第30話 流行病
「はぁ……どうしよう」
大きなため息を吐きながら、ジアンは後宮を後にした。
適任者を探して欲しいと言われても、王族の知り合いなんて一人しか思い当たらない。
(どうしよう。こんなことなら、もう少し優しくすればよかった……)
昨晩……————といっても、ほぼ朝方の出来事だが、フィジェに抱きつかれたジアン。
まさかこの大きな謎の男が、王族だなんて思うはずもなかった。
「嘘をつくな!」っと、おもいっきり男の足を踏み、怯んだ隙に腹に強烈な蹴りを入れて、男が前のめりになったところで頭にかかと落としを食らわせる。
さらに倒れた男の背中を踏みつけて、塀に登り自分の部屋に入った。
ミオンにお土産を買うために早朝から並ばなければならないジアンは、一睡もせず、一応後宮へ出かけるために身なりを整えてからまた家を出た。
おかげでこんなにはっきりと目の下にクマを作っている。
ジアンが家を出るときには、もうフィジェの姿はなかったが、それが、今さっきミオンから渡された王より若い王族の姿絵の一枚と一致した。
(本当に王族だったのね……ああ、やってしまった)
王族の怒りを買ってしまったら、お家取り壊しなんて普通にあり得る。
高官の家ならまだ希望はあるけれど、残念ながら安家はギリギリ中級貴族。
ジソンが出世してくれれば、高級貴族の仲間入りになるだろうが、ジソンはまだ下っ端だ。
官吏になって一年も経っていないし、何より本人が出世には興味がない。
「はぁ……」
(このままじゃ、私のせいで安家は終わってしまうわね……)
また大きなため息をつくジアン。
「はぁ……」
正面から全く同じようなため息が聞こえて、顔を上げると、自分と同じ顔の弟に出くわした。
「ジソン……!?」
「姉さん!? なんで、王宮に……!? って、あ、そうか、王妃様に会うのって今日だったね」
「ジソンこそ、どうしてここに? 夜勤終わりで、もう家に帰ってる時間じゃないの?」
「いやぁ……それが、お偉いさん方に次々と呼び止められてさ……ウチの娘を嫁にどうだって……最近多いんだよね」
ジソンは心底嫌そうな表情をしている。
気持ちはよくわかる。
そしておそらく、帰ったら帰ったで、母親からまったく同じ縁談の話をされるだろう。
(ジソンは選び放題だからまだマシか……)
「姉さんも何かあった? すっごい疲れた顔してるけど……」
「いやぁ……それがね……」
ジアンは自分がやってしまったことをジソンに話そうとした。
だが、気づけば周囲からジロジロと見られている。
それもそのはずだ。
ジソン一人でも、花より美しいと言われている新人官吏。
それと全く同じ顔の姉が王宮の前で顔を合わせているのだから。
「あー……とりあえず、家に帰ってからにしようか」
「そうね。今日はなんだかどっと疲れたわ……」
* * *
家に帰ると予想通り待っていた母親に縁談の話をされて、ジソンはうんざりしている。
「まったく、ちょっと王様と仲がいいくらいで……これだから、貴族はめんどくさいんだよ。僕はただ、静かに暮らしたいだけなのに……。王様も王様だよ。いくら自分で判断する自信がないからって、司暦寮の仕事以外頼まないで欲しい」
「司暦寮の仕事以外? 一体何を頼まれたの?」
「今度、王弟候補の三人を集めて食事会するから、その席で僕に誰がふさわしいか見極めてくれってさ」
「その三人って、まさか……————」
ジアンが尋ねると、予想通りの答えが返って来た。
その食事会に呼ばれている候補者はムンジェ、リョクジェ、フィジェの三人。
近々行われるその席に、ジソンも参加させられる。
「今、どこでやるか検討中らしくて……王宮だと大ごとになっちゃうから、妓楼を貸し切ってやるんだってさ。本当にそれも面倒な話なんだけど、梨花楼は東派が贔屓にしていて、永月楼は西派が贔屓にしている妓楼何だってさ。だから、どちらでもない鳥安楼はどうかって話になっているらしいよ」
「鳥安楼で……!?」
「王様はどちらの派にも偏らない、公平な政をしようとしているから。長い間東派に偏りすぎたせいで、西派と東派で争いが起きてるだろう? 高官たちのくだらない派閥争いで一番被害を被っているのは民だって、王様もわかってる」
まさか妓楼も東西に分かれていたなんて知らなかったジアン。
梨花楼と永月楼が長年敵対関係にあることは、チュンユから聞いている。
チュンユはその敵対関係が面倒で、元いた梨花楼をやめて鳥安楼に移った。
「今の流行病もさ、もっと早く対応していればここまで広がらなかったんだよ。僕の聞いた話じゃ、最初に病の報告をした村人の話が上に届くのに何日もかかったんだって。偉い人たちが東派か西派かでもめていて、後回しにされたんだとか……司暦寮でも何人か流行病で休んでいて、人が足りてないんだよね」
すでに何十万人も感染し、亡くなっている人もいる。
「ちゃんと薬を飲んで、数日大人しく寝てれば治るって判明するのにも時間がかかったし……薬代が払えない家では亡くなった人もいて——……っ……あれ? なんか、喉が痛い」
初期症状は、喉の痛みとくしゃみ。
その後高熱が出て、咳と鼻水が止まらなくなる。
「ジソン、大丈夫?」
「大丈夫…………ハックション……!!」
盛大なくしゃみをした後、ジソンの鼻からつーっと鼻水が垂れる。
「あれ……?」
この日からジソンは熱を出し、寝込んでしまった。
ところが、そんなことになっているとはつゆ知らず、王命を届けに若い内官が安家を訪ねてくる。
「え、アン官吏、流行病ですか!? 困ったな……どうしよう」
「どうしようって……どんな王命ですか?」
部屋から出られないジソンの代わりにジアンが応対すると、内官は顔をじっと見つめた。
「今日、鳥安楼で行われる食事会に出席しろとのことです。絶対にアン官吏を連れてくるようにナム内官からきつく言われているんですよ。それで、あの…………思ったんですけど、お姉さんのお顔、アン官吏とそっくりだし、男装すればバレないんじゃないですかね?」
アン官吏を連れてこなければ、内官をクビになるかもしれないと泣きつかれ、ジアンは仕方がなくジソンとして、鳥安楼に向かうことになった。
(あの男と会うのは、すごく嫌だけど、ジソンとして行くんだから、問題ないわよね? あれから何も言ってこないし……きっと、女の私に倒されたなんて恥ずかしくて誰にも言えないんだわ)
そこで待ち受けている三人の男たちの、王弟の座をめぐる戦いに巻き込まれることになるとは知らずに————
【第一章 了】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます