足を踏み入れたことがなかった。

 ところが、ここまで案内される間にすれ違った遊女たちの容姿は梨花楼の遊女とさほど変わらない美しさを持つものもいるし、聞こえてくる歌や琴の音色も永月楼のものとは違った良さがある。

 お互いにこの妓楼に興味が湧いていたが、王族としての自尊心がそれを許さない。


「そうか? 俺は永月楼の方が品を感じられないがな。あそこは芸事ばかりで、ろくな顔の女がいない。乳の大きさだって、中途半端な奴らばかりだ」

「ふん、お前はいつもそうだな、リョクジェ。女の容姿なんて歳をとってしまえばみんな崩れる。その点、芸事の上手い女は年をとっても楽しめる。それに乳より尻だ、大事なのは」


 リョクジェとムンジェ。

 この二人、顔も女の好みもまるで正反対。

 共通点は先々代の王の孫であるということくらいだ。

 リョクジェの父は東派出身の女と、ムンジェの父は西派出身の女と結婚した。

 二人の父親も先々代の王の息子であり、兄弟ではあるがともに側室の子供。

 しかも、こちらも同じ年に生まれているということもあり、何かと比べられてきたため仲が悪い。


「それより、ムンジェ。珍しく王が俺たちを集めた理由、お前は知っているか?」

「ああ、知っているさ。王弟を決めるためだろう。西派は俺、東派はお前を推しているからな。自分の目でどちらが相応しいか見極めたいのだろうよ。まったく、これまで政治は全てお祖母様に任せてきたただのお飾りの王のくせに……」

「まったくだ。大人しく、これまで通り東派の家臣の言葉を聞いていればいいのに……」

「おい、そうなると、お前が王弟ということになってしまうじゃないか。ふざけるな。お前のようなただの女好きのケダモノが、王弟になんてなれるわけがないだろう?」

「はぁ? お前こそふざけたことを言うな。お前のようないつも口先だけで、虫を見ただけで逃げ出すような軟弱者に、王弟なんて務まるわけがないだろう」

「い、いつの時代の話をしているんだ! 虫を怖がったのなんて、まだ子供の頃の話だろうが」

「あ、蜘蛛だ」


 リョクジェがムンジェの後ろを指差す。


「ひぃぃぃぃぃぃっ!! どこだ!? どこにいる!?」


 ムンジェは情けなく悲鳴をあげて、ものすごい速さでその場から離れた。


「ほら見ろ。今だってたかが蜘蛛がいたくらいでこんなに怯えているじゃないか。嘘つきめ」

「う、うるさい! お前こそ嘘をついたな!?」


 蜘蛛なんてどこにもいない。

 リョクジェに騙されたと気づいて、ムンジェは顔を真っ赤にしながら怒った。


「————まったく、相変わらずだねぇ、にぃさん方」


 その時、襖が開いて、もう一人の王弟候補であるフィジェが現れる。

 鴨居に頭をぶつけないようにくぐるように中に入ると、一番下座に置かれていた座布団の上にどさっと座った。


 突然現れた見慣れない男に、二人はそれが誰か分からずに記憶を辿る。

 この二人のことをと呼ぶ男は、一人しか思い当たらない。


「その口元の黒子……お前、まさかフィジェか!?」


 ムンジェが先に気がついて、そう言った。


「何!? お前、あのフィジェか!?」

「そのとーり」


 リョクジェも驚くしかない。

 ムンジェとは偶然居合わせたり、葬儀や婚礼の場で年に何度か顔をあわせることがあるが、フィジェと最後に会ったのはまだ十歳の時だ。

 同じ王族ではあるが、フィジェの父親は病気で早くに亡くなっているし、母親の身分が低いため顔をあわせることはなかった。


「ずいぶん大きくなったな。まぁ、あれだけ食べていれば……」


 幼い頃からフィジェの食欲は異常だった。

 一体この小さな体のどこに入るのだろうと不思議に思ったことが何度もある。


「横じゃなくて、上に伸びたんだな」


 当時一番小さかったフィジェは、十七歳になった今、王族の中で誰よりも背が高い。

 代々ヨン家の男は長身で有名。

 リョクジェもムンジェも高い方ではあるが、フィジェには敵わない。


「————って、そう言う問題じゃない。どうして、お前がここにいるんだ?」

「そうだ。この席は、俺たちのどちらを王弟か決める席だぞ!? なんでお前がここにいる!?」


 フィジェは長い腕を伸ばして、山のように積まれた団子を一つまみ、口に放り投げるて食べる。


「……そういう席だとは聞いてない。ただ、兄上に呼ばれただけだ。理由なら、兄上に直接聞いてくれ……で、兄上はまだ来てないのか? 腹が減って仕方がないんだが……」


 そう言いながら、また一つ口の中に団子を放り投げる。


「————なんだ、もう始めていたのか? 私抜きで……」


 その瞬間、すぐにまた襖が開いて、今度は貴族に扮した王がナム内官を引き連れて現れた。


「兄上!」


 そして、もう一人————


「さぁ、アン官吏も入りなさい」

「失礼いたします」


 この場にいる男達の誰よりも、美しい顔のアン官吏も一緒に。

 初めてアン官吏の顔を間近で見たリョクジェとムンジェは、そのあまりに美しい顔に思わず見とれてしまう。


 しかし……


「ジアンじゃないか! お前も呼ばれたのか?」


 急にフィジェが、嬉しそうに立ち上がりアン官吏に抱きついた。


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